砦
ヤンギル国の砦の中に入らなければならない。
どうすれば砦に入れるか?
包囲しているモジタバ軍の中を突破する方法がある。突破するときに、何人かのモジタバ兵を倒せるだろう。しかし、こちらは小人数だ。一人でも倒れれば、五人のモジタバ兵を倒しても計算が合わない。
ペシルが脱出してきた抜け道を通れば全員が無傷でヤンギルの砦に入れる。しかし馬は抜け道に入れない。ここで馬を捨てれば大切な機動力を失うことになる。
どうする。
バシールが決断した。
「抜け道から入ろう」
馬から荷物を下ろした。馬具をすべて外し、馬を解き放った。
砂漠の地表に水は一滴もない。だが地中に水はある。地下水が流れているのだ。
井戸を掘り、運よく地下水脈に当たれば水が得られる。コラッサン地方では、この技術が進んでいた。この井戸を利用して過酷な沙漠を旅行するのだ。
井戸は、いつかは枯れてしまう。地下水脈の道が変われば、水は得られないのだ。枯れた井戸は放置される。見向きもされない。
ヤンギルの砦からの抜け道は、放置された井戸の近くにあった。
井戸は枯れているし、その周辺を注意する理由はない。大きな岩が積み重なっているだけだ。岩のすきまに、巧妙に隠された抜け道の入り口があった。
ペシルが道案内として先頭、その後にバシールが続く。そしてディーマ姫と従者、兵隊と続いている。しんがりはコリアだった。
全員が、荷物を持っている。
先頭のペシルと後尾のコリアが持つたいまつが洞窟を照らしている。腰を屈めながら狭い洞窟を進む。
そして――、明かりが見えた。
砦の中に入ったのだ。
ディーマ姫の一行は歓声をあげた。
砦の中のヤンギル国の人々も喜んだ。救援が来た。だが、それにしては人数が少ない。これでは勝てない。
ディーマ姫は、その空気を感じながら言った。
「とりあえず、兵士たちには、休むように言って」
バシールが言った。
「砦の指揮官に会いましょう。状況が知りたい」
ディーマ姫とバシールは奥の病室へ入った。
病室にヤンギルの指揮官が横たわっていた。戦闘で重傷を負ったのだ。ようやく話だけはできる、という状態であった。
枕もとで指揮官から状況を聞いた。
砦は、ほとんど陥落する寸前であった。国王は戦死し、指揮官は重傷。指揮をとれる人間はいない。だが、士気は、消えてはいない。まだ残っている。非戦闘員でも、弓を引ける者は矢を射る。非力な者は石を投げていた。
病室を出て重傷の指揮官に聞こえない場所で、ディーマ姫がバシールに言った。
「あなたが指揮をとるのよ」
「はい」
「どう?」
「士気はあるようですから、兵隊をうまく使えば戦えますよ」
「頼むわ。私は、明日の朝、演説する」
「姫の言葉があれば一万人の兵士が奮い立ちますよ」
「一万人も要らない。砦の中の兵士だけでじゅうぶんよ」
「ところで、コリアは?」
「あなた、どう思う?」
「姫と同じ考えです」
「それなら議論する必要はないわね」
バシールが兵隊に聞いた。
「コリアは、どこにいるんだ?」
コリアは城壁の下にいた。
ディーマ姫の一行は大歓迎されている。食堂に案内され、葡萄酒が出され、山のように盛られた肉を勧められているのだ。
コリアは、葡萄酒の椀と干し肉だけを受け取り、城壁の下に来た。
人と交わるのは好きではない。独りがいい。コリアは、いつ出発するか、を考えた。
約束は果たした。すぐにでも出発できる。だが、ディーマ姫とバシールは忙しそうだ。落ちついてから別れの挨拶をしよう。それに、この砦の配置を調べるのもよい。いつか役に立つであろう。
どうやって出発するか、は考えてあった。
城壁からロープで降りるのだ。モジタバ兵の馬を奪い、そのまま駆ける。
ディーマ姫へのお礼に、モジタバ兵を数人斬るのもいいだろう。
そこへ白髪で長身の老人が近づいてきた。
老人が礼をした。
「失礼ですが、コリアどのかな?」
「あなたは?」
