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毎朝、婚約者の本音が王都新聞の一面に載ります  作者: みき


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第3話 エレノアとの婚約をやめたい

『エレノアとの婚約をやめたい』


 何度読んでも、文字は変わらなかった。


 昨日までの新聞とは違う。


『青いドレスが死ぬほど可愛かった』


『他の男と踊っているのを見るくらいなら帰りたい』


 あの二つなら笑えた。


 本人をからかうこともできた。


 けれど、これは笑えない。


「エレノア」


 母が心配そうに声をかける。


「大丈夫?」


「はい」


 反射的に答えた。


 その瞬間、自分でも分かった。


 大丈夫ではない。


「少し部屋へ戻ります」


「朝食は?」


「今はあまり食べたくありません」


 新聞を持ったまま立ち上がった。


 父も母も何も言わなかった。


 自室へ戻り、扉を閉める。


 私は椅子に座った。


 新聞を机へ置く。


 でも目は、どうしても一面へ向かってしまう。


 婚約して三年。


 この婚約は、最初から家同士が決めたものだった。


 私が十七歳。


 アランが二十一歳の時。


 父から、


『グレイ公爵家から婚約の話が来ている』


 と言われた。


 私は断らなかった。


 アランのことは、その前から知っていた。


 無口。


 真面目。


 少し近寄りがたい。


 でも嫌な人ではなかった。


 だから結婚相手として悪くないと思った。


 アランも同じだったのだろう。


 そう思っていた。


 昨日までは。


「……やめたい、か」


 声に出すと、胸の奥が少し痛んだ。


 意外だった。


 こんなに傷つくと思っていなかった。


 私はずっと、アランとの婚約を「決められたもの」と思っていた。


 それなのに、この二日間で彼の本音を知って。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 この婚約は、思っていたより悪くないのかもしれない。


