第一章 World.8 赤髪の女、赤髪の少年のパン
夜空の半分を覆い尽くすほどの氷の鎌は回転しながらやってくる。俺は血だらけのレドルアを抱えてとにかく横へ逃げる。
雪崩が起きた時も何が飛んできた時もまだ距離があるのなら横に逃げた方が逃げやすい。
「大丈夫か、レドルア、魔術の治癒が効くかわからんが、やってみるぞ」
「それならおそらく多少は効く、頼む」
照射範囲の毒を抜き、傷の再生を試みる魔術【トリーテ】
クライスはこの魔法を、レドルアの腹の傷、黒猫に掻かれてできた傷に照射した。
まだ血がドクドク出ている。傷が思ったよりも深くて止血すること自体に時間がかかってしまっている。
クライスとレドルアの背後で、無数の氷の鎌が空を裂く。その氷の鎌は、黒猫の頭部から尻尾にかけて、あらゆる節々に刺さった上、お腹や足といった猫の急所にも刺さる。猫はさらに大きな呻き声をあげるが、いまだに倒れないでいる。
「全く信じられないくらいにタフな猫だ」
つい独り言がこぼれてしまった。さっき俺らが見た氷の鎌は、あんなに純白だったのに、黒猫に刺さった瞬間からみるみる紫に染まっていってしまう。どんなにたくさんの魔力を纏って、潜めているんだろうか。
ただ大ダメージを黒猫が受けていることはよくわかる。一切の動きを見せないのは、一切動ける状況に今ないということだろう。今のうちにレドルアの手当てを。
悔しいが俺の魔法では傷口が全然治癒できない。同程度でも、土の精霊の治癒術なら、止血くらいは容易だったろうに。そして【トリーテ】を精霊師にかけているのもかなり強引だ。
元来、魔力を使った治癒術は魔術の使い手に、霊司力を使った精霊治癒術は精霊術の使い手に適合するようにできている。戦場では、他人に助けを求める時間や機会があるとは限らないからだ。自分の傷は、自分で手当する。それは、どの世界でも同じなのである。
ちゃんと鍛錬をしていない魔術で、特級精霊師の傷を治すということ自体が無謀なのかもしれない。
「大丈夫か、レドルア。返事できるか」
「可能ですよ・・。ちょっと歩けそうにはないですが……」
おそらくレドルアの頭は今パニック状態だ。意識が朦朧としているのが見て取れる。血が足りないのか、早く止血だけでもできてほしい。
血がトクトク出ていて、まだ止まらないので、もう俺の両手はレドルアの血に染まってしまっている。初めて見た。トラウマになりそうだ。あとどれだけかかるだろう、三分といったところか。あと三分敵に見つからずに治癒し続けられるのか。
背後に【ジェイデンアローラ】が飛んでいるのはわかる。俺のやつと比べても、威力が段違いだ。ちゃんと鍛錬された音。誰がどこから打っているのだろう。
「ああ、あの音は姉さん、レンナ姉さんの魔法だ。なんで姉さんが」
「ガヤガヤ言わずに黙ってろレドルア、あとでちゃんと話を聞こう。今はお前の止血が優先事項だ」
レドルアは朦朧とした意識の中で、こんな記憶が行ったり来たりしている。
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レンナ姉ちゃん!レンナ姉ちゃん!
