ヤンギル
コリアが力を抜いた。
「これがおれの腕だ」
コリアは剣を地面に刺した。
バシールは剣を鞘に納めた。
「なかなかやるな」
ディーマ姫が嬉しそうな顔をして言った。
「弓の腕前はどうですか?」
コリアは、無表情で言った。
「弓と矢を貸してくれ」
兵隊の一人がバシールの方を見て、バシールが頷いたのを確認してからコリアに弓と矢を渡した。コリアは借りた弓を引き、強さを確かめた。石を拾い、バシールに言った。
「協力してくれないか」
「なにをすればいい?」
「この石を頭に乗せてくれ。石を射落とす」
バシールは顔色も変えずに答えた。
「いいだろう」
ディーマ姫は面白そうに見ている。
バシールは石を頭に乗せて仁王立ちになった。
コリアは、その場所から二百歩離れた。
矢をつがえ、引き絞り、放つ。
矢は石を跳ね飛ばした。
ディーマ姫が喜んだ。
「合格よ」
コラッサンに大きな国はない。
城壁で囲まれた一つの小さな砦都市が、一つの国になっているのだ。ごく簡単に説明すると、大きなオアシスを中心として一つの国ができている。
国々の間では、あるときは友好を結び、またあるときは敵対する。
ディーマ姫はマンヤ国の四女だ。ヤンギル国の若い国王との婚礼が決まった。この旅はヤンギル国へ向かっている。ヤンギル国で結婚式をし、そのまま国王の妃になるのだ。
バシールは、コリアにこういう事情を教えた。そして付け加えた。
「砂漠の旅は過酷でグールの襲撃もある」
「だから一人でも多く人手が欲しいんだな」
「そうだ」
コリアが言った。
「ヤンギル国へ入るまで手伝おう。約束する」
この右も左も分からない熱砂の土地で助けられたのだ。恩を返す必要がある。
バシールは礼を言い、さらに付け加えた。
「コリア、お主は強いな。気に入ったぞ」
「そういうお前も、大したものだ」
「どこが?」
「おれの矢が石から外れそうになったら、矢を切るつもりだったのだろう?」
「それが分かるお主は、凄い」
「おだてるな。そんなことよりも剣と短剣が欲しい。予備のものを売ってくれ」
「贈呈しよう」
「きちんと対価を払う。金貨と宝石のどちらがいい?」
「それなら伽羅竹を貰おう」
「ここでは伽羅竹が、そんなに貴重なのか?」
「そうだ。伽羅竹の水筒をくれれば剣と短剣を渡す。それに水を入れる革袋も付けよう」
「それはいい」
二人は馬を並べて進んだ。
その日の夜。
テントを張り、周囲にはたいまつを立てた。
バシールが言った。
「グールを寄せ付けないためだ。グールは光に弱い」
コリアが言った。
「それでも、犠牲になった兵隊がいるんだな」
「完全に防ぐことはできなかった」
「見張りは?」
「四人。一時間ごとの交代だ」
「おれも見張りに立とう。交代はいらない」
「寝なくて大丈夫か?」
「昼間、馬の上で寝るよ」
次の日。
大地は岩だらけになった。
馬が歩きづらい。
ディーマ姫が馬から下りた。
「みんな歩きましょう。馬がかわいそうよ」
コリアがバシールに聞いた。
「あの姫は優しいな」
バシールが答えた。
「それだけじゃない。武技にも長けている」
「そうだろうな。隙がない」
「姫と結婚するのは大変だ」
「ヤンギル国の王は、その器量があるのか?」
「その質問は、聞かなかったことにする」
次の日。
岩だらけの大地が続いている。
奇妙な三角形の岩が、いくつも飛び出ている。
ハイパーボリアの遺跡のようだ。
渓谷で見たときは苔におおわれて草が生えていたが、ここでは岩のままだ。
バシールが言った。
「妙な形をしているな」
バシールはハイパーボリアを知らないらしい。コラッサンではハイパーボリアの伝説は失われているのだろう。
コリアが聞いた。
「見るのは初めてか?」
バシールは興味なさそうな口調で答えた。
「ああ。砂漠にはいろいろな形の岩があるから、三角形もあるだろうよ」
「ハイパーボリアを聞いたことないか?」
「なんだ、それ?」
「いや、いい」
バシールは、今現在のことしか関心がないようだ。つまり、この一行を無事にヤンギル国へ届けること。
次の日。
バシールが全員に声をかけた。
「あと一日だ。がんばれよ」
全員に活力が戻ってきた。
バシールが、そろそろ食事にしよう、呼びかけたとき――。
地平線から黒い霧が向かってくるのが見えた。
