第20話 小さな財布の大きな穴
金貨30枚を稼いで帰ってきても、装備の修理とポーションで消える。
足りなければ前借りして、十日ごとに“感謝”が増える。
「そ、それで……返すのが遅れるほど、また……」
ミーナは申し訳なさそうに目を伏せる。
「十日を越えたら、また銀貨1枚です。だから皆さん、だいたい“残りの報酬”が出たら、すぐ返します」
「……なるほど」
胸の奥がざわつく。
利子という言葉を避けている理由も、なんとなく分かった。
この世界では、あくまで“感謝”として扱うしかない。
でも――名前を変えても、現実は変わらない。
(踏み倒しは……まず無理だな)
前借りを踏み倒した冒険者は、名前が広まり、依頼主も宿も店も、誰も相手にしなくなる。
冒険者にとって信用は、剣や鎧と同じ――命綱だ。
……だから、返す。
返す前提なら、この“上乗せ”はやっぱり高い。
けれど。
(死んだら……返せない)
冒険者は、ある日突然帰ってこなくなる。
その瞬間、木札の向こう側にいるのは“故人”で、金貨は回収不能。
(ギルドが損をかぶる。……危険料としては、まあ……)
貸す相手が“命を賭けて稼ぐ人間”である以上、貸す側も無傷ではいられない。
そしてギルドの金庫も、無限じゃない。
(……仕方ないのか。命の仕事に金を前渡しするって、そういうことだ)
僕は小さく息を吐いた。
ミーナは周囲を一度だけ見回し、ひそひそ声をそこで断ち切った。
次の瞬間には、いつもの受付の顔に戻っている。
「……こほん。アイナさん、内容を確認して、署名だけお願いします」
ミーナは木札をアイナの前へ、そっと滑らせた。
アイナが木札の最下段に、さらさらと自分の名前を書き込む。
「じゃあ、割りますね」
ミーナが木札の中央にナイフを入れてパキンと割る。
短い方がアイナへ渡された。
「……はい、控えです」
木片を握りしめ、アイナは小さくため息をついた。
「感謝料だかなんだか知らないけど、これでまた余計な出費が増えるわけ」
そして、テーブルの上の小銭を両手ですくい上げる。
「ねぇ、なんかおかしいと思わない?
こうやって必死で稼いでるのに、なんで毎月、こんなにギリギリなのかって話!」
じゃらじゃら、と心許ない音がする。
「パーティのランクだって、この街の中じゃ悪くないほうでしょ?
危険な森の奥にも行くし、報酬もそこそこデカいはずなのよ。
それなのに、今月も“宿が一日延びたら詰む”みたいな生活なんて」
「……それは、確かに」
僕は真面目に頷いた。
彼らの実力は、僕でもわかる。なのに、現実の生活は火の車だ。
「やっぱりポーション代が高すぎるんだって。あのエルドレッサ商会、絶対ぼったくってるわよ」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が、ぴくりと反応した。
(エルドレッサ商会が“ぼったくり”……?)
