ちくわ漁師のお兄さん①
「えー、皆様。あれが我が村が誇る伝統文化、『天然ちくわ』の漁場でございます!」
拡声器を持ったガイドの声が、潮風に乗って響き渡る。
早朝の波止場には、色とりどりのウィンドブレーカーを着込んだ観光客たちがずらりと並び、一斉にスマートフォンを海に向けていた。
彼らの視線の先、荒波が打ち寄せる岩場に立つ男がひとり。
ねじり鉢巻に筋肉質な上半身を惜しげもなく晒し、腰には年季の入った「ちくわ籠」をぶら下げている。
彼こそが、この村で「ちくわお兄さん」の愛称で親しまれる、代々続く天然ちくわ漁師の三代目、竹輪海太郎であった。
この村において、ちくわは魚でもなければ練り物でもない。
ましてや植物などでもない。
「穴を持って生まれた海の恵み」として、古くから神聖視されている完全なる天然素材である。
海中を回遊するちくわの群れは秋口になると適度に焼き色がつき、身が引き締まる。
それを一本一本傷つけずに生け捕りにするのが、海太郎たち「天然ちくわ漁師」の使命なのだ。
「海太郎さーん! こっち向いてー!」
黄色い声援が飛ぶ中、海太郎は鋭い眼光を海面へ向けたままピクリとも動かない。
彼の手には特注の「ちくわ竿」が握られている。
糸の先についているのは鋭い釣り針ではない。
ちくわの穴の直径にぴったりと合わせた精巧な円柱状のルアーである。
これを海中のちくわの穴にズボッと挿入し、内側の摩擦力だけで引っこ抜くという神業。
これこそが伝統漁法『穴合わせ釣り』だ。
だが、海太郎の額には、粒の汗がにじんでいた。
(おかしい……。今年のちくわは警戒心が異常だ……!)
すでに日の出から二時間が経過しているというのに、アタリはおろか海面からちくわの香ばしい匂いすら漂ってこない。
例年であれば今頃は籠から溢れんばかりの新鮮なちくわが水揚げされているはずなのに。
「どうした海太郎。腕が鈍ったか」
背後から低くドスの効いた声がした。
振り返ると、岩に腰掛け、生ちくわを丸かじりしている屈強な老人がいる。
海太郎の師匠であり、二代目ちくわ漁師である父、磯太郎だ。
「親父……違うんだ。今年の群れは、ルアーの気配を完全に読んでいる。穴をキュッとすぼめて、絶対に挿入させないんだ!」
「馬鹿野郎」
父は食べかけのちくわを海へポイと投げ捨てた(それは海鳥が見事に空中でキャッチした)。
「お前はルアーのテクニックばかりに頼っている。だからちくわに見透かされるんだ。いいか、海太郎。ちくわの気持ちになれ。己の内に空洞を持て!」
「ちくわの気持ち……己の内に空洞を……?」
海太郎は目を閉じ、打ち寄せる波の音に耳を澄ませた。
ザパーン。
ザパーン……。
波の音に混じって微かに聞こえる海中のざわめき。
ちくわ達が己の穴の美しさを誇示し合いながら回遊しているビジョンが脳裏に浮かぶ。
(なぜ、彼らは体に穴を開けているのか? )
(それは海流を通し、世界と一体化するためではないのか?)
ならば、俺がすべきことは、ルアーを無理やりねじ込むことではない。
「……そうか。俺自身が、ちくわになるしかないんだ」
海太郎はカッと目を見開いた。
彼は竿を乱暴に岩場へ放り投げると、腰の籠から昨晩とれたばかりの特大ちくわを取り出した。
そしてそれを自らの口にガッチリと咥え込んだのである。
「えっ……? ちょっと、お兄さん何してるの?」
「なんか急にちくわ咥え始めたんだけど……ヤバくない?」
観光客たちがざわめき始め、スマートフォンの録画ボタンを押す指が震える。
海太郎は構わず、肺の底まで空気を吸い込んだ。
己の食道、気管、そして口に咥えたちくわの穴。
それらすべてを一直線に繋ぎ、ひとつの巨大な空洞、すなわち『完全なるちくわ』と化したのだ。
そして海に向かって全身全霊で息を吹き込んだ。
「ぷおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
トロンボーンと象の鳴き声を足して二で割ったような、マヌケ極まりない重低音が波止場に轟いた。
「ひっ!」
「な、何あの音!?」
観光客たちが恐怖と戸惑いで後ずさり完全にドン引きする中、海太郎はひたすらに吹き続けた。
「ぷおおおおおおおおん! ぷるるるるるるん!!」
それはちくわへの愛の調べ。
あるいは穴と穴の共鳴現象。
すると、海面に異変が起きた。
ゴゴゴゴゴ……という地鳴りのような音と共に、波が白く泡立ち始めたのだ。
「なんだ!? 海が……!」
ガイドが指さした先、海面が大きく盛り上がり、やがてズバァァァァン!!という轟音と共に、巨大な物体が空高く飛び出した。
「な、なんだあれは!?」
「でけええええええ!!」
全長およそ180センチ。
完璧な焼き色と美しい円筒形。
表面には黄金色の油が輝き、中央には大人がすっぽり入れるほどの見事な穴が開いている。
伝説にしか登場しない、ヌシクラスの超絶巨大ちくわであった。
巨大ちくわは空中で美しい弧を描くと、自ら進んで海太郎に飛びかかり、彼の体にすっぽりとハマった。
海太郎はちくわの穴の中で、渾身のガッツポーズを決めた。
「獲ったどーーーーーっ!! これぞ、天然モノの横綱ちくわだ!!」
波止場はドン引きから一転、割れんばかりの拍手と大歓声に包まれた。
観光客たちは感動の涙を流し、スマートフォンで奇跡の瞬間を激写している。
海太郎もちくわに包まれたまま、誇らしげに胸を張った。
そこへ父・磯太郎がゆっくりと歩み寄ってきた。
父は巨大ちくわの表面をペチペチと叩き、その弾力を確かめる。
そして真剣な表情でちくわの穴に顔を近づけ、匂いを嗅いだ。
ゴクリと息を呑む海太郎。
果たして、師匠の評価は——。
「……まだまだ若いな、海太郎」
「えっ?」
「身の締まり、焼き色、そしてこの穴の絶妙な反響音……。食うには少し大味すぎる。これは『笛用』だ」
「ふ、笛用!?」
数日後。
村の中心にある村役場では、毎朝八時三十分になると、町内放送のスピーカーから奇妙な音が鳴り響くようになった。
『ぷおおおおおおおおおおお〜〜〜〜〜♪』
海太郎が釣り上げた巨大ちくわに村長が直接息を吹き込んで鳴らす、渾身の始業チャイムである。
今日も村人たちは空から降り注ぐマヌケなちくわの音色を聞きながら、「今日も一日がんばろう」と生ちくわをかじるのであった。




