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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

幸せな結婚生活を夢見ていたのにーー「すべてを水に流してやる」とおっしゃいますが、貴方たちがしてきた仕打ちまでは流れませんよ!

作者: 大濠泉

◆1


 連日、日照り続きの暑い夏のことだった。


 今朝も、旧友ミラの手紙が、私、ヘレナが住まうバーモント伯爵邸に届けられた。

 元子爵令嬢ミラ・タイトは、ほとんど毎日、同じ内容の手紙を寄越してきていた。


『私たち夫婦は幸せよ』


 といった内容ばかりを。


 私、伯爵令嬢ヘレナ・バーモントは、青い瞳を閉じ、ハァ、と溜息をつく。


(ミラったら。

 貴女と絶交するって宣言したのに、「手紙なら構わないでしょ?」って言いたいようね……)


 私、ヘレナは、手紙をそっと閉じ、ソファに身を沈める。


 ミラが手紙に書いている内容は、取り留めもないものだった。

 相変わらず、夫との情熱的なデートや、イチャイチャした話ばかり。


 いわくーー。


 昨日、夫イワンと、一日中、街中を散歩した。

 イワンが優しく、手を握ってくれた。

 イワンがレストランで、窓際の席を譲ってくれた。

 夜の公園で、一緒にダンスをしてくれた。

 寝室で、優しく抱いてくれた……等々。


 猛暑日ばかりなのに、こんなに奥さんサービスばかりしているようでは、心配になる。

 いつ夫のイワンは働いているのかと思うくらい、ミラに構い続けていることにもなる。

「彼は優しいの」を連呼しただけの手紙ばかりで、かえって不自然に思えてならない。

 

(これって、学園時代、恋人同士として付き合ってたときのまんまじゃないのかしら。

 ひょっとして、夫婦になってからの新しいネタがないの?)


 ヘレナは改めて、ここ最近に届いた手紙のみを、ピックアップしてみる。

 文面をよく見たら、文字が細かく震えている。

 手紙の文字が、だんだん震えた字体になってきているのだ。

 手紙自体も汚れが進み、紙質も悪くなっていた。

 赤い血痕らしき跡までがみられるほどにーー。


(やっぱり、夫からの暴力が続いているみたい。

 特に、ここ最近、何か隠してるわね……)


 学園時代、私、ヘレナ・バーモントは、彼女、ミラ・タイトと親友付き合いをしていて、いつも一緒にいた。

 私はバーモント伯爵家、彼女はタイト子爵家の令嬢だった。

 同系派閥だったから、舞踏会で顔を合わせることも多かった。

 だから、私は彼女の性格を良く知っている。


 何通かの手紙をテーブルの上に置き、私は銀髪を掻き上げ、再度、深い溜息をついた。


(やっぱ、強がってるだけね、これは。

 あとに退けなくなってるって感じかな……)


