氷の地へ
「どうしたの?」
「白のツアトグアがいるところまで、どのくらいかかる?」
「そおねぇ、十日くらいかしら」
「そのくらいなら我慢できるが、念のために食料を用意しておきたい。おれが持ってきた食料は船といっしょに焼けてしまった」
「いいわよ。食べられる動物がいる密林へ案内するわ。百年で植物相が変わってなければいいけれど」
「百年くらいなら変わっていいないと思う」
二人は修道院を出た。
マリアンがふりかえった。
「名残惜しいのか?」
「とんでもない」
「修道院から出られてほっとしている?」
「そうよ。もう二度と戻らない」
「それで、どういけばいいんだ?」
「こっちよ」
二人は森へ入った。木々の間から蔦が垂れ下がっている。背の高い草が一面に生えていて、先が見えない。コリアが先になり、剣で草を刈りながら進む。
ときどきマリアンは立ち止まり、空をみて方角を確かめた。
「そこ、左へいって」
二人は森の中を進み続けた。やがて太陽が地平線の下に隠れ、星が見え始めた。
コリアが立ち止まった。
「よし、ここで寝るか」
「あら、夜、寝るの。二日や三日、休まないで進みましょうよ」
「そうじゃない」
「あっ、そうか」
コリアは二人が横になれる広さに草を刈った。てきとうな大きさの石を拾ってきて、それを枕にして横になった。
空は晴れていて一面に星が出ている。彗星もあった。
「不思議よね」
「彗星?」
「それもそうだけど、星も」
なぜ手の届かないはるか上空に星があるのか? 彗星がどこから出現したのか?
コリアも、前から不思議に思っている。しかし、それを解決する方法はない。
そんなことより、コリアには、もっと身近で切実に考えることがある。
強くなるにはどうすればいいか?
このことである。
「私、思うんだけど……」
「今は話すな」
「そうね」
二人は、横になったまま黙っていた。
時間が過ぎていく――。
真夜中になった。
ガサガサと草を分ける音がする。音が近づく。野ブタが現れた。鼻をヒクつかせながら近づく。
コリアが剣を振るう。
野ブタが倒れた。
「よし、仕留めたぞ」
二人は野ブタを解体し、火を熾して、肉を炙った。
「これで、当分、肉には困らないわね」
「じゃぁ、出発しよう」
次の日は、休まずに歩いた。
うっそうとした森を抜けた。草もなくなった。標高が高くなっているのだ。
「あれ、ちょっと待って」
「なんだ?」
マリアンが地面から木の実を拾った。
「これ、マナの実。種が保存食になるのよ」
「いっぱい落ちているぞ」
「拾っていきましょうよ」
二人はマナの実を拾い、食べながら歩いた。
三日間、歩き続けた。三日目の夜、修道院を出てから初めて野営した。野ブタの肉を焼き直して食べた。
次の日から、景色が変わってきた。木や草よりも岩が多くなってきたのだ。渓流が流れている。
「その水は、飲んじゃだめよ」
「汚染されているのか?」
「そうよ」
渓流にそって、さらに三日間歩いた。
太い竹が生えている森に入った。
「ちょうどいいわ。竹を切ってよ」
コリアは二つの節をまたいで竹を切断した。節の一方に穴を開け、竹の片で穴をふさぐ。
これを二つ作り、一つをマリアンへ渡した。
「水筒はできたけど、きれいな水はどこにあるんだ?」
「もう少し先よ」
コリアは、剣を収めた。
それを見ていたマリアンが言った。
「ちょっと剣を見せてくれないかしら」
コリアは反射的に身体を固くした。剣を人手にあずけることはしない。
「どうするつもりだ?」
「見るだけでいいのよ」
コリアは剣を抜いてマリアンに渡した。
白のツアトグアのところまで案内してくれるのだ。信用しよう。
「これ、重いわね」
マリアンは剣を受け取ると刃面を見て、コリアンへ返した。
「それ、シダライト・ソードでしょう?」
「そうだ」
「隕鉄で作られた絶対に折れない剣。強いはずね」
「剣は折れないけれど、斬るのはむずかしい」
コリアは剣を抜き、左右へと剣を振った。
「シダライト・ソードをあつかうには、かなりの技量が必要だ」
「あなたはその技量を持っている?」
「うん」
「頼もしいわ。ツアトグアに勝てるわね」
「必ず勝つ」
歩いていくと大きい滝が現れた。
「滝の上にいくのよ」
「先に行くぞ」
滝のわきをよじ登る。
滝のとちゅうに、三角形の岩が、いくつも飛び出ていた。
