50. アー川会戦
王国歴321年5月、ハルト11歳、秋になると12歳である。
先日ジグムントお義父様から、
「ユリアーネお義姉様の護衛としてハルトの妹のレアとリズを送るので、彼女たちが到着したらすぐに俺とレンは学園を休学して、領都に戻るように。詳細は追って話す」
との指示を受けた。レアとリズが王都に来たので、俺とレンは5月15日に領都に戻った。
ジグムントお義父様の話は以下のようである。
「これまで、ベー王国はアムスム王国にスパイを送ったり、アムスム王国の貴族に反乱を促したりしてきたが、スパイの摘発や反国王派貴族の切り崩しがうまくいかず、相当焦っていたようだ。
そこにもってきてハルトの開発した魔道馬車の出現によって、これが量産されると、両国の戦力差が歴然となるため、ついにベー王国はアムスム王国への戦争を決断したとのこと。
第1目標は隣接する、このテー公爵領とのこと。
ベー王国はすでに王都より東側の貴族に総動員令を出しており、準備ができ次第王都を出て、貴族の領軍を集めて、公爵領へ向けて軍を進めてくる。
これに対し、国王にはすでに援軍を要請しており、これも準備ができ次第王都を出る予定とのこと。
また、寄子の貴族にも援軍を要請しており、これも準備が出来次第領都を出る。
ジグムントお義様とともに俺とレンは戦争に参加する。そして、俺は仮の参謀として作戦の立案をしてほしい」
とのことである。
その後、地図を広げ、今後の方針を、ジグムントお義父様、騎士団長のオトー様、副騎士団長のギジル様、カール様と協議した。
決まった方針は
「決戦の場所は国境のアー川のアーの丘、ここに陣地を構築し、ベー王国軍のアー川渡河を阻止する。そして時間稼ぎをして、援軍を待つ。
俺とレンは魔道馬車50台兵1000人で先行してアーの丘に陣地を構築する。
ジギグントお義父様、オトー様、ギジル様は領軍と寄子の軍がそろい次第領軍を率いて、領都を出る。
カール様は領都の守りにあたる」
である。
俺は追加で
「アー川の支流のノー川の上流に堰を設け、そこに水を貯めて、ベー王国軍が渡河してきた時点で堰を壊し濁流でベー王国軍を押し流す作戦」
を提案し了承された。
5月20日俺とレンは魔道馬車50台兵1000人で領都を出発した。この魔道馬車は以前俺が作って、収納空間ボックスに保管してあったものを使用した。
俺たち先発隊は夕方にはアーの丘に到着した。そして魔道馬車を宿舎代わりにして陣地の構築を開始した。俺とレンは土魔法で粗方の陣地の構築を終えると、後の細部は工兵隊長に任せ、ノー川上流に堰を作っていった。
6月2日にはテー公爵家とその寄子の貴族家の領軍1万が到着した。
その後アー川会戦と呼ばれたアムスム王国とベー王国の戦争はベー王国軍のアー川の渡河の失敗で終わった。
なお、アムスム王国の援軍は、ベー王国が軍を引いたという知らせを受けて引き返した。
また、ベー王国軍はいったんアー川から軍を引いた後、途中ギゼル公爵領の領都に留まったが、アムスム王国の援軍が引き返したという報告を受け、軍を解散した。
公爵軍とその寄子の領軍はベー王国軍が軍を解散したため、アーの丘に公爵家の駐留軍1000人を残して、領都まで軍を引き、その後軍を解散した。
その後、事務方により戦後処理の会談が行われたが、
「捕虜の有償での返還、テー公爵家でアー川の湿地帯で遺品等の捜索を行い、ベー王国軍の遺品等が見つかれば有償でベー王国が買い取る」
ということ以外は何も決まらなかった。
ベー王国から賠償金が得られなかったことから、今回の戦争での費用についてはテー公爵軍とその寄子の戦費についてはテー公爵家がもつ。
またアムスム王国の援軍についてはアムスム王国が持つこととなった。
なお、テー公爵とその寄子の領軍の被害は、死者は0、捕虜になったものはいない。負傷者は2000人ほどですべて治療済み、重症者はいなかった。
「ベー王国軍の死傷者は少なくとも約7000人と推測される。捕虜は3500人で捕虜の負傷者はすべて治療済み、多分1から2年はアムスム王国に戦争は出来ないだろう。」というのがテー公爵の見方である。