◇◇◇


 私の親友ミラ・タイト子爵令嬢は、この国では珍しく、恋愛結婚を実現した貴族令嬢である。

 親が決めた婚約者を拒否して、学園で付き合ってきた者同士で、駆け落ち同然で結婚した。

 私をはじめとした学園の仲間たちは、彼女たちを盛大に祝福した。


 仲間内で開いた披露宴で、ミラ・タイト子爵令嬢と、彼氏、イワン・レベロ男爵令息の二人は、ピッタリと身体を重ね合わせて、


「今後、何があろうとも、私たちの仲を引き裂くことはできない。

 病めるときも、健やかなるときも、私たち夫婦はいつも一緒!」


 と、声を合わせて宣言した。


 ミラは低身長で金髪に青い瞳、服の色はピンク、そしてイワンは高身長で黒髪に黒い瞳、服の色はブルーと、何から何まで違っていた二人だった。

 それでも、あの頃の二人は、将来への期待と夢で、瞳がキラキラ輝いていた。

 特に、ミラ・タイト子爵令嬢が、とても誇らしげな顔をしていたことが印象的だった。

 若い私たち級友は拍手をして、彼ら、自由恋愛で結ばれた夫婦を讃えたものだった。


 ところが、恋に恋する十代の学生が思うほど、現実の生活は甘くなかった。


 双方の実家から勘当されたミラとイワンの二人は、瞬く間に生活できなくなってしまった。

 二人とも自宅から追い出され、事実上、平民落ちとなり、平民街の店で働くことになる。

 夫のイワンは酒場のバーテン、妻のミラは洗濯屋で、というふうに。

 とはいえ、どちらも、今までは屋敷の使用人に任せきりの生活をしていたから、いきなり平民街で働くのには無理があった。

 何をやるにも覚束なく、年端もいかない年下の平民から、からかわれたり、叱られたりの生活になってしまった。


 特に、夫のイワンは、どの職場でも長続きせず、その結果、生活が厳しくなって、実家から持ち出して来たブローチや宝石を売ったりして糊口を凌ぐ毎日になってしまった。

 ついには友情の証として私が贈ったネックレスすら、ミラは売り払ってしまう。


 さらに悪いことに、夫イワンは飲んだくれて、妻のミラに暴力を振るうようになった。


 一度、ミラから私、ヘレナの許に、お金の工面をお願いする手紙と、住所を記した地図を寄越してきたことがあった。


 私は、ミラの力になればと思って、急ぎ馬車で、地図に記された住所に出向いた。


 指定された場所は、馬車では入れないような、細い道の先にあった。

 今にも屋根が崩れそうな、(すす)けた荒屋(あばらや)だった。

 自慢の金髪を風になびかせて、青い瞳をキラキラさせた、あのミラ・タイト元子爵令嬢が住んでいる場所とは、とても信じられなかった。

 おまけに、扉を開けようとしても、鍵が閉まっていて、入れなかった。


 扉の外から耳を澄ますと、家の中から、女の悲鳴と、男の怒鳴り声が響いてきた。


「手紙を送った!?

 お金を工面するために!?

 ざけんな!

 こんなみっともないさまを、おまえは同級生に見せようというのか!

 恥を知れ!」


 バシバシ! と平手打ちの音が、外まで鳴り響く。


 私は、親友の面子(メンツ)を重んじて、扉を開けて踏み込むことができなかった。



 そして、翌日ーー。


 結局、彼女、ミラの方から、私のバーモント伯爵邸にやって来た。

 馬車を使わず、足で歩いてきたようで、足元が泥で汚れていた。

 所々、服の布地が破けていて、手足には赤い生傷が刻まれていた。

「金髪の美女」とも称された親友の、悲惨な末路だった。

 我がバーモント伯爵家の使用人たちですら、目を(そむ)けてしまうほどだ。

 実際、このときも、彼女の頬は赤く腫れていた。

 連日、夫のイワンから暴力を受けているようだった。


 私は仕方なく、治療費と称して、幾ばくかの金貨を渡した。

 すると、ミラは涙を流して喜んでいた。

 そんな親友の惨めな姿を、私は見たくなかった。

 私、ヘレナは改めて主張した。


「イワンと別れるべきよ」と。


 昔の恋愛の想い出に浸ってばかりでは生活できない。

 未来に向けて歩み出さないと。

 今さらかもしれないけど、イワンと別れさえすれば、ミラのご実家もお許しくださるかもーーと。


 ところが、ミラは頑なに首を横に振る。


「彼は、私がいないと駄目なのよ」


 と言って、別れようとしない。

 生傷が絶えないのに。

 挙句、頬を膨らませながら、


「イワンのこと、あまり悪く言わないで。

 ああ見えて、優しいところもあるのよ。

 乱暴をした翌日には、泣いて謝って、ケーキも買ってくれるの」


 と、ミラは包帯姿で言う。

 ほんとうに、痛々しい。


(もう、付き合いきれない……)


 私はこれ以上、彼女と付き合うの断った。


「ミラ。

 冷たいと思うかもしれないけど、私はこれ以上、みっともない貴女を見たくない。

 お金を渡せるのも、今回が最後と思ってね。

 あのイワンの馬鹿の飲み代に変わるのかと思うと、残念でならないけど」


 私の最後通牒を耳にしながら、親友ミラは顔を真っ赤にして、頬膨らます。


「心配しないで、ヘレナ。

 こんな悪夢は、すぐに終わる。

 私たち夫婦は、絶対、幸せになる。

 貴女も羨むような、幸せな夫婦になってみせるわ!」


 そう言って、ミラは涙目になりながらも、私を睨みつけていた。


◇◇◇


 こうして三ヶ月ほど前、私から絶交を宣言して喧嘩別れして、それっきり、顔を合わせることはなくなった。

 以来、向こうから一方的に、手紙が送りつけられてくる。

「私たち夫婦は、幸せにやっているの!」と、ひたすらアピールするだけの手紙を。


(ミラは見かけに寄らず、負けず嫌いだから……)