 そう感じ始めていた。


 その矢先だった。


「お嬢様」


 扉の向こうからミーナの声。


「アラン様がお見えです」


 私は時計を見た。


 昨日までより遅い。


「……通して」


「こちらへですか?」


「ええ」


 逃げたくなかった。


 新聞に書かれた以上、聞かなければならない。


 数分後。


 扉がたたかれた。


「入って」


 アランが入ってきた。


 昨日より顔色が悪い。


 私は椅子から立たなかった。


 アランも、すぐには近づいてこなかった。


「新聞を読んだか」


「もちろんです」


「そうか」


「ずいぶん遅かったですね」


「ああ」


「来るか迷ったのですか?」


「違う。どう説明するか考えていた」


 私は新聞を指で押さえた。


「では、説明してください」


「分かった」


 アランは向かいの椅子へ座った。


 いつもなら、こういう時でも冷静な顔をしている。


 でも今日は違う。


 落ち着かないように指を組み直している。


「最初に言っておく。新聞に書かれたことは嘘ではない」


「そうですか」


「ただ、君が考えている意味とは違う」


「私が何を考えているか分かるのですか?」


「……婚約をやめたい。つまり、君と結婚したくないと思っている、と受け取っただろう」


「違うのですか?」


「違う」


 すぐに否定された。


 私は少しだけ息を吐いた。


 でも、まだ安心はできない。


「では、どういう意味です?」


 アランはしばらく黙っていた。


 そして、ゆっくり口を開いた。


「この婚約そのものを、一度やめたい」


「同じでは?」


「違う」


「私には違いが分かりません」


「君との結婚をやめたいわけではない」


「……はい?」


 私は思わず聞き返した。


 アランは少し顔をしかめた。


「分かりづらいのは自分でも分かっている」


「でしたら分かるように説明してください」


「ああ」


 彼は一度目を伏せた。


「昨日、君と話したあと、ずっと考えていた。俺たちは三年間婚約している。でも、君が俺と結婚する理由は何だろう、と」


「理由?」


「家同士で決められたからだろう」


 否定できなかった。


「少なくとも最初は、そうでした」


「今もそうだと思っていた」


「……」


「君は真面目だから、婚約者としてやるべきことを全部やってくれる。夜会では俺の隣に立つし、公爵家について勉強している。領地のことも覚えようとしている」


 アランは少し笑った。


「でも、それは君が俺を選んだからではない」


「アラン様」


「俺も同じだった」


 彼は続ける。


「最初は、この婚約でいいと思っていた。家同士の条件も悪くない。君なら公爵夫人として問題ない。そういうふうにしか考えていなかった」


「ずいぶん正直ですね」


「新聞に書かれる前に言っておいた方がいいと思っている」


 少しだけ笑いそうになった。


 でも、今はまだ笑えない。


「ところが途中から、変わった」


「何がです?」


「君と結婚したいと思うようになった」


 胸が跳ねた。


 昨日、


『君は今日もきれいだと思っている』


 と言われた時より、ずっと大きく。


「婚約しているから結婚するのではなく、君だから結婚したいと思った。でも、君が同じかどうかは分からない」


「……」


「このままなら、君は予定通り俺と結婚するだろう。俺を好きでも、好きでなくても」


「そんなことは」


「ないと言い切れる?」


 答えられなかった。


 もし、昨日までの私なら。


 アランを好きかと聞かれても、たぶん答えられなかった。


 嫌いではない。


 尊敬している。


 結婚相手として悪くない。


 その程度だったと思う。


「だから、婚約を一度なくしたいと思った」


 アランが言った。


「家が決めた約束をなくして、その上で君に聞きたい。俺と結婚したいか」


 私はしばらく何も言えなかった。


「……それを、昨日一日ずっと考えていたのですか?」


「ああ」


「だから新聞に?」


「たぶん」


「でも『婚約をやめたい』だけ?」


「魔道印刷機に文句を言ってくれ」


「肝心なところが全部抜けています!」


「俺も朝刊を見てそう思った」


 初めて、少し笑った。


 緊張がほどけたせいだと思う。


 でも同時に、腹も立ってきた。


「アラン様」


「何だ」


「昨日、魔法局の方がおっしゃっていましたよね」


「ああ」


「口に出したくない本音ほど新聞に載る、と」


「そうだな」


「なら、昨日のうちに私へ言えばよかったのでは?」


 アランが固まった。


「……」


「言えましたよね?」


「それは」


「私には『隠すと新聞に載るから、何でも言う』と宣言していたではありませんか」


「これは少し話が違う」


「どこが?」


「君との婚約を一度やめたいなんて、簡単に言えるか」


「結果、王都中に先に知られましたけれど」


「……それは本当に最悪だと思っている」


 私はとうとう笑った。


 アランも困ったように額を押さえる。


「今朝、父にも言われた」


「公爵様に?」


「『婚約をやめたいなら、せめて相手より先に新聞に知らせるな』と」


「正論ですね」


「俺が知らせたわけではない」


「でも考えたのはあなたです」


「もう十分反省している」


 本当に反省しているらしい。


 昨日までなら想像もできなかったくらい、アランの顔からいろいろな感情が読み取れる。


「では、一つ聞いてもいいですか」


「ああ」


「もし婚約を一度なくして、私が『あなたとは結婚しません』と言ったら?」


 彼はすぐには答えなかった。


 視線だけが少し下がる。


「……受け入れる」


「嫌でも?」


「ものすごく嫌だ」


 即答だった。


「でも、君が選ぶことだから」


「新聞に載りそうですね」


「今日全部言ったから大丈夫だと信じたい」


 私は少し笑った。


 それから、窓の外へ目を向ける。


 三年間。


 私たちは婚約者だった。


 でも本当の意味では、相手を選んだことがなかったのかもしれない。


 決まっていたから隣に立った。


 婚約者だから手紙を書いた。


 婚約者だから夜会で踊った。


 婚約者だから結婚する。


 それは楽だった。


 自分で決めなくていいから。


「エレノア」


「はい」


「すぐに答えを出さなくていい」


 アランが言った。


「婚約を正式に解消するかどうかも、まず両家と話さなければならない。ただ、俺は一度、何も決まっていない状態で君に向き合いたい」


「ずいぶん面倒なことをおっしゃいますね」


「ああ」


「このまま結婚した方が簡単ですよ」


「分かっている」


「それでも?」


「君に選んでほしい」


 まっすぐ言われた。


 胸の奥が、また少しだけ騒がしくなる。


「ずるいですね」


「何が?」


「昨日までほとんど何も言わなかったくせに、新聞に本音を暴かれた途端、そんなことを言うなんて」


「俺もそう思う」


「そこは否定してください」


「事実だから仕方ない」


 私はため息をついた。


 でも。


 嫌ではなかった。


     


