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毎朝、婚約者の本音が王都新聞の一面に載ります  作者: みき


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第1話 昨日のエレノアの青いドレス、死ぬほど可愛かった

 朝食の席で、父が紅茶を吹き出した。


 向かいに座っていた母が悲鳴を上げ、私は焼いたパンへ塗りかけていたジャムの手を止める。


「お父様。食事中に新聞を読むからです」


「エレノア。今はそんなことを言っている場合ではない」


「では、何が書いてあったのです?」


 父は答えなかった。


 代わりに、手にしていた新聞をゆっくりと折り、私から見えないようにしようとする。


 怪しい。


 非常に怪しい。


「見せてください」


「いや、これはお前が読むようなものでは……」


「王都新聞でしょう? 毎朝届く普通の新聞ではありませんか」


「今日は普通ではない」


 母が父の手元をのぞき込み、今度は口元を両手で押さえた。


「あらまあ」


「お母様まで何です?」


「エレノア。今日は外出の予定はあったかしら」


「午後から仕立て屋へ行く予定ですが」


「今日はやめておきなさい」


「なぜです?」


 答えが返ってこない。


 私は席を立った。


「お父様」


「待て、エレノア。世の中には、知らない方が幸せなこともある」


「昨日、お父様は『知らないことをそのままにするのは良くない』とおっしゃっていましたよね」


「あれは領地の会計の話だ」


「では新聞は例外なのですね」


「そういうわけではないが……」


 私は父の横へ回り込んだ。


 新聞を取ろうとする。


 父が守る。


 伯爵家の朝食の席で、父と娘が王都新聞を取り合うという、とても上品とは言えない争いが始まった。


「少しだけです!」


「今日は駄目だ!」


「余計に気になります!」


「エレノア、やめておきなさい。母として言うけれど、心の準備をしてから読んだ方がいいわ」


「そんなことを言われたら絶対に読みます!」


 最後は母がため息をつき、父の肩をたたいた。


「あなた。もう無理ですわ。見せてあげなさい」


「しかし」


「王都中に配られている新聞なのでしょう? この子だけ隠したところで、今日中に誰かから聞きます」


 父はしばらく迷っていた。


 やがて観念したように新聞を差し出してくる。


「……落ち着いて読め」


「新聞を読むだけですよ?」


 受け取る。


 そして。


 私は止まった。


 王都新聞。


 王国でもっとも多く読まれている新聞である。


 貴族も商人も職人も読む。王宮の出来事から市場の値段、新しい店の話まで、朝になれば王都中へ届けられる。


 その一面。


 本来なら昨日開かれた議会について書かれているはずの場所に、大きな文字があった。


『グレイ公爵令息 アラン・グレイ様 本日の本音』


 その下。


 さらに大きな文字。


『昨日のエレノアの青いドレス、死ぬほど可愛かった』


「……」


 私は一度、新聞を閉じた。


 開く。


 やはり書いてある。


 もう一度閉じた。


「エレノア?」


「少々お待ちください」


 目を閉じる。


 昨日のことを思い出した。


 王宮で夜会があった。


 私は青いドレスを着た。


 婚約者であるアラン・グレイ公爵令息にも会った。


 彼はいつもの無表情で、私を上から下まで一度見た。


 そして言った。


『新しいドレスか』


『はい。いかがでしょう?』


『悪くない』


 以上。


 本当に、それだけだった。


 私はもう一度新聞を開いた。


『死ぬほど可愛かった』


 私は静かに父を見る。


「偽物では?」


「本物だ」


「王都新聞が、公爵家のご令息を使って冗談を?」


「私もそう思って、さっき使いを出そうとしていたところだ」


 その時、玄関の方から大きな音がした。


 続いて使用人の声が聞こえる。


 何やらかなり慌てている。


 数十秒後、食堂の扉が開いた。


「お嬢様。グレイ公爵家のアラン様がお見えです」


「朝から?」


「はい。それが……非常にお急ぎのようで」


 私は新聞を見る。


 両親も新聞を見る。


 そして三人そろって扉を見た。


「お通しして」


「かしこまりました」


 ほどなくして、アランが現れた。


 黒い髪。


 灰色の瞳。


 背が高く、いつ見ても姿勢が良い。王都では「笑えば女性が倒れる」とまで言われているらしいが、そもそもほとんど笑わないので確かめようがない。


 今日はいつも以上に顔が固かった。


「おはようございます、アラン様」


「おはよう、エレノア」


「ずいぶん早いですね」


「ああ」


「新聞はご覧になりました?」


「……見た」


 私は新聞を持ち上げた。


「死ぬほど?」


「読むな」


「もう読みました」


「忘れてくれ」


「王都中に配られておりますよ」


「知っている」


 アランは私の父へ向き直った。


「伯爵。朝早くに申し訳ありません。エレノアを少しお借りしてもよろしいでしょうか」


「もちろんだ」


 父は即答した。


「お父様?」


「若い二人で話した方がいい」


「先ほどまで新聞を隠そうとしていたのに」


「状況が変わった」


 両親は明らかに面白がっている。


 私はため息をつき、アランとともに客間へ移った。


 扉が閉まる。


 二人きりになったところで、私は新聞をテーブルへ置いた。


「それで?」


「俺にも分からない」


「何がです?」


「なぜ新聞に載ったのかだ」


「書かれている内容については?」


 アランが黙る。


「アラン様」


「……その話は後にしてくれ」


「つまり、書かれていることは本当なのですね」


「後にしてくれと言った」


