第4話 債務超過の宣告
会議室の扉が開いた瞬間、僕は思わず息を呑んだ。
窓から差し込む斜めの陽光を浴びて、金の髪がふわりと揺れる。
腰まで届く長い髪。透き通った紫水晶のような瞳。
深い紫のドレスに、ウエストや袖口を縁取る金糸の刺繍。
派手じゃない。
なのに、静かな威厳と品の良さだけで場の空気が変わる。
ひと目で、この街の誰よりも“特別”だと分かった。
(……すごい。こういう人がいるんだ)
僕より少し年上――おそらく二十代後半。
ロアンが呼んだ“目利きができる商人”。この街を代表する商会の当主が、たぶん彼女だ。
そう思った瞬間、尊敬と、場違い感と、よく分からない憧れがまとめて胸に押し寄せた。
奥でふんぞり返っていたロアンが、顎をしゃくる。
「おう。来たか」
金髪の女性が、護衛らしき男を二人背に従えたまま会釈した。
「はじめまして。エルドレッサ商会の商会長、セラフィナ・エルドレッサです。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
落ち着いた声なのに、よく通る。
「あ、はい。アラタといいます。こ、このギルドで……その……」
噛んだ。
自分でも分かるくらい声が上ずり、慌てて頭を下げる。
「セラフィナが美人だから緊張してるのか?」
ロアンがニヤニヤしながら余計な一言を差し込む。
「い、いえ! ――いや、そういう意味じゃなくて……」
「ふふっ。素直な方なのですね。よろしくお願いします、アラタ」
責めるでも、からかうでもない。
その柔らかな笑みに、少しだけ緊張がほどけた気がした。
* * *
席には、ロアン、ミーナ、受付職員、倉庫番、古株の冒険者たち──ギルドの中心人物が揃っていた。
そこに、街の大商会の当主までいる。
今日の会議が“ただ事じゃない”のは、誰の目にも明らかだ。
ロアンが机の上の封筒を指で叩く。
ギルド本部・査察局の印章が押された封筒。
「本部から査察が来るのは三日後だ。
在庫の保管状況、それから依頼と支払いの記録を重点的に見るって話だ」
ざわめきが走る。
ミーナが不安そうに僕の方を見た。
「……そこでだ」
ロアンが、僕を顎で指した。
「この一週間、こいつに帳面と現物を洗いざらい見せて、まとめさせた。
今日は、その結果を確認する」
視線が一斉に集まる。胃がきゅっと縮む。
(大丈夫、いつもの経営者への報告と同じ――相手がギルドってだけだ)
深呼吸して、机の上に広げた紙束に手を置いた。
「……では、説明させていただきます」
この一週間でやったことは一つ。
ギルドが「何を持っていて」、そして「誰にいくら返さなきゃいけないのか」──全部洗い出す。
「これが、“ギルドの全体図”です」
机の中央へ、薄い板に綴じた紙を差し出した。
左右に二つの列。
左――「現金」「在庫」「備品」「冒険者への貸付」。
右――「預り金」「本部への未払」「職員への未払」「他商会からの借入」。
それぞれの項目の右側に、数字が並んでいる。
ロアンが頭をかきながら覗き込む。
「なあアラタ。これ、結局なんなんだ?」
「持っているものと、返さなきゃいけないものを、全部並べた一覧です。
僕の国では【貸借対照表】と呼びました。――“財産と借金の一覧表”だと思ってください」
今までの査察は、金庫と倉庫を覗き、札を確認して終わりだったらしい。
けれど、それだと“いま何枚あるか”は分かっても、“これから何枚出ていくか”が見えない。
僕は右側の列を指でなぞった。
「例えば、この『預り金』。依頼を受けたときにもらう前金ですよね」
「ああ。途中で依頼人が取りやめたときなんかは、状況次第でいくらか返したり、返さなかったりだが……」
「はい。その“状況次第”も含めて、ギルドが返さなきゃいけない可能性がある金額を、全部足しました」
その一言で、室内の空気がわずかにざわつく。
「今、金庫にあるお金じゃなくて、将来返すかもしれない分を全部?」
受付の一人が恐る恐る尋ねる。
僕は頷き、次に「本部への未払金」の欄を叩いた。
「それから、ここ。ギルド本部に納めるはずだった上納金のうち、後回しにしていたもの。
査察局の通達にも、“過去数年分の納入状況について確認する”ってありましたよね」
ロアンの眉がぴくりと動く。
「……ああ。あれはまあ、いろいろ事情があってだな」
「事情があっても、本部から見れば“まだもらってない金”です。
つまり、ギルドから見れば“まだ払ってない金”。だから、ここに全部並べました」
セラフィナが、そこで初めて口を開いた。
「この『他商会からの借入』というのは?」
彼女の指先が、ある数字の横で止まる。
エルドレッサ商会とは別の、小さな地方商会の名前が添えられているところだ。
「以前このギルドが資金に困ったときに、縁のある商会から借りたお金だそうです。まだ全額は返せていません」
数人の古株の冒険者たちが「ああ、あのときのか」と頷いた。
「……なるほど。つまり、ここに書いてあるのは“今まで曖昧にしてきた借り物”の一覧、というわけですか」
セラフィナの声は、静かだがよく通る。
観念したようにロアンが鼻を鳴らした。
「まあ、そういうこったな。で、結局どうなんだ?」
その問いを待っていた。
何度も計算し、何度も見直した数字。その結果を、ここで初めて口に出す。
「左側──“ギルドが持っているもの”の合計は、おおよそ金貨550枚です」
紙の左側、合計欄を指で叩く。
そこに書かれた数字を見て、ミーナが小さく息を飲んだ。
決して少ない額ではない。
普通の人間から見れば、十分すぎるほどの財産だ。
「一方、右側──“ギルドが返さなきゃいけないもの”の合計は……おおよそ金貨650枚」
今度は右側の合計欄を示す。
左側よりも、はっきりと──決して無視できない差で大きい数字。
僕は、喉の渇きをごまかすように唾を飲み込む。
そして、ギルドの全員に向かって、はっきりと言った。
「結論としては、このギルドは──資産よりも負債が多い【債務超過】です。
そして、資金が尽きるのは時間の問題です」
言葉を区切り、一拍おいてから続ける。
「つまり、このままだと……潰れます」
その瞬間、誰かの椅子がぎぃ、と大きな音を立てた。
沈黙の中心で、エルドレッサ商会の若き商会長が、じっと僕を見つめていた。