 そんなことを考えながら、ヘレナ伯爵令嬢は少し瞑目した。

 そして、一番最近、今朝になってもたらされた手紙の文面を再確認する。


 たしかに、手紙に書かれてある内容自体は、至極幸せそうだ。

 ミラのおめでたを機に、親からの勘当も解けて、出産するために、静養地の山荘に引っ越した、と書かれてあった。

『双方の両親が、勘当を解いてくれた』と、書いてあったのだ。


 山荘の場所は、夫イワンの実家、レベロ男爵家の領地になっている。


(ということは、ご実家の勘当が解けたのって、ホントのことなのかしら?)


 それなのに、私、ヘレナに向かっては、『山荘には来ないで!』と記す。

 どういうことかしら?


 これでは、お祝いにも行けないし、仲違いを修復することもできない。

 おかげで、ミラに何かあったのでは? と勘繰ってしまう。


(私が絶交宣言したことを、根に持ってる?

 でも、だったら手紙を寄越す理由がわからない。

 なにか、おかしい……)


 それに、いくら妊娠したとはいえ、あの暴力夫が、妊婦に優しくするとは思えない。

 やはり、ミラの身に何かあったのでは?


 腕を組んで思案していると、侍女が報告に来た。


「玄関にタイト子爵家の馬車が停留しております。

 ぜひ、お嬢様をお乗せしたいと」


 タイト子爵家というのは、ミラの実家だ。


(どうして彼女のご実家が私を?)


 ヘレナ・バーモント伯爵令嬢は席を立ち、銀髪をなびかせつつ玄関へと向かった。


◆2


 玄関を出ると、一台の黒塗りの馬車が、扉を開けて待っていた。

 馬車扉の紋章を見ると、薔薇の花に蝶の図式ーーたしかにタイト子爵家の家紋だ。


 御者が私に気づくと、運転台から降りて、馬車の扉を開けて頭を下げる。


 私、伯爵令嬢ヘレナ・バーモントは、馬車に乗り込む前に、白髪の御者に問う。


「ミラは乗っているのですか?」


「いえ。ミラお嬢様は乗っておりません」


 すでにミラは結婚して他家に嫁いでいる(おまけに勘当までされている)。

 なのに、ミラの実家の使用人が、いまだに彼女を「お嬢様」と呼称するのは、本来ならおかしい。

 それでも、構わずミラを「お嬢様」と呼ぶ。

 それほど、この老御者は、ミラを可愛がってきていたのだろう。

 もし、彼女の現状を知っていれば、酷く心を痛めるに違いない。


 私は(ねぎら)いの意味も込めて、親しく話し掛けた。


「あなたには見覚えがあるわ。

 私たちが子供の頃から、タイト子爵家の馬車を御していたわね」


「はい。バーモント伯爵家のお嬢様。

 春のピクニックも、秋の遠出も、何度かお乗せいたしました。

 あの頃は、もっと小さくあられて……懐かしい」


「他家に嫁いだ今でも、あなたはミラを乗せているの?」


「いえ。

 旦那様から、ミラお嬢様の命に従うことは、禁じられておりますので」


 親友ミラは、結婚して以来、実家のタイト子爵家から勘当されているから当然だ。


「でしたら、あなたはなぜ、馬車を我がバーモント伯爵邸に?」


 当然とも言える問いかけに、老いた御者は白い顎髭を撫で付けながら、遠い目をした。


「夢で見たんですわい。

 お嬢様がーー幼い頃のミラお嬢様が、泣いていたのです。

 ご親友であらせられた、貴女様ーーヘレナ・バーモント伯爵令嬢のお屋敷に向かうよう、訴えておられました。

 ですから、居ても立っても居られず、こうして馬車を飛ばして来たのです。

 幸いなことに、ここ数日、旦那様ご夫婦が出掛けて屋敷を空けておりまして、私の自由が利いたのです」


 御者には、夢のお告げに従って、あらかじめ向かうべき目的地があるらしい。


「わかったわ。

 貴方は忠義者ね。

 私をミラの許へと連れて行ってちょうだい。

 ですけど、その前に、デミス公爵邸に寄ってくださらない?

