第26話 無傷の木札
新しい方針を決めてから、約半月。
その半月、グラスホークは“地味な依頼”を、あえて選んで回した。
村への護衛。荷車一台。道はいつも通りで、魔物も出ない。
「……拍子抜けだな」
バルグが肩を回す。
その背中の盾は――今回は、無傷だった。
「鎧も盾も無傷。矢も減ってない」
メリスが指を立て、紙に目を落とす。
「残り、金貨2枚半。二日でこれは悪くないわ」
次は薬草採取。半日で終わる。
変動費はほぼゼロ。
アイナは最初こそ不満そうだったが、受付でミーナが金貨を数える指先を見て、口をつぐんだ。
派手な討伐より、報酬はずっと少ない。
でも――手元は着実に増えている。
「……今月、前借りの木札、まだ割ってませんね」
ミーナが小声で言う。
その一言に、リオットの肩がふっと軽くなる。
「……“息をしてるだけで消える金”を、先に埋める。だっけ」
アイナが自分に言い聞かせるように呟いた。
「分かってる。分かってるけど――」
ギルドの掲示板には、今日も赤枠が貼られている。
派手な討伐。大きな報酬。
それを見ないふりして通り過ぎるたびに、胸の奥がちくりと痛んだ。
(……これで、ほんとに強くなれるの?)
そんな迷いが、顔に出ていたのかもしれない。
* * *
別の日。
薬草の籠を抱えたアイナが一人、納品のために受付へ向かうと、背後からわざと肩がぶつかった。
「……おっと、悪い悪い。ん? アイナじゃねえか」
振り向くと、胸に“炎の狼”の紋章を縫い付けた四人組――同じC級パーティ「ブレイズウルフ」。
先頭の長剣士ディーンが、籠の中身を覗き込んで口元を歪めた。
「また薬草採取かよ、落ちぶれたな。前はロックリザードだの、派手な依頼ばっかだったろ?」
後ろの仲間が、わざと周囲に聞こえる声で笑う。
「戦えねぇ雑用係とつるんで、グラスホークは“草むしり専門”になったのかぁ?」
ひそひそ、という笑いが周りに広がる。
周囲の視線が、いっせいにアイナへ集まった。
アイナの肩が、わずかに震える。
……その瞬間、その光景を眺めていた僕の中で何かが、ぷつんと切れた。
僕は持っていた書類を、無造作に机に置き、嘲笑を浮かべている男たちを真っ直ぐに見据えた。
気づけば、口が勝手に動いていた。
「……数字も見ずに笑う人ほど、足元を掬われるんですけどね」
ギルドの喧騒を切り裂くように、僕の声が響いた。
「……派手な獲物を狩ることだけが、冒険者の強さじゃない」
「は?」
ディーンが僕を睨みつける。
それでも僕は視線を逸らさない。
「数字も見ずに見栄だけで戦って、気づいたら破産して引退……。
そんな末路を辿りたくなければ、他人を見て笑う暇なんてないと思いますけどね」
そこまで言って、自分でも言い過ぎたかと少しだけ冷や汗がにじむ。
それでも、引く気はなかった。
「……アラタ」
隣で、アイナが小さく僕の名を呼んだ。
「行きましょう。控室、借りてるんでしょ?」
彼女はひとつ息を吐き、僕の袖を軽く引いた。
そのまま人目を避けるように廊下へ出る。
背後で、ディーンが舌打ちする音がした。
* * *
「……ありがと。かっこよかったわよ、今の」
言い切った瞬間、彼女はふいっと視線を逸らす。
その横顔は、どこか気恥ずかしそうで──それでいて、少しだけ嬉しそうにも見えた。
控室に戻ってもしばらく、アイナは何も言わなかった。
ただ、短く息を吐いて――それから、ぽつりと言った。
「……ああやって笑われるとさ。一瞬、“やっぱりド派手なクエストに戻ろうか”って思うのよ」
机の上には、今月のクエスト一覧。
僕とリオットがまとめた、簡単な“報酬と残り”の表が広がっている。
「“グラスホークが草むしり専門になった”なんて、冗談でも言われたくない」
そう言いながらも、アイナは視線を紙に落とした。
「――でも、今のやり方を始めてからまだ前借りの木札を割ってない」
静かな声。
「ギルドの前借りの木札に、一度も名前を刻んでない。
それくらいの変化は……信じてみてもいいでしょ?」
その言葉に、胸の奥がふっと温かくなった。