さらに登る。疲労がたまってきたが休むことはできない。手や足がしびれてきた。疲労だけではない。空気が冷たくなっているのだ。
手の感覚がなくなったとき岩が水平になった。滝の上に出たのだ。身体を引き上げる。寒いはずだ。大地は雪でおおわれていた。
マリアンが登って来た。
「ここから先がアイゼベルグ。雪と氷だけの地帯」
マリアンは、細く流れる川を指さした。
「ここの水ならきれいよ。好きなだけ飲んでね」
コリアは、冷たい水に顔を付けてゴクゴクと飲んだ。竹の筒に水を入れた。マリアンも、水を飲み、竹筒に水を満たした。
マリアンが感心した。
「よくここまで、水を飲まずにがんばれたわね」
「鍛えてある」
「さあ、もう少しよ」
「質問がある」
「なあに?」
「ここの水は汚染されていないんだろう?」
「そうよ」
「どこで汚染されたんだ?」
「滝のとちゅうに、三角形の岩がたくさん飛び出ていたしょう」
「変な形でおかしいと思った」
「あれは太古のハイパーボリアの遺跡の一部らしいの」
「ということはオリハルコンか?」
オリハルコンは動力に使われる貴重な石だ。だがオリハルコンがどこで採れるのか、よく分かっていない。たまたま発見できたものを使っているだけだ。ハイパーボリア時代にはオリハルコンが豊富にあった、という伝説がある。それで、ハイパーボリアを遺跡を探せ、と信じている鉱山師もいるのだ。重要なことには、オリハルコンには強力な毒がある。
マリアンが言った。
「あの三角形の岩に触れた水が汚染するのよ」
コリアは、心の中でうなずいた。そういうことなのか。知らなかった。覚えておこう。知識はいくらあってもよい。どこで知識が役に立つかもしれないのだ。
「行きましょう。あの雪山を越せば白のツアトグアの神殿へつくわ」
ちょうどそのころ、修道院の廃墟に二十人の親衛隊員がいた。彼らは隊長のジモン少佐の指揮で修道院を調べている。
次のような事情でここに来たのだ。
三名の親衛隊員が帰ってこない、という連絡が入ったことが発端だった。親衛隊員が行方不明になった、というのは重大事件である。すぐに捜索隊が組織された。
調べてみると、最後に三人が目撃されたのはワグネル亭だった。主人の話によれば、三人が小屋を出る前に剣士が出ていったそうだ。
「どんな剣士だ?」
「そういわれても……」
「なにか特徴はなかったか?」
「そういえば、額に三日月形の傷がありましたけど」
剣士といえば怪物退治だ。怪物を退治して有名になる。剣士ならだれでもこの野心がある。もっとも、この野心を成し遂げた剣士はいない。主人の話の剣士も、額に三日月の傷があるということだから強くはないのだろう。
主人は、この先に修道院の廃墟がある、と教えた。
「じっさいに見たことはありませんけどね」
「どのくらい遠いのだ?」
「歩いたら、密林ですから七日。船なら半日です」
「剣士はどうした?」
「十日分の干し肉を買いましたよ」
それだ。
「支払いは?」
「大きな黄金の粒でした」
親衛隊が黄金を見逃すはずはない。
付近を調べていた親衛隊員が近寄ってきた。
「隊長」
主人に聞こえないよう、耳打ちした。
「外で、親衛隊員の一人が首を斬り落とされて死んでいました」
事情が分かった。
捜索隊は船に乗って河をさかのぼった。
河では、五人の親衛隊員が吸血イソギンチャクの犠牲になった。三人が河蛇に喰われた。それでもジモン少佐は捜索を止めるつもりはない。
ようやく、破壊された船を見つけた。船には、血を吸い取られた親衛隊員の死体もあった。
「修道院を調べろ。急げ!」
これがまずかった。かけだした親衛隊員たちが人喰い蔦につかまってしまった。他の親衛隊員たちが蔦を切り、とうとう木を切り倒した。木の中に親衛隊員の軍曹の制服が挟まっていた。行方不明の親衛隊の最後が分かった。
では、剣士はどうなったのだ? 修道院にいるのか?
吸血イソギンチャクや河蛇、それに人喰い蔦に懲りた彼らは、慎重に修道院へ近づいた。
怪物はいず、人の気配もない。
廃墟の修道院を徹底的に調べた。怪物の死骸はあったけれど、人間の死体はない。三日月形の傷のある剣士は、まだ生きている。しかも怪物を倒している。
強い剣士だ。
隊長は、国王に報告することを考えて、気が重くなった。
死んだ軍曹は国王の甥なのだ。甥が死んだことを知れば、王は激怒するだろう。
「その剣士をここに連れてこい!」