 もう一人、内密に、この馬車に乗せてもらいたい人がいるのよ」


 ミラの夫イワンは、かなり図体が大きいうえに、暴力を振るう。

 特に、来訪者が、私のような女ひとりと見ると、舐めてかかるのは明らかだ。

 だから、護衛役に、私の婚約者レオ・デミス公爵令息を連れて行くことにした。


 正直言って、私はミラが送って寄越す手紙の内容を、完全には信じていない。

「実家の勘当が解けた」とか、「妊娠した」とかが、虚言の可能性もあると思っていた。

 だから、その場合の対策が必要だ。

 特に、実家の勘当が解けていなかった場合、私は行動に注意しなければならない。


 貴族家による「勘当」の力は相当強く、勘当された者に肩入れしたと知れたら、勘当した実家からクレームが来ることが当然で、悪くすると、貴族家同士の対立となってしまう。

 しかも、この場合、貴族社会の常識として、勘当された者に肩入れした方が「悪」とされるのだ。

 なので、自分たち、元同級生だけの力で、なんとかミラ夫婦の問題を解決したかった。


 幸い、私の婚約者レオ公爵令息も、私と同じ学園同級生だ。

 しかも、金髪に碧色の瞳を輝かす美貌の上に、剣術の腕前もトップクラスの偉丈夫である。

 レオがいるだけで、暴力夫イワンも、迂闊(うかつ)に手が出せなくなるだろう。

 それに、レオも、学友として、ミラ元子爵令嬢の事情も知っていることが心強かった。


「承知いたしました」


 老御者は深々とお辞儀をする。

 私、ヘレナも老御者に一礼して、馬車に乗り込んだ。


◆3


 ある夏の昼下がりーー。


 私、ヘレナ・バーモント伯爵令嬢は、タイト子爵家の馬車で、いきなりデミス公爵邸に乗り付けた。

 そして、デミス公爵家のご令息レオに、馬車に同乗してくれるよう、お願いした。


 婚約者同士での馬車の同乗は、一般的に許されている。

 レオ公爵令息は、(こころよ)く、私の求めに応じてくれた。

 私から事情を聞くと、愛用の剣を腰に(たずさ)えて、馬車に乗り込んできた。


 私、ヘレナの隣に座ると、レオ公爵令令息は眉間に皺を寄せた。


「それにしても、イワンの奴が、ミラ嬢に手を挙げるようになるとは思わなかった。

 あれほど仲睦(なかむつ)まじかったのに。

 級友として、僕も不明を恥じる思いだ」


 レオと私は学園時代から仲が良かったうえに、親同士の付き合いも良く、ミラの場合と違って、私たちは幸いなことに、親公認の婚約に漕ぎ着けることができた。

 とはいえ、親が認めてくれなかったら、一歩間違えれば、自分たちも、ミラとイワンのような末路になりかねなかったという同情心もあって、私たちはミラ夫婦の現状に心を痛めていた。


◇◇◇


 馬車が向かった場所は、やはり、街中の荒屋(あばらや)ではなかった。

 イワンの実家、レベロ男爵家の領地にある、湖畔の山荘だった。


 山荘まで延びる山道に入り、小さな門構えがあるところで、馬車は停止した。


 御者は馬車の扉を開け、私、ヘレナと婚約者レオに向けて、深くお辞儀をする。


「お二人のお帰りをお待ちしております。

 何があろうとも、私は今日あったことをすべて忘れますので、心置きなく、ミラお嬢様の無念をお晴らしください。

 私はもうこれ以上、夢の中であろうと、幼いミラ様が泣きじゃくるお姿を見たくないんです」


 まるで、ミラがもう死んでしまっているかのような言い草である。

 とはいえ、これは「ミラお嬢様」に対する不敬な心があってのことではない。

 夢のお告げに従って行動するほどである。

 死後のミラが無念の想いを、老御者(自分)に夢で訴えてきたと信じているのだろう。

「ミラお嬢様」を慕う御者に対して、私、ヘレナ・バーモントも礼を返す。


「わかったわ。

 ミラが笑顔になる夢を、あなたが見られるよう、努力する」


 こうして、私、伯爵令嬢ヘレナ・バーモントと、公爵令息レオ・デミスは、一緒に馬車から降りた。


 小さな門を自分で開けて、樹木が生い茂る小道を進む。

 すると、小さな、青い三角屋根を戴いた山荘が姿を現した。


 玄関扉の前に立ち、ノックしようとする。

 すると、その前に、ガチャリ、と扉が開いた。


「もう! 酷いよ、ヘレナ。

 来ないでって手紙に書いてたでしょう?