コラッサンを知らないコリアが聞いた。
「あれが砂嵐か?」
バシールが緊張した声で答えた。
「ちがう。砂嵐なら、もっと茶色い。それに、あんなに速くない。悪魔の霧だ」
砂嵐でも竜巻でもない、邪悪な感じの霧が接近した。
たちまち霧が一行を包んだ。三十歩ほどの距離だけ離れて取り囲んでいるのだ。空も覆っている。太陽が見えない。ただ彗星だけは、よく見えた。
馬がおびえている。
兵隊たちも、どうしていいのかわからない。
バシールが叫んだ。
「うろたえるな。姫を守れ」
ディーマ姫が言った。
「私はだいじょうぶよ」
バシールが続けた。
「コリア」
「おう」
「後ろを守ってくれ」
「承知」
「拙者は前を固める」
霧の中から、うなり声がした。
霧の一部が固まり、奇怪な怪物の形になる。
すぐにその形が溶ける。
そのとなりに、また怪物の形ができる。
バシールが矢を射た。
矢は霧の中に消えた。
コリアは剣を構えながら怪物の形をみた。
巨大な触手がたくさんある蛇のようなものだ。
ランゴバルドでは見たことのない形である。
コラッサン地帯に棲息する怪物なのだろう。
怪物なら倒す。怪物を斬って最強になるんだ。
コリアは前に走り、怪物の形になったところに剣を振り下ろした。
手ごたえはない。
だが、霧が薄くなったようだ。
左右に剣を振る。
剣が通過したところの霧が薄くなる。
手ごたえはないけれど霧は斬れるぞ。
それを見て兵士たちも剣で霧を斬った。
霧が晴れた。
一瞬で消えたのだ。
兵隊たちは安心し、そしてふるえあがった。
イフリーフが出現した、とささやいている。
バシールが怒鳴った。
「もう一息でヤンギル国だ。くじけるな」
一行は、元気なく、進んだ。
コリアが兵士に聞いた。
「イフリーフ、ってなんだ?」
「コラッサンでいちばん怖い妖怪です」
「知らなかった」
「でもね、もっと怖い人間がいるんです」
「だれだ?」
「ディーマ姫」
「怖くて逃げ出したい?」
「とんでもない。どこまでも付いていきますよ」
「ディーマ姫は幸せだな」
次の日。
岩の陰から声がした。
「姫さま」
「えっ、だれ」
ディーマ姫が周囲を見回した。
小柄な男が現れた。
「あら、ペシルじゃない」
「大変なことになりました」
ペシルはマンヤ国の役人だ。
今度の婚礼の打ち合わせに、前もってヤンギル国へ派遣されていたのだ。
彼は次のようなことを話した。
モジタバ国が突然ヤンギル国へ攻めてきたのだ。
ディーマ姫の美貌は広く知られていた。モジタバの国王もディーマ姫を欲しがった。
「ヤンギルの若造にとられてたまるか」
モジタバの軍隊がヤンギルの砦都市を攻め始めたのだ。
こうしたことを、ペシルはディーマ姫とバシールに伝えた。
ディーマ姫とバシールは愕然とした。
ディーマ姫が聞いた。
「それで、どうなりました」
ペシルが涙ながらに答えた。
「多勢に無勢。砦を守るのがやっと。ヤンギル国王は戦死しました」
「まさか……」
「ご臨終のとき、私に言葉を託されました」
「どういう言葉?」
「”ディーマ姫は若い。実りある人生を送ってほしい”」
ディーマ姫の目に涙があふれた。
だが、涙はまつ毛で止め、顔には流さない。
どの砦にも、最後の脱出に備えて抜け道がある。
ペシルは、抜け道を通って沙漠に出て、ディーマ姫の一行を待っていたのだ。
バシールは、ペシルから砦の中の状況を聞いた。頭の中に砦の見取り図を描き、兵隊を配置してみた。作戦の専門家として考えれば絶望的に不利だ。
ディーマ姫を見た。
彼女が言った。
「私と同じことを考えているのね」
「はい」
ディーマ姫とバシール、それにペシルの話は、コリアには関係ない。コリアは部外者だ。遠く離れたところで三人を見ていた。
ディーマ姫とバシールが近寄ってきた。
ディーマ姫が事情を説明した。
「……こういうことですから、ここで別れましょう」
ディーマ姫が続けた。
「十日分の水と食料をさしあげます」
バシールが言った。
「短い時間だったが楽しかった。縁があったら、また会おう」
コリアが言った。
「ヤンギル国へ入るまで手伝う、という約束だ。まだ砦の中に入っていない」
バシールが言った。
「お主、バカだな」
「お前には負ける」
ディーマ姫が笑った。
「もっとひどいバカがいるわ」
コリアが笑った。
「それ、だれ?」
「だれでしょう」