ついこの間、商会長セラフィナとの距離が近づいた場面が、鮮明によみがえる。
「……っ」
思い出しただけで、自分でも分かるくらい顔が熱くなる。
「あら?」
目ざといアイナが、じとっとした視線を向けてくる。
「何、その顔。『エルドレッサの薔薇』のこと、思い出してたでしょ」
エルドレッサの薔薇。
セラフィナは、この街でそう呼ばれているらしい。
「な、なんでそこでその名前が出てくるんですか」
慌てて否定しようとして、余計に顔が熱くなる。
「まぁまぁ」
弓使いのメリスが苦笑して割って入った。
「ポーションは確かに高いけど、それだけじゃないと思うよ。
武具の修理代とか、宿代とか、街道税とか……細かい出費が積もってるんだと思う」
「うっ……」
アイナが言葉に詰まり、ローブ姿の青年――リオットを見る。
「リオット。うちの今月の金の出入りって、だいたいどんな感じなんだっけ?」
「えっ、あ、えっと……」
リオットは肩から下げた小さな革袋をごそごそ漁り、くしゃくしゃのメモ紙を引っ張り出した。
「ざっくりだけど……護衛が金貨3枚で、素材採集が金貨1枚。
今日のロックリザード討伐が……成功報酬、金貨30枚の予定で……」
「そこそこ稼いでるじゃない!」
アイナが叫ぶ。
「なんでそれで、今、財布の中身がこの状態なわけ!?」
「……ごめん。僕も、ちゃんと説明できない」
リオットは申し訳なさそうに俯く。
「袋を分けて管理してるんだけど……途中でポーション代が足りなくなって、宿代の袋から借りたりして……
あとで戻そうと思うんだけど、どの袋からいくら抜いたか、忘れちゃうんだよね」
「リオットは悪くないよ」
メリスがすぐにフォローを入れる。
「元々、誰も“ちゃんとしたやり方”を知らないだけ。
私たち、みんなで“なんとなく”やってきただけなんだから」
――「なんとなく」で、命懸けの仕事のお金を回している。
売上はそれなりにあるのに、手元資金はいつもカツカツ。
装備やポーションにかかるコストの構造が見えていないせいだ。
元の世界でも、いくらでも見た話だった。
(……このままじゃ、いつか本当に破綻する)
高報酬のクエストを受ければ受けるほど、装備の消耗も激しくなる。
ポーションも使う。街道税も増える。
入ってくるお金は増えているのに、出ていくお金の正体が見えないから、気づいたときには手遅れになる。
(彼らが破綻したら、“四人分の生活”が壊れる)
気づけば、僕は口を開いていた。
「……よければ、一度整理させてもらえませんか?」
「え?」
アイナが目を瞬く。
「整理って、何を?」
「グラスホークの……財布の中身です」
僕は、テーブルの上の小銭をいったん彼らのほうへ押し返しながら言った。
「今月のお金の出入りだけでいいので、ざっくり教えてもらえませんか?
クエストごとの報酬と、ポーション代、宿代、修理代。覚えてる範囲で構いません」
「そんなので、何がわかるの?」
「うまくいくかは分かりません。でも……」
僕は彼らの顔を見回して、はっきりと言った。
「“なんで高報酬クエストばかり受けてるのに、いつも貧乏なのか”。
その理由くらいは、見つけられるかもしれません」
バルグが、腕を組み、僕を見下ろす。
「……数字で、そこまでわかるもんなのか?」
「数字でしか、わからないこともありますから」
言った瞬間、自分でも少しだけ胸が高鳴るのを感じた。
ギルドでも王国でもない。目の前の四人だけの、小さな財布。
――その流れを、初めて“数字”で描いてみる。
アイナが、じっと僕の目を見つめ、やがて、にやりと口元を吊り上げた。
「そういえば、あんた、数字が得意なんだってね。
本部の査察もうまく丸めこんだって噂で聞いたわよ」
「いえ、丸めこんだんじゃなくて、整理し直しただけなんですが……」
「細かいことはいいの。――いいわ。そこまで言うなら、乗ってあげる」
彼女はすっと右手を差し出した。
「アラタの“数字の魔法”とやら、試してみましょうか。
あたしたちの財布がスカスカな理由、暴いてちょうだい」
剣ダコの浮いたその手を、僕はしっかりと握り返す。
「魔法じゃなくて……生きて帰るための作戦です。
明日の昼、時間をもらえますか?」
「いいわよ」
「じゃ、決まりだな!」
バルグが大きな手で僕の背中をバン、と叩いた。
「俺たちグラスホークの懐事情、丸裸にしてくれや」
……こうして僕は、冒険者パーティの「家計簿」を覗き込むことになった。
高報酬クエストを成功させても、パーティが貧乏になる理由。
その答えを探す、小さな「数字の冒険」が始まろうとしていた。