 なのに、来ちゃったんだ?

 しかも彼氏連れで」


 大きなお腹になったミラが出迎えてくれた。

 馬車の馬が(いなな)く声を聞いていたのか、あらかじめ待ち構えていたようだ。


 想像していたのと、違って驚いた。

 ミラの頬も腫れていない。

 しかも明るく笑っている。

 暴力を受けて、酷く痛めつけられた様子で姿を現すのでは、と思っていたのに。

 妊娠しているのも、本当のようだ。


 私は胸を撫で下ろした。


 だが、ミラの腕を見ると、生傷があり、所々、青くアザがついている。

 服もたいそう汚れている。


「掃除してたんだよね?

 侍女はいないの?」


 と私が尋ねると、親友はふふふ、と笑う。


「こんな田舎の別荘だからね」と。


「でも、妊婦に掃除させるのって……」


 と私が指摘すると、ミラはニッコリ微笑む。


「そうなのよ、イワンったら、人使いが荒くって。

 でも、湖が近いから水だけは豊富に引かれているの。

 掃除にはもってこいの場所なのよ。

 たくさんの桶にいっぱい水を入れてるの」


 どうやら、私、ヘレナとミラは、絶交前の、軽やかに会話を交わす仲に戻れたようだ。


 そうは言っても、ミラが掛けるエプロンの端を見れば、赤黒い液体がこびりついている。

 なんだろう。


 ギイッと扉を開けて、ミラは満面の笑顔で、山荘の中へと招く。


「今、掃除してたところなの。

 散らかってて、ごめんなさい」


 私はレオと黙って(うなず)き合う。

 そして、二人して、ミラと同じように、明るい笑顔で、別荘小屋へと入っていった。


「ゲッ!?」


 応接間に足を踏み入れた途端、吐き気がして、私、ヘレナは手を口に当てる。

 部屋の中には錆びた鉄のような匂いが充満していた。

 両目が()みて、(まばた)きするも、痛みを感じる。


 通された居間全体が、赤黒く染まっていた。

 床や壁、テーブルや椅子には、血糊が大量にベッタリと付着している。

 そして、部屋一面に、バラバラになった人間の死体が、幾つも散乱していた。


 刃物で切り刻まれた胴体や、腕や脚が、赤黒い血溜まりの上に放置されている。

 血塗れになった衣服は、男物も女物もゴチャゴチャにして、部屋の隅に積み上げられていて、その周囲をハエがブンブン羽音を立てながら、何匹も舞っている。


(なによ、これ……ミラ、貴女……)


 私は涙が溢れて、嗚咽する。

 それでも、ニコニコと微笑み続けるミラの目に狂気の色を見て取って、私は押し黙る。


 裸に剥かれた男女のバラバラ死体は、どうやら五体分あるようだった。

 事実、五つの切断された頭が綺麗に部屋の奥、暖炉の前に並べられていた。


 ヘレナ・バーモント伯爵令嬢とって、見知った顔が三つあった。

 ミラのご両親、タイト子爵ご夫婦と、ミラの夫イワンの顔だ。


 タイト子爵ご夫婦は、それこそ、ミラが勘当される直前まで、家族ごと親しく付き合ってきたご夫婦で、幼い頃からよく一緒にお茶を飲んだものだ。

 そのミラのご両親が、両目を(つむ)った状態で、首だけになって、並んでいる。

 それぞれの首の前には、舌先が切り取られて添えられていた。

 夫婦とも口を開けられ、強引に切り取られたものらしい。


 そして、イワンの首ーーこれは舌を抜かれているばかりか、口に自分の握り拳が突っ込まれた状態になっており、両方の眼が(えぐ)られていた。

 イワンの首の前には、舌先と二つの眼球が添えられていた。


 あと二つの首は、見知ったものではなかったが、おそらくはイワンのご両親、レベロ男爵ご夫婦なのだろう。


 要するに、私の親友ミラは、自分の両親と義両親、そして自分の夫までをも、皆殺しにしたのである。


 ミラの服にこびりついていた赤黒い染みの正体がわかった。

 すべて、この人たちの血だったんだ。


 私、ヘレナと、婚約者のレオは、応接間の入口付近で、凍りついたようになって動けなくなっていた。


 その一方で、ミラは、(ほうき)を手にして、快活に動き回りながら、喋りまくる。


山荘(ココ)、もうかなり古いでしょう?