「ユスフ。ヤンギルの預言師です」
「それで?」
「お聞きしたいのですが……」
「なにを?」
「食堂で兵士たちがうわさしていますが……」
「だから、なにを聞きたい?」
「ランゴバルドから来たのですか?」
「そう、ランゴバルドのワイルからきた」
「旅の途中でグールを倒したそうですが?」
「そうだよ」
「イフリーフも倒したそうですね」
「霧を払っただけだ。イフリーフのことは知らない」
「それで十分です」
ユスフは、深々と頭を下げた。
「勇者コリアさま。お目にかかれて光栄でございます」
ユスフは去った。
次の日の朝。
見張りの者を残して砦の中の全員が広場に集まった。
兵隊たち、その家族、戦闘には関係しないヤンギル国の住民。そして三組の隊商もいた。ヤンギルの砦に入ったときにモジタバに攻撃され、砦で足止めされているのだ。
女王の喪服の正装をしたディーマ姫がバルコニーに立った。
その脇にはバシールが控えている。少し下がったところにはユスフがいた。ヤンギルの預言師として地位は高いのだ。
コリアは、バルコニーの陰で、人から見られない場所に立っている。
ディーマ姫が演説をした。
「私はディーマ。残念ながら夫が亡くなりましたので、今日からは私が女王として、命令いたします。
ここにいるのはバシール。
今朝、指揮官が亡くなりました。それで、バシールを新しい指揮官に任命します。
では、命令、その一。死んだ国王と指揮官、すべての戦死者に対して、黙とう!
…………
黙とう、止め!
命令、その二。
今、このときから、全員が一丸となって戦うのです。
私が先頭に立ちます。
敵の勢力は十倍です。
でも、それがなんだ!
数は関係ありません。
どんなに砂粒が多くても、一個の石には勝てません。
重要なのは勇気、情熱です。
勇気と情熱があるかぎり、この戦いは勝ちます。
絶対に勝つ!
くじけるな!
絶対に勝つ!
死を恐れないでください。
人間、いつかは死にます。
でも、それは今日ではない。
明日でもない。
この戦いで死ぬことはありません。
三十年後、いや五十年後、自然に寿命が尽きるまで、皆さんは生きます。
皆さんに命令します。
これからの勝利への戦いを、しっかりと覚えてください。
それを、みなさんの子どもたち、孫たちへ伝えるのです。
新生ヤンギルの伝説の主人公はみなさんなのです。
命令です!
忘れないで、伝えてね!!」
広場を埋めた人々から歓声が嵐のように湧いた。
歓声が静まったとき、ユスフが前に出て、言った。
「私が一つ付け加えよう。
みなの者、もう聞いたと思うが、ここには凄い勇者がいらっしゃる。
額に三日月のある勇者じゃ。
彼は、はるか彼方のランゴバルドからやって来られた。
銀燭の塔を通ってやってこられたのだ。
この地へ来てすぐ、グールを何匹も斬られた。
イフリーフを追い払われた。
最強の剣士だ。
みなの者、よく聞くのじゃ。
ヤンギルの砦には世にも美しい女王さまがいらっしゃる。
智謀無限の指揮官がいらっしゃる。
そして、最強の勇者がいらっしゃるのだ。
勇者コリアさまだ。
この方たちがいらっしゃる限りヤンギルは無敵だ。
さあ、みなの者、戦おうではないか」
また歓声があがった。
そして、人々は解散した。
コリアがバシールに近づいて、小声で聞いた。
「あれ、お前の演出か?」
「違う。ユスフが勝手に言っているだけだ」
「よけいなことを言いやがって」
「まあ、怒るなよ。勇者コリアさま」
「うるさい」
「それで、そろそろ出発するのか?」
「もう少し、ここにいる」
「ユスフの演説で出発しにくくなった?」
バシールは皮肉な声で続けた。
「お主でも、人のことを気にするのか?」
「ちがう。砦の攻防戦に興味があるからだ」
「そういうことにしておこう。勇者コリアさま」
モジタバ軍の攻撃が始まったのは、太陽が真上にきたときだった。
もちろん、太陽の隣には彗星がある。