魔道士マリアン
コリアは足を止めた。
なんの音だ? 自然の音ではない。人間の声のようだ。
剣を握る。
「助けて……」
かすかなのでよく聞こえない。耳をすませる。
「誰か、助けて……」
たしかに聞こえる。女の声だ。広場を見まわした。瓦礫が積み重なっているだけだ。
「お願いよ……助けてぇ……」
どこから聞こえてくる? 慎重に広場を歩く。
大きな石の陰からゴブリンが飛び出した。
斬る。
あと一匹。
いや、待て。まだまだ多くのゴブリンが隠れているかもしれない。
「助けてぇ……」
あの声は、ゴブリンがだましているのか。それはない。ゴブリンにそういう知恵はない。
広場に人の姿はない。広場の下にいるのか。
ゆっくりと屋敷へ戻った。食堂へ入った。食堂から奥へ進む。いくつもの部屋があり、どれも荒れ果てていた。
さらに進む。
奥の部屋に古代文字を織り込んだタペストリーがかかっていた。古いものではない。少なくとも古くはみえない。
タペストリーを切った。
タペストリーで隠れていた扉が現れた。扉を開けて部屋へ入る。その部屋には黒曜石を彫り出した奇怪な像があった。ツアトグアが崇拝する神だ。
像の陰からゴブリンが飛びかかってきた。
斬る。
これで六匹。
修道士に化けていたゴブリンの数と同じだ。だが、まだ隠れているかもしれない。
「ねぇ……助けて……」
声が少し大きくなる。
どこだ?
「ここ、ここよ……」
部屋の下の方から聞こえてくる。地下室があるのか。地下室の入り口はどこだ?
ここに違いない。
「むっ」
コリアは、像を真っ二つに切った。
像の残骸を足でけとばす。
大きな金属の輪が現れた。よく見ると板石の取っ手だ。
これかな?
「そう……それ……」
コリアは、輪を両手でつかみ、渾身の力で引いた。
「うっ、重い」
背骨が折れるかと思うほど引く。ようやく板石が動いた。引き上げる。
中には階段があった。ゆっくりと階段を下りる。階段が終わり、通路になった。
どこからか微かな光が差し込んでいる。真っ暗ではないが、周囲がよくみえるほどの光ではない。
先の方に多くの赤い目が見えた。
ゴブリンだ。
襲ってくる。
コリアは、簡単に斬った。
「そのまま進んで……」
声が大きくなった。
先へ進む。
ゴブリンは、もういないようだ。
がっしりした鉄の扉があった。
「この中にいるの……」
扉を押してみるが錆びついてビクともしない。コリアは、扉の左右と上を手で確かめた。扉の右側と壁の間に剣を刺しこんだ。そのまま下へ動かす。左側も同じようにした。
体重を乗せて扉を押す。扉が内側へ倒れた。
人がいた。
「ありがとう、助かったわ」
薄明りなのでよくみえないが、女性であることは分かった。
「おまえはだれだ?」
「マリアン。魔道士よ」
マリアンが走り出した。
「あっ、待て」
階段を上っていく。コリアが後を追った。
マリアンは、階段を上り、部屋を出て、キョロキョロして回りをみた。
「ええと……ここだ……」
大きな部屋へ入る。
積み重なっているほこりまみれの羊皮紙の山をめくっている。
「ここは図書室だったのよ」
羊皮紙の束をより分け、一枚を取り出した。
「あった。それと……」
マリアンは、壁の石組みを調べた。
「よし、ここ……。ねえ……あなたは?」
「コリア」
「コリア、短剣を貸してよ」
短剣を渡すと、石の隙間にこじ入れた。短剣をテコにして石のブロックを外す。中に手を入れて八角形の黒檀の箱を取り出した。
箱を開けると白銀のブローチが出てきた。青緑色の石が付いている。
「ありがとう」
マリアンは短剣を返した。
「どういうことなのか説明してくれ」
二人は、先ほどの食堂へ行った。テーブルをはさんで座る。
「百年ぶりできれいな空気を吸ったわ」
マリアンはどっしりした体形の、妖艶な匂いのする女だ。年齢は四十歳くらい。とても百歳を越えているようには見えない。もっとも魔道士ならば若く見えるのは当然であろう。
「コリア、あなたは命の恩人よ」
マリアンは、次のような説明をした。
マリアンはドルイド系の魔道士であった。百二十年前、まだ半人前のとき、この修道院へ来て修行をした。きつい修行をして、晴れて一人前の魔道士になった。ところが、ちょうどそのころ空に怪奇な彗星が出現した。
「彗星で太古の怪物がよみがえったのよ」
この修道院はツアトグアに占拠された。
「修道院長や修道士が抵抗したけれど勝てなかったの」
彼らは地下牢に押し込められた。彗星が消えた。ツアトグアはあわてた。彗星に戻って欲しい。そして五年ごとに、修道士たちは一人ずつ生贄として殺されたのである。
「生贄をささげれば、また彗星がもどってくる、と信じていたのね」
「ツアトグアにとって、彗星は神聖なものだからな」
「よく知っているわね」
「そのくらいの知識はある。ちょっと待て」
「なによ?」
「地下牢にいたんだろう?」
「そうよ」
「どうして彗星が消えたことがわかった?」
「鬼気が消えたからよ。私は魔道士よ。空気で鬼気を感じられるわ」
ツアトグアと手下のゴブリンたちは生贄をささげ続けた。そしてまた彗星が出現したのである。生贄をささげるのは中止になった。
「おかげで私は生贄にならなかった。最後の一人だったのよ」
マリアンは、笑顔を作って、続けた。
「そして今日はツアトグアの鬼気が消えたわ」
「おれが斬ったからだ」
「それで必死に助けを求めたのよ」
コリアが聞いた。
「あの羊皮紙はなんだ?」
「魔道の極意が書いてあるの。『エイボンの書』の半分よ」
「ブローチは?」
「私の魔道士としての印」
「そうだったのか」
「今度は、あなたのことを教えて」
コリアは最強の剣士になるために旅を続けていると話した。額の三日月形の傷に手を触れて続けた。
「もう二度と負けない」
マリアンは、次の言葉を待った。
だがコリアはなにも言わない。彼は自分のことを話すのが嫌いだ。裸をさらけ出しているような気分になる。必要最低限のことしか話さない。
マリアンが聞いた。
「最強の剣士になる第一歩としてツアトグアを倒したのね?」
「そうだ」
「あと三匹にも挑戦するのね?」
「うん? どういうことだ?」
「ツアトグアは、合計四匹いる。あなたが倒したのは赤のツアトグア」
「何匹いるかは知らなかった」
「ここで赤のツアトグアを倒して珊瑚の珠をとり出したんでしょう?」
「そうだ」
「残りの三匹を倒して珊瑚の珠を四個集めれば、あなたは最強と認められるわ」
マリアンが続けた。
「あなたは、命の恩人。お礼に、残っているツアトグアを倒すのを助けてあげるわ」
コリアは考えた。最強の剣士になるために人の助けは借りない。独りでやる。だが、マリアンがいれば助けになることもある。じっさい、ツアトグアが四匹いることを教えてくれた。彼女は魔道士だから、これからも役に立つこともあろう。
コリアが言った。
「じゃぁ、助けてもらうか」
「これで決まりね。まかせなさい」
マリアンが立ち上がった。
「次は白のツアトグアの退治よ」
コリアはうなずいた。
よし、やるぞ。
「さあ、行きましょう」
コリアが手をあげた。
「そうはいかない」