 だから、なかなか汚れが落ちないのよ。

 洗っても、洗っても、汚れが落ちない。

 古い山荘だから、汚れが酷いのよ。

 ごめんなさい。

 それにしても、イワンは、どこかしら?

 もう、お客様がいらしたんだから、挨拶させたいんだけど……。

 釣りにでも行ったのかしら?

 彼ったら、お魚を釣るのよ。

 近くにある湖は、ほんとうにお魚が豊富でーーじきに帰って来ると思うの。

 それよりも、ねえ。聞いて、聞いて。

『妊娠した』と言ったら、突然、この山荘を紹介され、『交際を認める』って言うのよ。

 どっちの両親も。

 まあ、ようやく、認めてくれたんですけどね、私たちの結婚を。

 それにしても、ヘレナ。

 あなたたちはいいわね。

 お父様が、交際をあっさり認めてくれて。

 それに比べてーー。

 貴方たちが私たちの仲を認めないばっかりに、こんなことになったのよ!」


 ミラは水を湛えた桶を、双方の両親の首が並んだ場所で、ひっくり返す。


 バシャン!


 大きな水音とともに、いくつかの首がゴロンと転がる。

 その首を、ミラは(ほうき)でグイグイ押しまくって、壁際にまで転がしていく。


「『水は全てを洗い流す』って言うけど……あれは、嘘ね。

 気持ち悪い。

 いくら水を流しても、匂いが落ちない。

 妊婦にはキツイのよね、この匂い。

 なに、これ? 邪魔!」


 ミラの足下で一つだけ立ったままになっている首を蹴る。

 夫イワンの首だ。

 両目が潰され、口には拳を入れられ、散々な状態だ。

 これをさらに、足で踏みつけにする。


 ミラは甲高い声で笑いながら、これまでの経緯を口にした。


 彼女の説明によるとーー。


 ミラが妊娠したのを聞き付けて、双方の両親が「勘当」を解いてくれたらしい。

 おかげで、ミラとイワンは、平民から、貴族家の令嬢、令息へと復帰した。

 おまけに、住まいとしてレベロ男爵領にある山荘へと招待してくれた。


 両家とも貴族家だから、当然、多くの使用人が付き従うはず。

 とはいえ、今まで勘当していた息子、娘夫婦を山荘に(かくま)う格好だから、公的な活動とも言えず、それら使用人を一切、両方の親は従えて来なかった。

 めでたく孫が産まれたら、ミラとイワンの貴族社会復帰を公にする予定だ、という。


 両家の両親は始終、上機嫌で、数日前に開かれた、山荘での酒盛りは一晩中、続いた。


「どうだ、この山荘は。

 なかなかのものだろう?