大泣きしながら何度も繰り返す、小さかった頃の俺。姉と離れ離れになったあの日。
なぜだかは小さすぎて覚えていないが、私と姉には、元々父親も母親もいなかった。姉からはみんなが突然バラバラになったと聞いている。私と姉はなんの縁か、それとも神様からのせめてもの惠か、バラバラにならず、同じ村に過ごしていた。
「お姉ちゃん!今日はパンていうのを焼いてみたんだ!この前来た商人たちの一人にこっそり作り方を教えてもらったんだ!」
「たくさんの商人さんが、レドルアのことを賢い子だねっていってたよ!」
「よかったーー!どうぞ、食べてみて!まだ味見してないんだけど!」
「とんでもなくおいしくて、涙出ちゃうかもね!」
私の姉は本当に私思いの人だった。あのパンはものの見事に不味かったのに、隠して食べてて。
「美味しい!美味しいよ!」
「ゲェぇ、よくそんなこと言えるね、これはなんか、粉っぽくて口の中でまとわりついて、気持ち悪い。失敗作だよね。ぺっ」
「姉ちゃんは、レドルアが頑張って作ったものなら、全部美味しいのよ」
あんなに不味いパンを、弟の俺のためだけに、あんなに笑顔で食べてくれるような、そんな人だった。
姉さんは過去に魔術に関してトラウマを抱えているみたいで、魔術は使えなかった。だから、なんでも褒めてくれる姉さんを守るために、精霊術を身につけようと、図書館に毎日通い、特訓を続けて、今は特級精霊師になれるようにまで成長した。
ただ、まだ特訓中の、精霊術の基礎ができるようになった時くらいの話。今からおよそ十四年前だ。村は村人を半数も失う殺戮にあった。村に精神教がやってのだ。西方精神教事件と言われているものである。村人の四分の一は精神教の手下どもが放った火に焼かれ、また別の四分の一は、魔術によって肉がぐちゃぐちゃになるまで攻撃され、唇の横を切り裂かれ、目玉をほじくり出されて死んでしまった村人もいた。
私はこの身と姉、村を守るために、精霊術で、精神教の奴らを根絶やしにしようという、無謀な賭けに出た。案の定私程度じゃ、彼らのお得意の魔法で霊司力を制限され、戦う術をなくした。
その時後ろから、氷の鎌が大量に飛んできた。その魔法は紛れもなく私の姉のものだった。精神教の手下は、同術を使う姉に、全く歯が立たず、死ぬか逃げるかを迫られ、逃げることを選択した。
その後の方が私にとっては地獄だった。
「あああああ!ああああ、あああ!」
「姉さん、大丈夫?どこがおかしくなったの?ねえ答えてよ!」
それでも姉はただただうめいて、何かを我慢しているだけだった。
ちょうどその頃に村人の報告でやってきた、聖都からの衛兵たちが暴れている姉さんと、何が起きているかわからない私を、別で保護した。保護された時私は泣きに泣き喚き、レンナ姉さん、レンナ姉さんと呟き続けたそうじゃないか。
私はそのあと、その衛兵たちによって、精霊師が天職であるとして、生徒で一番有名な精霊師のところで修行を受け、特級精霊師となった。だが、その間の記憶には、姉の姿なんてひとつたりともありはしなかった。
やっと、今聖都で久しぶりの休みをもらったので、西方に向かい、姉と会えるかと期待をしていたが、何しろ十年以上前の話なので姉がどこにいるかなんて見当もつかなかった。どこであの症状の治療をしているかわからなかったので、とりあえず、一緒に住んでいたテリテテ村に足を運んでみることにした。
するといるではないか、俺と同じ赤髪のレンナ姉さんが。見間違いかと目を疑って、クライスに聞かれた時は非常に驚いた。ただあの時見た姉には、十四年前の事件以来、鍛錬したような形跡がなかったので、あの事件で魔法を自己で封印したのだと確信した。
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「だって姉さんが、なんで魔法を、使っているんだ。あの時に封印したはずなんだ。それを今なんで。またあの時のようになっては取り返しがつかない」
息をあげながら、必死で喋るレドルアの話を聞いてあげたいと思うが、今こいつに好き勝手喋らせていると、いつまで経っても血が止まらない。
「いいから、黙れっていってんだろうが!話は止血したあとだ。あと少し、あともう少しで」
その時突然、黒猫は動き出した。
作者です。
今回はレドルアがいっぱいでしたね。彼を救おうとするクライスはただの研究者、まだ高校生と同じ年代ですよ。文字通り現実離れしてます。
さて連続投稿を行い4日目に突入しました。何人にも見ていただけて、大変嬉しく思います。
お時間ございましたら、厳しいご意見も含め感想、評価をお待ちしています。
今後も『神、降臨』を何卒よろしくお願いします。
楼陽