第一章 World.18 レドルア、仮名作成
いつもの部屋とやらに、レドルアと共に招待された。招待者はレンナである。応対をしたランダも初めてあったが、レンナのことだ、怪しい集会というわけではないだろう。
「何があったんだ、レンナ」
「何なんですか姉さん、突然私が名乗るのを遮って、なんかあるっていうんですか」
「かなり問題があるわ」
名前が自身に支障をきたすというのはどういうことなんだ。
「まず、二人とも、十四年前のことは知っているでしょう」
「うん、レドルアがそれでトラウマになっちゃったやつね。今日の夜明けごろに号泣した話だ」
「黙っててください!他の人には言わないでくださいよ、絶対」
レドルアは自身の恥を言葉にされ、恥ずかしそうにしている。
「いいから、その話のことよ。私の名前『レンナ・コルテ』なの。それが前提」
「いや、何当たり前のことを言ってるんだよ、レンナ。それぐらいわかる。レドルア・コルテの姉なら、レンナ・コルテとしかならないだろう。直接あなたから姓は聞いてないけど、それくらい簡単にわかるぜ」
この世界に来て、必死に情報収集していたから、そういうのを予想するのはとても簡単だった。
自慢げに予想能力を披露するクライスを見て、レンナは心が痛んだ。今度は鋭利な眼差しに切り替えて、淡々と言葉を繕い出す。
「絶対その名前外で言っちゃダメよ。もちろんレドルアのことも」
レンナは脅迫でもしているかのような態度をとる。その圧迫感には、俺は従うしかなかった。
「勿体ぶらずに、理由を説明してください。コルテの苗字に何があるっていうんです?」
「すごくあなたがわかっていることだよ」
「よくわかりません。どういうことですか?」
「勘が鈍いのかしら。つまり、この村の住人は『レンナ・コルテ』という名を忌避しているということよ。転じて、コルテの姓も怖がるのよ」
案外、話の着地が微妙である。レドルアが、トラウマになったのは、レンナが暴走したのを目の前で見ていたからである。だが、村人に関しては、助けてもらった恩人であり周知の事ではないのか。
「よくわからないんだが、何で『レンナ・コルテ』を忌避する必要がある。『レンナ・コルテ』は村を救ってくれた英雄なはずだろう?」
「うんと言いたいところですが、そうもいかないでしょうね、クライス。あの時、精神教と戦ったのが、レンナであることを知っている人は、その戦いの最中に助けたあの店員さん、ランダくらいです。他の村人は、逃げることで精一杯でした」
「だから、村の人々は、精神教から逃げてみたら、村に魔力が暴走して暴れている少女がいるって状況なのよ。もしそうだとしたら、あなたはどう思う、クライス?」
「すまない、精神教の内通者、もしくは関わりのある誰かだと思ってしまうかもしれない」
「いいわ、もう慣れているからね。つまりそういうことなのよ」
この村で、『コルテ』という姓を出せば、西方精神教事件の時に精神教と過去関わっていた人、狙われた原因が来てしまった、という誤解を起こしてしまう。
村を追放される可能性があるということだ。
威勢を張った強者は英雄として称賛されるのがセオリーであるが、時に迷信や呪いと掛け合わされて残念な結果を生むこともある。世界を作ったウォーチェンでさえ、それはどうにもできなかったようだ。
優柔不断そうにみえるレドルアも、自身の命となれば話は早い。
「よくわかりましたよ。だとすると、私はどう名乗りましょうか」
「かなり大事だよな。レンナはどう名乗ってるんだ?」
「だけど私の姓と一緒にすると、危ないよ?一応『レンナ・コルティア』を名乗ってるけど」
何かの拍子に知られたら二人とも追放だし、そもそも姉弟であることが知れてしまうのも危ない。
「どうあれ、私は『コルティア』とは名乗れませんので、ここは『レドルア・ウォーチェンス』とでも名乗っておきますか」
何か聞いたことある響きだな。
「ウォーチェン様からもじったのね。神様の名前をもじるなんて、随分と大胆なことをする」
あいつ、この世界では神様なのか?!いや偶然だろう、さすがにあいつが神様だなんて、笑いを堪えられない。
「何笑ってるの、クライス。やっぱりレドルアが神様の名前をもじって仮の姓にするの、変だと思う?」
「うん。まあ別に名乗る分にはいいと思うけど」
この世界で俺が現実のウォーチェンの話を出せば、俺が精神教信者にされてしまうかもしれない。流石に一日でも勉強していないわけではない。
