第7話:十一の昼
「「「——ッ!?」」」
聖女様——その言葉に、全員が少なからず動揺した。
剣士の方は、やはり訓練されているからか顔には出ていない。剣の柄に手が動いた者もいるが、他は呼吸が乱れるくらいで済んでいる。
しかし、聖女は目を丸くして驚いた表情を見せてくれた。
美少女はどんな顔しても映えますなぁ、眼福です。
「な、なぜ私が聖女様だと? 私はただの商人で——」
「隙ありじゃああ!」
そこで、幸せに浸っている俺を邪魔しやがる存在が現れた。
内心で特大の舌打ちをかまし、剣を握り直してその攻撃を受ける。
「ルコ! 危ないでしょう……!」
「お主がそんなのに構っておるのが悪い!」
なんか構ってちゃんみたいになってる!?
やめてよ! その聖女の宗教は聖龍が信仰対象に入ってるのよ!? 色々マズイですわよ!?
「ホルコス……さま……?」
「なっ!?」
「どこですか! どこに審正龍様が!?」
「せいじ……お嬢様! 答えてください!」
ほら気づかれてるじゃん!
しかも呆然としちゃってるよ! 意味分かんなくなってフリーズしてるよ!
皆も慌てちゃってるよ! 慌てすぎてお嬢様って言うの忘れて「せいじ」まで言ってる人もいるよ!
この状況はダメだ、一旦退却しないと……!
「逃げるなこの浮気者ぉ!」
「うわ、き……!?」
「あぁ聖女様お気を確かに!」
一度、思い切り腕に力を込めて膠着状態から脱し、先程発動していた疾風化身で素早く距離を取る。
そしてそのまま木々を遮蔽物に見立て、枝から枝を飛び渡るような三次元的な挙動でかく乱し始めた。これでしばらくはまともに攻撃を当てられまい。
「逃げるでないわぁ!」
どこからかルコの声が聞こえた瞬間、周囲一帯に大きな水の塊が十数個生成された。
「詠唱……してない、だと?」
強烈な違和感が襲い来る。
しかし、そんなことを考えている暇はないと頭を振った。
この光景は幻想的で美しいのだが、なんとも危険極まりない魔術であることを俺は知っている。つまり取るべき行動は——回避あるのみぃ!
「あれっ、身体が——!?」
移動しようとした直後、身体が思うように動かなくなる。
その感覚は、クラインとの勝負でも感じたものと同じだった。
そして、抵抗できなくなった身体は無理矢理に動かされ、素早く聖女の方へと向かっていく。
……俺の行きたかった方向と真逆なんだけど? 思い切り逃げようとしてたんだけど!?
「なぜこちらに!?」
「聖女様を傷つける訳にはいかないでしょう! 〈絶壁〉!」
聖女の方に動いたってことは聖女を守れってことだろ!? いいよそうしてやるよ! 対魔術における最強防壁で守りきってやる!
ただし……
「(覚悟しとけよクソ女神ィ!)」
内心で思いきり殺意と怒りを爆発させながらなぁ!
刹那——可愛らしい見た目からは想像もつかないような鈍い音で水泡が破裂した。真っ黒な壁に無数の飛沫が当たり、ズシンと重い反動が何度も何度も返ってくる。
身体に当たればその部位は欠損くらいしそうな威力だ。込められた魔力量がとんでもないことになってる。
これは多分、第八位階くらいか。人間でそれを扱えるのは数パーセントくらいなんだがな。さすが聖龍。
「な、なんて威力だ……!」
「枢機卿閣下ですらこの魔力を平然と扱えないだろう! いったいあれは何なんだ!」
「聖女様! あの白い少女は魔の者でありましょうか!?」
「いや魔族以外だとしたら何だよ! 聖龍様だとでも言うつもりか!?」
おいおい護衛が全員でそんな喧嘩しちゃダメでしょうよ。仲良くしないと。どーどー。
一方、聖女は護衛たちの喧嘩を止めようとあわあわしている。ただ水泡の破裂音と喧嘩の声でかき消されているようだ。俺も正直聞こえていない。
「すぅ——ホルコス様っ! どうか! お話をお聞きください!」
腹をくくったのか、大きく息を吸って聖女が大声を出した。
さすがにその声は皆に届いたようで、喧嘩も破裂もすぐに止まった。
『頼むルコ、聖女の言う事聞くって名分で攻撃止めてくれ!』
『いいじゃろう、妾のかっこいい姿をお披露目するのにも丁度良いしな。あ、その壁は消しておいて欲しい』
かっこいい、ねぇ……何も言うまい。
夢は壊さないのが大人としての責務だからな。
「我が声が聞こえるか、聖道に連なる者よ」
〈絶壁〉が消えた刹那、俺と初めて喋った時のような、威厳ある声でホルコスは言った。
同時に、空中に浮いた状態でその姿を露わにする。
「ホルコス様……!」
俺には感じられない何かを感じ取ったのか、聖女は恍惚とした表情でホルコスに向かって膝をつく。その動きには淀みがなく、礼拝する事に慣れていなければ出来ないような姿勢だ。
「本当に……あの少女が……!?」
「いいから膝をつけっ!」
呆然と驚く一人が、先輩らしき風格の男に叱られた。それによって他の護衛たちも聖女に倣い、膝をついて俯き手を合わせる。
その光景は、神聖さに心を震わせるには充分すぎるくらいだった。
ゆっくりと、俺も膝をついて礼拝の格好を取る。
「聖女よ、我を探しに来たのであろう?」
「は、はい! 教皇陛下の命により、聖者の結界を用いてホルコス様の動向を調査していたのです」
聖女は確か今の俺と同い年だったか。幼いのにしっかり話すもんだな。大人に囲まれて育てられたとはいえ場馴れしている。
……それにしても、聖女が来たのは偶然じゃなく、ルコの動向調査って名目だったわけか。
つまりルコに異変が起きたからここに来たってことだろ?