 珍しい。


 耳が少し赤い。


 三年間婚約しているが、彼がこんな顔をするのを私は初めて見た。


「昨日は『悪くない』としかおっしゃいませんでしたけれど」


「そうだな」


「心の中では『死ぬほど可愛い』と?」


「エレノア」


「何でしょう」


「楽しんでいるだろう」


「少し」


「正直だな」


「新聞に本音を載せられるよりは良いでしょう」


 アランが深く息を吐いた。


 そこへ、家令が慌てて入ってきた。


「失礼いたします。王立魔法局から使者がお見えです。アラン様とエレノア様に至急お話があるとのことですが」


 私たちは顔を見合わせた。


「魔法局?」


 アランが立ち上がる。


 すぐに魔法局の役人が通された。


 五十歳ほどの小柄な男性で、額に汗を浮かべている。


「グレイ公爵令息、ベルフォード伯爵令嬢。このたびは誠に申し訳ございません!」


 入ってくるなり、深く頭を下げられた。


「何のことでしょう?」


 私が聞くと、役人は顔を上げた。


「今朝の王都新聞についてでございます」


「やはり魔法が関係しているのですか?」


「はい。昨日、王立魔法局と王都新聞社が共同で、新しい魔道印刷機の試験を行っておりました」


 嫌な予感がする。


「その魔道印刷機というのは?」


「本来は、取材した者の言葉を自動で文字へ変換し、記事を早く作るための道具です。ところが夜中に魔力が暴走し、王都の一部にいる人間の強い思考を拾ってしまったようでして……」


 私はゆっくりアランを見る。


 アランは役人だけを見ていた。


 頑としてこちらを見ない。


「つまり」


「はい」


 役人がさらに頭を下げた。


「昨夜、アラン様がもっとも強く考えていたことが、新聞の一面に印刷されてしまいました」


 沈黙。


 私は新聞を見る。


『昨日のエレノアの青いドレス、死ぬほど可愛かった』


 再びアランを見る。


 今度は耳だけではない。


 首まで赤くなっていた。


「……もっとも強く?」


 私は確認した。


「はい」


「昨日の夜、アラン様が考えたすべてのことの中で?」


「はい。そのように記録されております」


「そうですか」


「エレノア」


「何でしょう?」


「その顔をやめろ」


「普通の顔です」


「違う」


 どうやら私は笑っていたらしい。


 でも仕方がない。


 三年間、どんなドレスを着ても「似合っている」「悪くない」程度しか言わなかった男が、頭の中では「死ぬほど可愛い」と考えていたのである。


 笑わずにいられる方が難しい。


「では、機械を止めれば解決ですね」


 私は役人へ言った。


 ところが。


 役人の顔がさらに青くなった。


「それが……大変申し上げにくいのですが」


「何だ」


 アランの声が低くなる。


「昨夜の暴走で魔道印刷機とアラン様の魔力が一時的につながってしまったようなのです」


「切れ」


「現在、全力で作業しております。ただ、無理に切断するとアラン様の魔力に影響が出る可能性がございまして」


「どのくらいかかる」


 役人は小さな声で答えた。


「五日ほど」


 アランが固まった。


 私は意味を考える。


「では、その五日間は?」


「毎朝、前日にアラン様がもっとも強く思った本音が、一文だけ王都新聞へ掲載される可能性がございます」


「可能性?」


「ほぼ確実に」


「新聞社に印刷させなければいい」


 アランが即座に言った。


「それも試しました。しかし魔道印刷機が勝手に紙面を書き換えるようで……。今朝も記事を作った記者たちは誰一人、この文章を書いていないそうです」


「新聞そのものを休刊させろ」


「王都新聞は王国の公報も兼ねておりますので、五日間止めるのは難しく……」


「買い占める」


「毎朝三万部ほど刷られます」


「全部買う」


「王都以外にも送られます」


「……」


 珍しくアランが完全に言葉を失った。


 役人は何度も謝りながら帰っていった。


 客間には私たち二人だけが残る。


 テーブルの上には新聞。


 あと五日。


 毎朝。


 アランの本音が一つずつ、王都中へ知らされる。


「大変ですね」


「他人事だと思っているだろう」


「私の本音は載りませんから」


「そうだな」


「ところで」


「何だ」


 私は新聞の一面を指さした。


「青いドレス、本当にそんなに良かったのですか?」


「……」


「今なら新聞ではなく、本人へ直接伝えられますよ」


 アランはしばらく私を見ていた。


 そして、諦めたように息を吐く。


「似合っていた」


「それは昨日聞きました」


「とても似合っていた」


「新聞とずいぶん差がありますね」


「これ以上は言わない」


「死ぬほど?」


「エレノア」


 ついに私は声を出して笑ってしまった。


 アランはものすごく嫌そうな顔をしたが、怒ってはいなかった。


「明日の新聞が楽しみですね」


「俺は今日一日、何も考えないことにする」


「できます?」


「やる」


「今は何を考えています?」


「言わない」


「では、明日の朝まで待ちます」


「……君は楽しんでいるな」


「はい」


 その時。


 窓の外から、新聞売りの少年の声が聞こえてきた。


「号外ですよー! グレイ公爵令息の本音が一面です!」


 アランが勢いよく窓へ振り返る。


「号外まで出したのか!?」


 私はまた笑った。


 彼にとっては最悪の五日間になるのかもしれない。


 けれど私にとっては。


 三年間婚約していても、何を考えているのかよく分からなかった人の本音を、初めて知る五日間になる。


 その時の私は、まだ知らなかった。


 翌朝の新聞を読んで、今度は私の方が笑えなくなることを。


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