 その日の午後。


 両家の父親たちを交えて話し合いが行われた。


 当然、大騒ぎになった。


「婚約を解消したいだと?」


 グレイ公爵が息子を見る。


「はい」


「昨日まで結婚式の招待客について話していただろう!」


「結婚しないとは言っていません」


「ならなぜ婚約を解消する!」


「改めて求婚するためです」


 私の父が額を押さえた。


「若者の恋というのは、こんなに面倒なのか?」


「あなたも昔は似たようなものでしたわよ」


 母が横から言う。


「私は婚約解消などしていない!」


「結婚式の三日前に『本当に私でいいのか』と泣きながら聞きに来たでしょう」


「その話は今しなくていい!」


 私は思わずアランを見る。


 アランも少し笑っていた。


 結局、正式な婚約解消まではしないことになった。


 さすがに両家だけの問題ではなく、王家にも届け出が必要になる。


 五日後に「やっぱり結婚します」と言われても困る、と父たちに止められたのだ。


 ただし。


「婚約は残す。ただし、二人の気持ちについては一度白紙だと思え」


 グレイ公爵がそう言った。


「家として結婚を強制するつもりはない。エレノア嬢が望まないなら、この話はそこで終わりだ」


 父も同意した。


 つまり形式上は婚約者のまま。


 でも結婚するかどうかは、もう一度私が決める。


 妙な状態になった。


     


 帰り際。


 屋敷の玄関で、アランが私を呼び止めた。


「エレノア」


「はい」


「今日はありがとう」


「私はほとんど何もしていませんよ」


「怒って帰らなかった」


「少しは怒りました」


「知っている」


「新聞を見た時は、かなり傷つきました」


 アランの表情が曇る。


「悪かった」


「でも、意味を聞けたので今は大丈夫です」


「そうか」


 私は少し迷ってから言った。


「一つだけ、お願いがあります」


「何だ?」


「次からは新聞より先に私へ言ってください」


「努力する」


「努力では困ります」


「分かった。必ず言う」


「約束ですよ」


「ああ」


 その日はそこで別れた。


 馬車の中で、私はずっと考えていた。


 もし、家同士の約束がなかったら。


 もし今日初めてアランに出会ったのなら。


 私は彼を選ぶだろうか。


 まだ答えは出ない。


 でも少なくとも。


 昨日までより、彼のことを知りたいと思っている。


     


 その夜。


 グレイ公爵家。


 アランは自室で机に向かっていた。


 目の前には、一枚の紙。


 書いては丸め。


 また書いては丸める。


 床には紙の山ができていた。


「若様」


 執事が困った顔で言う。


「明日の朝までに、ごみ箱がいっぱいになりそうですが」


「捨ててくれ」


「何を書いておられるのです?」


「何でもない」


「その『何でもない』が明日の新聞に載らなければよろしいのですが」


 アランの手が止まった。


「……やめてくれ」


「失礼いたしました」


 執事が出ていく。


 アランは深く息を吐いた。


 もう一度、新しい紙を取る。


 書き始める。


『エレノアへ』


 そこまで書いて止まる。


 何をどう書いても、気に入らない。


 結局、紙を置いた。


「手紙では駄目だな」


 誰もいない部屋でつぶやく。


 今日。


 エレノアは、自分で選ぶと言った。


 なら、自分も逃げるわけにはいかない。


 婚約が決まっているからではなく。


 家同士が望んでいるからでもなく。


 自分の言葉で。


 自分の気持ちを伝える。


「明日、エレノアに告白する」


 口に出した。


 それなら新聞には載らない。


 そう思った。


     


 翌朝。


 王都新聞の一面。


『グレイ公爵令息 アラン・グレイ様 本日の本音』


 その下には。


『明日、エレノアに告白するつもりだった。でも今日でもいい気がしてきた』


 と、大きく書かれていた。


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