それ……もしかしなくても俺のせいじゃね?
「その件にいては何一つ問題はない。ただ、そこの少年——ノア・エレヴァトリスと身命の契約で結ばれただけじゃからの」
「……はぇ?」
聖女がとんでもなく間抜けな声を出してフリーズした。
分かるぞ、その気持ち。だって情報量多いもんな。
聖龍が人間と契約したのもヤバいし、俺がエレヴァトリスの人間——つまりここの領地の管理者ってのもヤバい。
前者は、例えるなら「天使が人間と契約して仲良くやってます」みたいな感じだ。あり得ないって言葉がよくお似合いだと思う。それに、聖龍が人間と契約した前例はない。
力を授ける、みたいな事はあるけどね。未来の話にはなるが、主人公がそう。
ともかくそんな状況なら、理解が追いつかないのも当然のこと。
——あ、そういや、名前がバレてしまったからには挨拶しないとな。社会人の基本だ。ゴタゴタしてて忘れてたよ。
「挨拶が遅れて申し訳ない。ご紹介に預かった通り、私はノア・エレヴァトリスという。以後お見知りおきを」
おもむろに立ち上がり、ルコの横に並ぶようにして言葉を紡ぐ。
相手は聖教会のナンバー2。それは、国家間においても相当な権力を持つのを意味している。
だが、今は非公式の場。挨拶はこんな感じでも問題ないだろう。
「こ、こちらこそ挨拶が遅れて申し訳ございませんっ。ハシース皇国聖教会聖女、アトラ=ルミナティアと申します。この度はご無礼を……」
慌てて立ち上がり、深々とお辞儀をしてアトラは言った。
その顔は完全に青ざめており、もはや殺されることすら考えていそうなレベルだ。目も全然合わせてくれない。
まぁ、理由はおおかた想像がつく。
普通に考えて、重要人物が隣国に不法侵入するってのは国際問題だ。それに加え、領地の管理者に見つかっている。
つまり、この聖女御一行様は、俺に何をされても文句が言えない立場なのだ。あんな事やこんな事をしても、皇国は外交ルートを通じて異議を申し立てることが出来ない。言い換えるなら、生殺与奪の権は俺が全て握っている——といったところ。
いやはや、聖女様はさっきから振り回されてすごく可哀想。ゲームじゃこんな酷い扱いは受けてなかったのにね。
「いえ、私としては一切気にしていません。この事を誰かに言うつもりも全くない。それどころか、私は貴女と出会えた事を嬉しく思っていますよ」
「っ……!」
ただ本心を告げただけなのに、アトラの顔は真っ赤に染まってしまった。一瞬だけ合わせた目は、またすぐに他の方向へと逃げてしまう。
その姿に、思わずシャルを幻視した。
はて、何かマズいことでも言ったっけ。
「そ、そのっ、いずれ必ずお礼をさせていただきたいのですが……大丈夫ですか?」
「もちろん。貴女のお誘いならば、是非」
こんな美少女からお礼だなんて、嬉しくないはずがない。
いやー、転生して本当に良かった! あのクソ女神も多少は役に立つもんだなぁ!
「きゅう……」
すると、アトラが目を回してふらふらと倒れ込んでしまった。
顔は紅潮しており、心なしか顔から湯気が出ているような感じもする。
「聖女様!」
護衛の一人が駆け寄り、額に手を当てる。
そして、目を伏せて無言で首を横に振った。
いや死んでないよな? なんでそんな死んだみたいな雰囲気出すんだよ。倒れた理由は俺もわかんないけどさ。
「聖女様が倒れてしまったので、私から」
そこで、俺の前に先輩的風格を持つ男が来た。
先ほど護衛の一人を叱っていた人だ。
年齢は40代かそこら。つまり俺より年上ということになるな。自然と背筋が伸びる。
「ホルコス様の状態を確認するという任務は既に達成しました。よって、我々はこれより本国へ帰投します。聖女様がお礼をすると仰った以上、こちらからご迷惑はおかけしないよう教皇陛下にもお伝えさせていただきます。最後に、ノア様の寛大なる御心に感謝を。この御恩は忘れません」
恭しく一礼し、男は他の護衛にテキパキと指示を出す。
少しして、一行は聖女を背負って引き返していった。
「あれ、聖女に気を取られて妾の事忘れてないかの……?」
「あぁ、ルコ。いましたねそういえば」
「お主もかあああああ!!!!!」
うるさい駄龍の声をシャットアウトし、俺は家に向かって歩き出した。
——聖女。それは俺を殺すための鍵。原作では俺と敵対した存在。
それと友好的な関係を築くということは、運命が今、間違いなく分岐している事を表す。
これからもまだまだフラグは残ってる。けど、俺はフラグを叩き折って幸せな人生を送ると決めた。
何が起こるか分からないが、きっと大丈夫だろう。
「ルコ、帰りますよ」
「ちょっ、妾を置いていくでないわ!」
俺は——最強なのだから。