白のツアトグア
コリアとマリアンは歩き続けた。
大地の雪は氷に変わった。風も強くなる。わざとそうしたように向かい風だ。地表の氷が舞い上がり、それが針となって突き刺さってくる。身体を前に倒すようにして進んだ。
氷におおわれた山の麓に着いた。
「この山を登るのよ。滑るから注意してね」
コリアは、マリアンが首をかしげるのを見逃さなかった。
「どうした?」
「百年間見ていないから、記憶にまちがいがあるかもしれない」
「悲観するな。ここまで来たんだ、自信をもって先へ進め」
二人は氷の割れ目を階段にして登った。用心しないと風で吹き飛ばされそうだ。這うようにして、両手を氷に刺し、身体を押さえた。
ようやく中腹まで登ったときマリアンが止まった。
「ちょっと待って」
「どうした?」
「このあたりに洞窟があるはずよ」
「そこからツアトグアの棲みかへ行けるのか」
「入り口をさがすわ」
袋からエイボンの書を取り出した。
エイボンの書を両手に持ち、目を閉じて呪文を唱えた。そのまましばらく瞑想をし、目を開けた。
「ええと……そこの……先……ここだわ……」
マリアンが氷の壁を指さした。
「ここに洞窟があるはずよ。氷をどかして」
コリアは剣を氷に突き刺し氷を砕いた。氷が固くて厚いので、苦労する。怪物を斬る方が、はるかに楽だ。
腕が痛くなった。
穴が開いた。
中へ入る。ようやく風の攻撃を回避することができた。
天井から無数のツララが垂れている。地面にも氷が針のように立っている。ツララや氷の針で狭くみえるが、かなり広い空間だ。
下方へと傾斜している。
「よく見つけられた」
「エイボンの書のおかげよ」
マリアンが次のような説明を言った。
エイボンの書は一番重要な魔道書なの。
修道院が赤のツアトグアに襲撃されたとき、戦利品として奪われたのよ。
赤のツアトグアも、エイボンの書が貴重なものだとよく知っていた。
それで、二つに分けて、半分を白のツアトグアに送ったの。
プレゼントということね。
「地下牢に幽閉されていて、魔道書が二つになったことが分かったのか?」
「ツアトグアが、おまえたちの大切なエイボンの書を切り裂いてやった、と自慢して話したの」
「白のツアトグアにプレゼントしたこともか?」
「そうよ」
ただひとつだけツアトグアが知らないことがあったわ。
別々になったエイボンの書は、おたがいを求め合うの。
求め合う力を利用してこの洞窟を発見したのよ。
「だから、エイボンの書の残りの半分は、この近くにあるわ」
コリアの目が鋭くなった。
「ここへ来た目的はエイボンの書か?」
「白のツアトグアもすぐ近くにいる。あなたは白のツアトグア、私はエイボンの書」
マリアンは真剣な顔で続けた。
「命の恩人だからツアトグアを退治するのを助けるわ。嘘じゃない。でも、そのためにも、なにはともあれエイボンの書が必要なのよ」
「いいだろう」
滑らないように注意しながらゆっくりと進んだ。
両側の氷の中には、多くの人間が凍りついている。猟師や剣士、親衛隊員、それに太古の怪物までもいた。
地面が揺れた。
「地震か?」
「それは……あっ、危ない」
大きなツララが何本も落ちてきた。
「後で説明するわ。急ぎましょう」
洞窟の奥から音が聞こえてきた。声のようだ。でも、なにをいっているのかは聞き取れない。
道が二つに分かれている。音は右の洞窟から聞こえてくる。
「こっちよ」
マリアンが右へ曲がった。洞窟が狭くなり、腰をががめないと歩けなくなる。音が大きくなった。
突然――、視界が開けた。
そこは巨大なドームであった。
コリアとマリアンは、天井に近い横穴からドームを見下ろしているのだ。ドームの底には大きな祭壇があり、奇怪な像があった。ツアトグアが祈りをささげている。このドーム全体が大きな神殿なのだ。
ツアトグアの声がドームの中で反響していた。ツアトグアの後ろには多数のゴブリンがいる。
「やはり洞窟をまちがえたわ。あいつらの背後に出るはずだったのよ」
「まあいいさ。ここならよく見える」
「それもそうね」
