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第3話 棚卸し地獄

査察まで、十日。


倉庫の扉が軋んで開くと、鉄と革と埃の匂いが鼻を刺した。

ギルドの奥の倉庫は、思った以上に広く、壁一面に剣や槍、盾や鎧が並ぶ。

柄やベルトには小さな木札がぶら下がっていた。


「この棚は預かり武具です。遠出の間だけ置いていく方が多くて」


ミーナは木札を一本抜き、中央の割れ目を指さした。


「名前と中身を刻んで、刻み目で数を付けてから、パキっと割るんです。

 長い方はギルド、短い方は本人。引き取りのとき、ぴったり合うか確かめます」


――これが、割符。


原始的だが、理にかなっている。

割れ目と傷は“鍵”だ。適当に真似しても同じ形にはならない。


ふと、棚の奥に、空気の重い一角があるのに気づいた。

古びた剣や革鎧がひっそりと並び、木札の文字も薄れかけている。


「……それは、任務中に行方不明になった方たちのものです。

 持ち主が帰ってこないので、勝手に売るわけにもいかず……」


行方不明――この世界では、それは“死んだ”と同義だ。

埃をかぶった装備品は、ここがただの倉庫じゃないことを訴えていた。


そして同時に――

そんな重みのある「預かり武具」と、売るための「在庫」が、同じ部屋のあちこちで無造作に混ざっている。


(……最悪だ)


横流し事件の話が、急に現実味を帯びてくる。


預かり武具は“ギルドの在庫”じゃない。

混ざった時点で“事故”になる。


「ひとまず、“預かり武具”と“ギルドの在庫”は分けましょう。

 混ざってると、何が売っていい物なのか分からなくなります」


「わ、分かりました!」


ミーナも分かっている。

預かり品が一つでも消えれば、終わりだ。


* * *


別の木箱を開けると、細長い板がぎっしり詰まっていた。

表に冒険者の名前、裏に数字。線で削って増減が刻まれている。


「前に貸した分を、報酬から少しずつ引くんです。

 生活費がきついから、先に貸してくれって人が多くて……」


その隣には、くたびれた革表紙のノート。

日にちと金額、『依頼人から』『報酬』『馬車代』……ロアンの“金勘定メモ”だ。


流れはある。

でも全体がない。


――一枚で見える図が、このギルドには存在しない。


(“帳簿”がない。……言葉だけじゃなく、発想そのものがない)


だからこそ、僕が作らないといけない。

いまのギルドの“姿”が見える見取り図を。


* * *


それから数日間、ギルドの裏方は戦場になった。


「アラタさん、この札、“ブラドの毛皮”って書いてあるんですけど、現物が見当たらなくて……!」


「現物がないやつには印を。あとで本人に確認します。いまは“分からない”ままでいいです」


紙の枚数が足りず、裏紙まで総動員。

誰かがインクが切れたと叫べば、ミーナが息を切らして雑貨屋へ走る。

倉庫番は苛立ち、受付の子は泣きそうになり――それでも手は止まらない。


(事前準備なしの棚卸しって、こんなに地獄だったっけ……)


元の世界なら、少なくとも一覧表という“スタート地点”があった。

ここには、それすらない。ゼロから拾い集めるしかない。


それでもミーナは汗をにじませ、札を仕分けていく。


(そうだ。これは、ただの帳簿づくりじゃない)


