第14話 未来への防壁
僕は紙の上に、二つの印を付けた。
「期間の初めの元手と、期間の終わりの元手。
その差額――それを“利益”って呼ぶんです」
「初めと、終わりの……差額」
ミーナが、言葉を噛みしめるように繰り返す。
“利益”というのは、金貨そのものじゃない。
見えないところで“元手”がどれだけ増えたか――その変化を数字にした、人が考え出した“物差し”だ。
セラフィナは一度目を伏せて、小さく息を吐いた。
「……たしかに、それが分かれば、“本当にいい年だったかどうか”が見えそうですね」
「そうです」
僕は頷いた。
「短い目で見れば、ズルをしたほうが良く見えることもあります。でも長い目で見れば――人の役に立って“選ばれ続ける”仕事ほど、利益は積み上がっていく」
ミーナがきょとんとする。
「……役に立つと、利益が……?」
「はい。だから僕は、利益を“社会へのお役立ち料”だと思っています」
「お役立ち料……」
「たくさんの人が『助かった』『ここに頼んでよかった』って言ってくれた結果として、必要なお金を払ってもなお残る分。それが“利益”です」
僕はミーナを見て、言葉を柔らかくした。
「女神さまからの“ご利益”とは違う。
人からもらった“ありがとう”の合計を、数字で確かめる――そんな物差しだと思ってください」
さらに僕は続けた。
「もし利益を積み上げられない年が続けば――ギルドはいずれ潰れます。
利益とは、仲間と組織を守るための“余力”。言い換えれば――“未来への防壁”です」
ロアンが、ふん、と鼻を鳴らす。
「防壁、ね……」
「はい、だから、神頼みの運任せにせず、計算して確保しなきゃいけない」
セラフィナの瞳の色が、すっと深くなった。
「……組織を守り、生き抜くための、防壁」
彼女はゆっくりと頷いた。
「少なくとも、“働かずにむさぼる利”とは、まったく別物ですね」
「ええ。むしろ、胸を張って見せていい数字です。僕はそう信じてます」
セラフィナは、思わず身を乗り出していたことに気づき、慌てて背もたれに寄りかかった。
* * *
僕の言葉の余韻が、部屋に残った。
ミーナはまだ口を半開きにしたまま。
ロアンは腕を組んで天井を見上げている。
セラフィナは一度視線を伏せ、膝の上で指を組んだ。
何かを確かめるように頷き、それから――静かに顔を上げた。
「――でも、アラタ」
いつもの落ち着いた声音で言う。
「“元手”は、あの“財産と借金の一覧表”から計算するんですよね。
となると――“利益”を確かめるたびに、また全部洗い直す必要があるんですか?」
なるほど。
セラフィナは、概念を理解した瞬間に、それを現場でどう使うかまで考えている。
「えっ」
ミーナが青ざめた。
「も、もうあんなの、絶対に嫌です! 棚の上の薬草、夢に出てきます!」
ロアンも露骨に顔をしかめ、短く息を吐いた。
悲鳴とため息が混じった空気に、僕は慌てて手を振る。
「落ち着いてください。そのために、あるんです」
「そのために?」
「はい」
僕はペンを持ち直した。
「大掃除みたいに数え直さなくても、いつでも今の“元手”と“どれだけ増えたか”が分かる仕組みが、ちゃんとあります」
ミーナたちの視線が、再び集まる。
「一つひとつの取引を書きつけていくだけで、“持ち物”と“返さなきゃいけないもの”の変化が、自動的に浮かび上がるようにする方法です」
「そんな魔法みたいな方法があるんですか?」
セラフィナだった。
再び身を乗り出すようにしてこちらを見ている。
「もしそれが本当に測れるなら……
王都の支店や、街道沿いの工房ごとに、その“元手”の増え方を比べることもできる、ということですよね」
普段は滅多に崩れない声音に、かすかに熱が混じっていた。
「“魔法”ってほど格好いいものじゃありませんよ」
そう前置きしながらも、胸の奥がわずかに高鳴る。
「紙とペンだけでできる、ちょっとした工夫です。
でも、使いこなせれば――数字が、ギルドや商会の“今の姿”を毎日教えてくれるようになります」
ミーナたちが、ごくりと息を呑む気配がした。
「僕のいた国では、商人にとっての“最強の武器”のひとつだと言われていました」
僕はゆっくりと言葉を区切る。
「その“帳簿”のつけ方は――【複式簿記】といいます」