 勘当処分も、解いてやる」


「孫が生まれるのは嬉しいわ。

 男の子だったら、我がレベロ家も安泰ね」


 などとレベロ男爵家のご夫婦が口にすると、同じように赤ワインを口にするタイト子爵家のご夫婦が、


「仕方ない。

 今までのことは、すべてを水に流してやるから、ありがたく思え」


「さすがに、赤ん坊には勝てないわ。

 立派な貴族家の者として、育ててちょうだいね」


 と明るい声をあげる。


 その両家のご両親の言葉を聞いて、夫イワンは酒を満たした木製ジョッキを高らかに突き上げ、


「これから幸せになろう。

 な、ミラ!」


 と大声をあげて、もう片方の腕で、ミラの肩を抱き寄せる。


 ミラは、腫れがまだ完全には退いていない頬を震わせながら、


「まぁ。それは嬉しいわ」


 と言って、生傷が何本も残った両手を合わせる。


 やがて、タイト子爵ご夫婦、レベロ男爵ご夫婦、そしてイワンが、ガクンと膝を付くようにして力尽き、意識を失った。

 ミラ以外の者たち五人が、ほぼ同時に、昏睡状態に陥ったのである。


 ミラがお酒やワインの中に、あらかじめ強力な睡眠薬を仕込んでいたのだ。


 以前、ヘレナ・バーモント伯爵令嬢から貰ったお金で、自分用に(眠れない夜、あるいは永遠の眠りにつくために)使おうと買い込んでいた薬が役に立った。


 ゴーゴー、と(いびき)を掻いて寝ている者たち、全員の身体と首を、山荘に置いてあった薪割り用の斧で、ミラは次から次へと叩き斬ったーー。



 そうした経緯を語り終えると、ヘレナとレオを前にして、ミラは興奮の態で叫んだ。

 自分の足下に転がった首を、ひたすら蹴りまくりながら。


「今さら、なに? ふざけないでよ!

『すべてを水に流してやる』

 とおっしゃいますが、貴方たちがしてきた仕打ちまでは流れませんよ。

 そこまで水を万能に思ってはいけないわ。

 ほら、床にこびりついた汚れひとつ、落としきれないじゃない?

 イワンもイワンよ。

 なに、一緒になって喜んで、私に暴力を振るい続けたことも忘れて。

『愛してる。君さえいれば、やっていける』

 と言っていたくせに、殴ることしかできないのかよ!?

 散々、私を殴っておいて、『これから幸せになろう!』だあ?

 ざけんな!」


 ミラの怒りは当分、収まりそうもなかった。

 もはや血塗れになって黒ずみ、形も崩れ出した夫の頭部を、ボールのように蹴り飛ばして、ケラケラと腹を抱えて笑う。


 そうした、かつての級友の姿を見て、ヘレナとレオは、互いに(うなず)き合った。

 レオが辿々(たどたど)しい口調で言う。


「それではミラ夫人。

 今はお忙しそうなので、また日を改めて……」


 私、ヘレナが言葉を継ぐ。


「そうそう。

 無事、お子さんが産まれたら、そのときに改めて……」


 ミラは、夫の首を部屋の隅まで蹴り飛ばしてから、肘で汗を(ぬぐ)う。


「そうね。

 それまでに、ここを綺麗にしますから。

 水はすべてを洗い流すのよ」


 バシャン! と、またも水を溜めた桶を倒す。

 ミラは朗らかに鼻歌を口ずさみつつ、(ほうき)を手にして、掃除を始める。


 そんな彼女の姿を後ろからボンヤリと見詰めつつ、私、ヘレナは想い出していた。

 かつて披露宴のとき、ミラ・タイト子爵令嬢が新郎と身体を重ねながら、


『今後、何があろうとも、私たちの仲を引き裂くことはできない。

 病めるときも、健やかなるときも、私たち夫婦はいつも一緒!』


 と誇らしげな顔で、宣言していたことを。


 ヘレナは涙ながらに、ミラを祝福した。


「良かったね。一緒になれて……」


 たしかに、私の親友ミラ・タイトは、オトコを見る目がなかったかもしれない。

 でも、一生ずっと、あのイワンと一緒に居られるように、ミラは最善を尽くした。

 彼女は夫の肉体を拒絶して、心の中の想い出だけにいる存在にした。

 現実をキッパリと否定して、幻想の中で生きて行くことを選んだのだ。


 レオ・デミス公爵令息が背後から声をかけてきて、私に手を伸ばす。


「このまま正気に戻らないほうが、彼女のためかもしれないね……」


 私、ヘレナ・バーモントは、彼の手を取って、立ち上がる。


「ええ」


 ミラをできるだけ刺激しないよう気遣いながら、背を向けて、私たちは山荘の外へと出て行った。


◇◇◇


 ヘレナは婚約者レオに身を寄せつつ、揃って老御者が待つ馬車まで辿り着いた。


 老御者は馬車の扉を開けつつ、心配そうな顔つきになる。


「ミラお嬢様は、無事、息災でございましたか?」


 レオ公爵令息は、悲しげに眉を八の字にさせる。

 かたや、ヘレナ伯爵令嬢の方は、ことさら明るげに答えた。


「ーー私の親友は元気でしたよ。

 今までは、泣いていたんですが、今では、笑ってました。

 ミラは、楽しそうに、お掃除してたわ。

 ですから、今はそっとしておいてあげましょう。

 無粋な他人を山荘に向かわせるのは、また後日、ということで……」


 笑顔になりながらも、私、ヘレナの両目には涙が溢れて仕方がなかった。


(了)