札の向こうには、冒険者たちの生活がある。

ミーナや受付の子たちの給料がある。

ロアンが、なんだかんだ守ってきた、このギルドの日常がある。


監査法人にいた頃だって、期限までに監査の調書がまとまらず、朝まで数字とにらめっこになる“地獄”なんて珍しくなかった。


――地獄そのものは、怖くない。

怖いのは、地獄のあとに残る「結果」だけだ。


どこか懐かしく思っている自分がいて、気づけば口元がわずかに緩んでいた。


* * *


「アラタさん、この鉄鉱粉、単価はいくらで書けばいいんでしょう……?」


「仕入れ値は分かりますか?」


「昔は一袋500リルって聞きましたけど、最近は……“300リルでも買ってくれたらいい方だ”って……」


“リル”はこの国の通貨単位だ。値段は基本的にリルで付く。

銅貨1枚が100リル。100リルに満たない端数は小銅貨や小さく割った鉄片で合わせる。

銀貨1枚は千リル、金貨1枚は一万リルだ。


銅貨1枚でパンが2個買える。――なら、鉄鉱粉1袋300リルは、銅貨3枚、パン6個分といったところか。


僕は紙に『鉄鉱粉 20袋×300リル(最近の相場)』とメモした。


「本当は、買ったときの値段が分かるのが一番なんですけど……。

 今は、“今いくらで売れそうか”でそろえましょう。

 最近の取引で“確かにその値段だった”と言える金額だけを使ってください」


そう言いながら、自分の言葉の重さに、少し胃がきゅっとなる。


紙の上の数字を作るために、みんなの頭の中にある“記憶”を無理やり引きずり出している。

元の世界で言えば、ギルドの【企業価値(バリュエーション)】――その土台を決める手続きだ。


「じゃあ、この“去年の冬から売れてない毛皮”は……」


倉庫番が、積まれた毛皮の束を指さした。


「虫も入ってるし、正直、もう誰も欲しがらねぇ」


僕は一覧の端に『旧毛皮 在庫あり(ほぼ無価値) 1リル』と記す。


傷んだ在庫も、眠ったまま売れる当てのない在庫も、“金にならない”なら、価値ほぼゼロとして評価する。


それを見た倉庫番の顔色は、はっきりと曇った。


「そんなもんかよ……」


「すみません」


「いや、謝るこたねぇ。現実がそうなら、そうなんだろ」


誰かの頑張りを、残酷な数字に置き換える。

それが会計士の仕事だ。


でも、“何も分からない”よりは、ずっとマシだ。


誰かが「分からない」と首を振れば、そこには“空欄”の印をつける。

決して、想像で埋めない。


監査法人で叩き込まれた、一番地味で一番大事なルールだ。


* * *


査察が五日後に迫った、何日目かの夜。

ギルドの小さな会議室の机の上に、僕は紙束を並べていった。


わずかな現金の集計表。

在庫の一覧。

冒険者への貸付。

依頼人からの預り金。

本部への上納金。


まだ空欄だらけで、仮の評価ばかり。

それでも、輪郭は見えてくる。


現金、在庫、貸付。――そして預り金、未払いの上納金と給料……。


ギルドの財産と借金を全部並べた、【貸借対照表(バランスシート)】の原型だ。


(……思っていた以上に、余裕がない)


喉の奥がからからに乾いた。

数字は、容赦なく現実の輪郭だけを描く。


「アラタさん……」


振り向くと、扉のところにミーナが立っていた。

目の下には、僕と同じようにうっすらとクマができている。


「どう、ですか……?」


僕は息を吐いて、正直に言った。


「……楽観はできません。

 でも、“どれくらい危ないか”は、見え始めました。

 あとは、この数字を見て、どうするかを決めるだけです」


それは、僕一人の仕事じゃない。

ロアンが、そしてここで働く人たちが決めなければならない。


「明日、ロアンさんに途中経過を説明します」


ミーナは小さくうなずいた。

その仕草が、妙に頼もしかった。


* * *


翌日。


ロアンは紙束を前に渋い顔をしていたが、説明を聞き終える頃には腕組みを解いていた。


「……つまり、今のローレンツァ支部は、首の皮一枚で立ってる。そういうことだな?」


「大雑把に言えば、そんな感じです」


ロアンはふっと笑い、それから真顔に戻る。


「……よし。分かった。

 この紙束を、俺だけで抱え込んでたら意味がねぇ。ギルド会議を開いて対応を協議する」


僕は一つ、お願いをぶつけた。


「在庫の目利きができる、信頼できる商人を呼んでもらえませんか?」


「商人だと?」


「はい。僕には倉庫に眠っている在庫の“本当の値打ち”がわかりません。

 けど商人なら――売れる道を見つけられるかもしれない」


棚卸しの最中、倉庫番がぼやいていた。

埃をかぶった在庫が、思いがけず高値で売れたこともあるらしい。


だが、それを掘り当てるには――まず在庫を「見せられる形」に揃えなきゃならない。

これまでは、手間をかけてまで誰も倉庫の奥を掘り返そうとしなかった。


けれど、今は違う。

職員総出で数日かけて棚卸しをして、隅々まで引っ張り出した。

これだけあれば――掘り出し物が混じっていても、おかしくない。


「……わかった。明日の午後だ。

 職員は全員、冒険者の代表も数人。あとは……」


ロアンは紙に何人かの名前を書き連ねる。

その先に書かれた名前を、僕はまだ知らなかった。


「お前も来い、アラタ。

 この数字を一番まともに説明できるのは、お前だ。分かるやつが前に立って喋れ」


喉が渇く。

それでも、逃げる気にはならなかった。


* * *


会議当日。


ギルド二階の大会議室は、いつもと違うざわめきに満ちていた。

受付の職員、倉庫番、そして古株の冒険者たち。


長机の中央には、ロアンが腕を組んで座っている。

僕は入口近くで深呼吸を繰り返しながら、その光景を眺めていた。


(……これ、完全に決算説明会じゃないか)


ここで間違えたら、自分のボーナスが減るどころじゃない。

ミーナたちの給料と、ギルドの明日そのものが吹き飛ぶ。


「アラタさん、大丈夫ですか?」


隣で、ミーナが心配そうに覗き込んでくる。

彼女も髪を整え、いつもより少しだけきっちりした服装だ。


「……正直、胃が痛いです」


「わたしもです」


二人で顔を見合わせて、少しだけ笑う。


そのときだった。


「――お待たせしました」


澄んだ声が、会議室の入口から響き、その場の空気が一瞬で張り詰めた。

反射的にそちらを向いた僕は、言葉を失った。


――そこには、とんでもない美人が立っていた。

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