「とにかく私は今日からこの村では『レドルア・ウォーチェンス』を名乗りますね。基本レドルアですが」
「完了だね。今日ここに来た理由は終わり。ご飯だけ食べて帰ろうか」
レンナはそういうが、まだハルカたちの話が残っている。
「完了していない事が一つある。レドルアは、ハルカとムスカル爺やの目の前で、堂々と『レドルア・コルテ』を名乗ってたけど、何であいつらは忌避しないんだ?」
「だってムスカル爺やが行商人で、ハルカはその養子よ?こんな薄っぺらい村の噂を信じるわけないじゃない」
「いや、何でそうなるんだ?」
「だからそんな噂に流されていたら、正しい情報を見極められていない行商人ってことよ?廃業まっしぐらね。あの人たちも、噂を知ってはいるけど、信じていない」
「いいじゃないかそれなら、ハルカやムスカル爺やを連れてきても。何でハルカたちをおいてきたんだ?」
「だって、それは、・・・・」
レンナが言わないように自分の口を塞いでいる。
「家で話すね!あレドルアはダメよ」
「よくないですよ、姉さん、そういうのは」
「はいはい、愚痴なら聞くから。この話はクライスにしかできない」
何だかこの人、今日の朝日で泣いてから、急接近してきている。夜になって情緒も奇妙だ。どんどん利己的になっている。
だいたい何の説明も無しにここに連れ込んで、秘密はあとで俺だけに話しますというのは、レドルアにも同情される義理はあるだろう。
「お料理どういたしますか?」
ランダが誰も料理について話していなかった個室にやってきた。
「カレーなんてのはありますか。ここら辺で食べたことがあって、それがまあ美味しいくて」
嘘である、先程まで慌ていた。少し汚れたランダの口を見て、すぐに決めるなど邪道というか、反則というか、何だか知ったかぶりの顔しているのが腹立たしい。
「店長の得意料理です。辛すぎないものならご用意できます。香辛料の類は量を持ち合わせておりませんので」
ランダの唇の横には茶色いトロッとした液体が付着している。賄いかなんかで店長が振る舞っているのだろう。レドルアが皆無の事前知識で答えられたのは、そういう理屈だ。
「であれば、俺もそれがいい」
「いややっぱ私もそれにするよ!」
結局俺もレンナも同じものを頼んでしまった。得意料理と聞いてしまえば、わざわざ質問してまで他の料理を注文するほど、食に執着心はない。
レンナはそもそも、他人と違うものを食べる気は更々無かったようだ。
注文を通してきたランダは、レンナと話している。
「この方々を私、失礼ながら存じ上げないのですが」
「片方は知っているはずよ。赤髪の方は、・・・・あなたを助けた私の弟よ」
「よく見れば、確かに同じ人ですね。大変失礼致しました『レドルア・コルテ』様」
「まあ、礼儀正しくありがとうございます。聖都から休暇で参りました特級精霊師です。この村では『レドルア・ウォーチェンス』とお呼びください」
ランナは久しいレドルアの顔が魅力的に映ったようで、少し瞳孔が開いている。
そうか、ランナは助けてくれたレドルアに一途な想いがあるのだろう。虚構における典型的な恋愛のような、出来上がった物語も、現実に存在しているのなら、この二人は結ばれるだろうに。
レドルアは冷淡な顔をしている。非常に残念だ。あとで少し誘導をかけてみようか、ウォーチェンの気持ちも、今なら少しわかるような気がする。
ランダの持ってきた店長特製のカレーは美味だった。思っていたよりも香辛料の効きが強く、辛口に仕上がっている。
レドルアが辛くて舌を腫らしたのはまた別の話。
「今日はありがとう、ランダ」
「大丈夫ですよ。またいつでもお越しください。この地下の個室はいつでも開けていますから、クライスさんも、レドルアさんも、村人に聞かれてはいけないことがあれば、このランダ、いつでもお呼びください」
人を救う恩というのはなかなか偉大であり、同時に心強いようだ。
家に帰ってきた俺らは、もう夜なので就寝の準備を始める。
「ピクルス作っておかなくていいのか、レンナ」
「なんと、完全に忘れちゃってた!赤かぶ取りに行かなきゃ」
レンナがクライスとは反対の食物蔵へと進むので、二人を結ぶ鎖は張力のままにピンと張る。
「きついんじゃないか、今日までに治るのは」
「はい。そうですね、魔法は教えてもらえませんよ」
何だか満足げである、何か既視感がある。何かがマズい方向に行っている。何だろう、何だ?
「つまり今晩も鎖が外れないまま、治療し続けるしかないです」
ウォーチェンよ、ノアに伝言を頼む、これは「不可抗力」だと。