 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

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 今後の創作活動の励みになります。


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【文芸 ヒューマンドラマ 短編】

『婚約破棄された腹いせに、元婚約者(王太子)の新しいお相手に「よかったわ。とんだ不良債権をもらっていただいて。これで私は晴れて自由の身よ!」と、悔し紛れの捨て台詞を残したら、国が潰れてしまいました。』

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【異世界 恋愛 短編】

『夫が、年下の公爵夫人とイチャつくのをやめない。注意しても、「嫉妬するなよ」と嘲笑い〈モテ男〉を気取る始末。もう許せない。「遊びだった。ほんとうに愛してるのはおまえだけ」と泣きながら言っても、もう遅い!』

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【文芸 ヒューマンドラマ 短編】

『彼氏が私との結婚許可を求めて何度も挨拶に来たのに、くだらない理由で拒み続けて縁談を壊しておきながら、姉に子供が出来たとたん「おまえも早く結婚して、子供を作れ」とのたまうクソ親父!ぜひとも破滅の天罰を!』

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【文芸 ヒューマンドラマ 短編】

『生贄になった王女の復讐ーー私、セシリア第二王女は、家族によって「姉の聖女様を殺した犯人」という濡れ衣を着せられ、舌を切られ、石で打たれ、隣国の生贄にされた。けど、いつまでもサンドバッグと思うなよ!』

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【文芸 ヒューマンドラマ 短編】

『じつは愛人がいる? おまえは可愛くない? だから離婚する? ええ。構いませんよ。ですが、金の切れ目が縁の切れ目と言いますけど、欲を掻くのもほどほどにしないと、手痛い反撃を喰らいますので、お覚悟を。』

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【文芸 ホラー 短編】

『死んだと思った? 残念ですね。私、公爵令嬢ミリアは、婚約者だった王太子と裏切り者の侍女の結婚式に参列いたします。ーー私を馬車から突き落とし、宝石欲しさに指ごと奪い、森に置き去りにした者どもに復讐を!』

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【文芸 ホラー 短編】

『元伯爵夫人タリアの激烈なる復讐ーー優しい領主様に請われて結婚したのに、義母の陰謀によって暴漢に襲われ、娼館にまで売られてしまうだなんて、あんまりです! お義母様もろとも、伯爵家など滅び去るが良いわ!』

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【文芸 ホラー 連載完結】

『滅国の悪役令嬢チチェローネーー突然、王太子から婚約破棄を宣言され、断罪イベントを喰らいましたけど、納得できません。こうなったら大悪魔を召喚して、すべてをひっくり返し、国ごと滅ぼしてやります!』

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【文芸 ホラー 短編】

『伯爵令嬢シルビアは、英雄の兄と毒親に復讐します!ーー戦傷者の兄の介護要員とされた私は、若い騎士から求婚されると、家族によって奴隷にまで堕されました! 許せません。名誉も財産もすべて奪ってやる!』

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【文芸 ホラー 短編】

『美しい姉妹と〈三つ眼の聖女〉ーー妹に王子を取られ、私は簀巻きにされて穴に捨てられました。いくら、病気になったからって酷くありません? 聖なる力を思い知れ!』

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【文芸 ホラー 短編】

『公爵令嬢フラワーは弟嫁を許さないーー弟嫁の陰謀によって、私は虐待を受け、濡れ衣を着せられて王子様との結婚を乗っ取られ、ついには弟嫁の実家の養女にまで身分堕ち! 酷すぎます。家族諸共、許せません!』

https://ncode.syosetu.com/n4926jp/


【文芸 ホラー 短編】

『イケメン王子の許嫁(候補)が、ことごとく悪役令嬢と噂されるようになってしまう件』

https://ncode.syosetu.com/n1348ji/

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悪夢系ホラーとして面白かった。 ・馬車移動の世界観で子爵令嬢が伯爵令嬢に毎日手紙を送る費用は現実的でない。  平民落ちしたならなおさら。 ・伯爵令嬢が多量のあばら家入口までお忍びで訪問してる ・貴族家…
こわい 読み終わった後、色々考えてしまいました 踏みつける方は全体重をかけているし(勢いが付いてる場合さえある)、足の裏から痛みを感じることは稀だけれども、踏まれた相手はその苦痛も恨みも一生残るって…
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