「ツアトグアはなにをしているんだ?」
「ガガイアの怒りを鎮めようと祈っているのよ」
「ガガイア? 聞いたことがない」
「そうね、人間界では知られてないと思うわ」
「教えてくれ」
「ツアトグアは、ハイパーボリア文明以前からいた怪物よ。でも、ガガイアは、さらに古い時代に地球を支配していた神なの」
「古すぎる」
「さっき地震があったでしょう? あれはガガイアの怒りだ、と信じられているの」
「白のツアトグアは、ここでガガイアの怒りを鎮めようとしているのか?」
「それが白のツアトグアの役目よ」
「役目を終わらせてやろう」
「それじゃぁ、さっそく」
「待て、おれ一人でやる」
「助けてあげるわよ」
「一人でやるのがおれの流儀だ」
「いいわ。あなたの目的はツアトグアを斬ることでしょう?」
「ああ」
「ツアトグアを斬りなさい。私は邪魔なゴブリンを片付けてあげるわ」
「協力を感謝する」
二人はドームの内側の壁を下り始めた。
内側に湾曲しているので下りづらい。ツララがたくさん垂れているので注意が必要だ。うっかりツララを落としたら気づかれてしまう。
ようやくドームの底についた。
コリアは剣を抜き、ゴブリンの背後に回った。
ゴブリンを次々と斬る。
四匹斬ったとき、ゴブリンたちが気が付いた。
コリアは声にならないおたけびをあげて走った。
襲いかかるゴブリンを反射的に斬る。
わき目もふらずに、一直線にツアトグアへ突き進んだ。
コリアの背後では、マリアンが手から電光を出してゴブリンを倒していた。
ツアトグアが振り向いた。
コリアは、走りながらツアトグアの足を斬った。
修道院の戦いで、ツアトグアの皮膚の厚さは分かっている。
ツアトグアを斬るコツも分かっている。
ツアトグアはコリアを捉まえようとして、腕を伸ばした。
鋭い爪の生えている指を斬り落とす。
ひるんだ隙に腹を斬る。
悪臭のある血液が出た。
悲鳴をあげてツアトグアが暴れた。
コリアを見て攻撃態勢を取った。
コリアはツアトグアから間合いを開けた。
奇襲はここまで。
次で倒す。
タイミングを読む。
今だ。
飛び込む。
斬る。
剣が折れた。
「!」
地面が揺れた。
その場に倒れた。
ツアトグアがおおいかぶさってきた。
「このっ!」
折れた剣を投げた。
ツアトグアの目に刺さった。
ころがりながらツアトグアから離れた。
地面は揺れている。
多くのツララが天井から落ち、ツアトグアに突き刺さった。
ツアトグアが倒れた。
地震が止まった。
コリアは、ぼうぜんとして立ち上がった。
「シダライト・ソードが折れた……」
周囲を見る。
ツアトグアは死んでいる。
ゴブリンたちも死んでいた。
半数はコリアに斬られていたが、残りの半数はマリアンの電光で焼け焦げている。
この広いドームの中にはコリアとマリアンしかいない。
「ちょっと、こっちへきて」
マリアンの声がした。
壁に手を当てながら呼んでいる。
コリアが近づいた。
「短剣を貸してくれない?」
「エイボンの書を見つけたのか」
「ここにまちがいないわ」
コリアは短剣を渡した。
マリアンは、壁の氷を削り落とした。壁の一部が石の板になっていた。それを短剣でこじあけた。中には羊皮紙の束と八角形の黒檀の箱が入っていた。
うやうやしく羊皮紙を取り出す。
「それがエイボンの書の残り半分か?」
「そうよ」
マリアンは、エイボンの書を袋に入れた。
「これで目的は果たせたわ。あとは、思いっきり助けてあげるわね」
マリアンは、壁から離れ、歩きながら話をした。
「エイボンの書があれば怖いものなしよ」
コリアは、マリアンの後についた。
マリアンは、祭壇で止った。祭壇の中央に穴があいている。マリアンは、穴を指差していった。
「この穴は地軸まで届いているの。ガガイアの神はここから出てくるの」
「出てこないように祈りを捧げていたのか?」
「そうよ。エイボンの書があれば祈る必要はないわ」
「祈らないで、どうするんだ?」
「ほら、見て」
コリアは身をのりだして穴を見た。
マリアンがコリアの背中を押した。