第15話 最強の複式簿記
「ふくしき……ぼき?」
ぽつりとミーナがつぶやいた。
「なんだか、呪文みてえな名前だな」
ロアンが腕を組んでうなる。
(名前からしてハードル高いよなあ)
僕は苦笑しながら、紙をもう一枚取り出した。
「難しいことはありません。考えることはたったひとつです」
「ひとつ、だけ?」
「はい。“起きたことを、必ず二つの場所に書く”」
紙の真ん中に縦の線を引く。
左に「持っているもの」、右に「返さなきゃいけないもの」と書いた。
「この前の“財産と借金の一覧表”、覚えてますよね」
「覚えてるというか……忘れられないというか……」
ミーナが遠い目をする。
「【複式簿記】は、この絵を崩さないための書き方のルールです。どんな取引でも、左と右に、必ず同じだけ数字が動くように書く」
ロアンが眉をひそめた。
「同じだけ?」
「そうすると――金庫が増えた“理由”が、紙の上に残ります」
僕はペンを走らせた。
「じゃあ、さっきの前金の話で試してみましょう」
* * *
「護衛依頼の前金として、金貨10枚が入った」
僕は左側に書いた。
『現金 10』
「ここまでは、いつもの感覚ですね」
受付の子たちが頷いた。
「じゃあ、そのとき右側も“同じだけ”動くはずです。何が起きてますか?」
ミーナが恐る恐る言った。
「……返さなきゃいけない約束、ですか? 失敗したら、前金は返すことになる……」
「その通りです」
僕は右側に書く。
『預り金 10』
左右に並んだ数字を、指先で叩く。
「左で現金が10増えた。右で“返すかもしれない約束”が10増えた。だから――」
ミーナが小さく呟く。
「……差は、変わらない」
「そう。元手は増えていない」
金庫は重くなる。でも、ギルドが自由に使っていい“余力”は増えてない。
「これが、前金が“利益”じゃない理由です」
ロアンが頭をかいた。
「金は増えたのに、増えてねえ……ややこしいな」
「ややこしいから、紙に残すんです。頭の中だけだと必ず錯覚します」
僕は続けた。
「仕事を終えて、もう返さなくてよくなったとき――そのとき初めて、元手が動きます」
「なるほどなぁ……」
ロアンがしみじみと呟いた。
「今まで、そこまで考えちゃいなかったぜ」
(まずは、金貨の増えた分が“利益”じゃないってところは伝わった、か)
胸の奥で、小さな安堵がほどけていく。
「……では」
セラフィナが静かに口を挟んだ。
「“返さなくてよくなったとき”は、右側の『預り金』が減る。――その分、何が増えるのですか?」
紫水晶の瞳が、僕をまっすぐ射抜いていた。
僕は笑みを抑えて、ペンを持ち直す。
「いい質問です。今度は、“稼いで増えた”ときの書き方をやってみましょう」
セラフィナが小さく頷いた。
「では、私の商会の取引で――試してみてもよろしいですか?」
彼女は、試すような目で僕をじっと見つめた。




