第5話:俺はちゃんと努力が出来る子です
「ふあぁ……」
やわらかいベッドからゆっくり起き上がり、あくびを一つ。
窓から差し込む朝日で目を覚まし、スマホ――はないんだった。クローゼットにスーツ……もないわ。てか全部ねぇや。
「そういや異世界だったな、ここは……」
意識がだんだんとはっきりしてきた。よし、もうバッチリだな。
「……こんなやらかいベッドで寝たのいつぶりだろ」
そもそもベッドで寝た記憶が最近ない。良くて家のソファ、悪くて段ボールベッドとか椅子。要は会社に宿泊してる。
あの腰の痛みは老いてきた身体に重篤なダメージを引き起こすんだよなぁ。整体に行った回数は果たしてどんくらいだろうか。数えてねぇや。
そんなことを考えていると、ノックの音が三回聞こえた。
「ノア様。お目覚めでしょうか?」
「あぁ。起きてるよ。入って構わない」
「では、失礼します」
扉を開けたのは、もちろんシャルだった。
俺が守り抜いた俺のメイドである。
銀色の長い髪は後ろで結われポニーテールになっている。
そして、ディケールが狙っていた果実は服を押し上げて強く主張していた。
「おはようございます、ノア様。それと、昨日はありがとうございました」
「気にしなくていいさ。君を守るための当然の行動だったわけだし。それに、その言葉は昨日も聞いたさ。そんなに何回も言わなくたって、シャルの優しい心は充分に伝わっているよ」
何回も、というのがどれくらいかと言えば、クラインが去ったあと、一時間に一回は言われた。ずっと顔が赤くて、恋する乙女ってよりガチの病人にすら見えたほど。
無理をする人間を見ると心配になってしまい、夜中にシャルの部屋に魔術を使って忍び込んだが、「ノア様ぁ……」と甘い声が聞こえたところで引き返した。本能がそうしろとお告げになったからだ。
それを見ていたルコが盛大に笑っていたが、無視を決め込んでやったよ。
「えっと、それではお召し物を替えさせていただきます」
シャルはそう言って俺の寝間着を脱がし始めた。
「ノア様、なんだかお顔が赤いですよ? 大丈夫ですか?」
「……なんでもないよ」
シャルさん、なんかすんごいくっついてません? 距離をとってもいいはずなのに、胸とか腕とか手が妙に俺の上半身に触れてくる。どう考えてもわざとだ。
……こいつ、なかなかしたたかな女だな。
昨日の戦いのどこがそんなに良かったのだろうか。
例えば——「シャル。これでもう大丈夫です。行きましょう」とかは確かにちょっとかっこよかった。イケメンチックな口調だったとは思うよ。
それにしたってまさかメイドにあらざる距離感に仕上がるとは……さすがに予想外だ。ほんとにこれ主従関係か?
「上は終わりました。では下の方も――!」
食い気味で俺のズボンに手をかけるシャル。口からはよだれが垂れており、完全にメイドが、というか女性がしていい顔ではなくなっていた。
さすがにこれ以上はまずいと、慌てて制止する。
「こ、こっちは自分でやるよ。ありがとうシャル、手伝ってくれて」
「と、当然でございます。これがメイドの使命ですから」
おいそこ残念そうな顔をするな。ノアがイケメンスマイルを浮かべているからといって俺が何も思っていないと思うなよ!
そして、一礼してシャルが部屋を出た。
……そんなことはなかった。こっそり覗いてる。
「〈微風〉」
魔術で扉を閉めてやる。ふん! 魔術はこんなことにも使えるんだぜ!
『恥ずかしがっただけじゃろうに』
『う、うるせぇ!』
『よよよ、最初に会ったときはあんなにも丁寧な紳士じゃったのに……』
『それには海より深い事情があるんだ、気にしないでくれ』
左手に嵌っている龍の指輪をこっそり睨みつけ、俺はさっと着替えを済ませた。
「ノア様、伯爵閣下がお見えです」
「今行くよ」
と、いうわけで。
朝食を終えた午前9時、我が家に一人の男がやってきた。
「今日からよろしくお願いする」
「こちらこそ。お願いします、クラインさん」
そう、ヴァクローア伯爵家当主のクラインさんである。
昨日と同じような軽い装備で現れた彼は、どこか晴れやかな顔をしていた。いつも気を張っているようなキャラだったと思うんだが、はていったいどんな心境の変化なのやら。こいつも昨日の戦いで変わっちまったか?
ちなみに、俺は聖人縛りとゲームでの印象から敬語を、彼はいつも通りの口調で話すことにした。あと今やクラインは臣下なので、譲歩した結果「さん」に落ち着いた。
兄貴とか呼びたかったけど却下されちゃったよ。少し寂しい。
「では、まずは型から」
やはりというべきか、ノアの剣術はクラインから受け継がれたものだったようだ。色々なところが似ている。もちろんオリジナルの部分もあったが、見覚えがあるとなれば覚えるのも容易い。
――果たして、ゲームでノアとクラインが繋がったのはいつなのだろうか。まさかこの時期なわけはないし。謎が深まるばかりである。
「動きがブレている。集中してくれ」
「これは失礼を」
いっけね、バレちった。
真面目に剣を振るとしましょうか。
◇
「はぁ……はぁ……」
「そういえばノア殿はまだ11歳でしたな。まずは体力づくりから、というのを忘れておりました」
「そう……ですよ……私は……まだ……」
「あまり無理をなさるな。息を整えてからで構いません」
素振りしまくってただけなのに全身が痛い……
地面に寝っ転がって浅く息を吐くしかできない状態になってしまった。それもこれも型を詰め込みすぎだからだ。
「ふむ……4時間で中伝の位までは完璧になりましたな。さすが我が主、その才覚は驚くべきもののようです。人によっては数ヶ月かかることも珍しくないのですがね」
そりゃそうだろうね! ノアは紛うことなき天才。燻っていた才能が冒険者になって魔物との戦闘を経験したことで爆発し、皇帝にまで成り上がれる男だぜ? 剣術くらいすぐだ。
頭ではいまいち思い出せないというのに、身体は全部覚えている。勝手に動く。
ちなみに、ノアやクラインが使う剣術は、荒々しく、攻撃的な型が多いヴィズル流と呼ばれるものだ。
様々な理由によって人気があるのだが、皆伝の位では魔術を組み合わせたものがあるため、魔術を高い基準で使えない人はその先を覚えることはできない――など、難易度が高く扱う人は少ない。
クラインは魔力量こそ少ないが、その技量の高さによってヴィズル流をマスターしたのだ。その代わり、彼は戦闘に他の魔術を使うことは一切できない。
ま、俺はどうにかなるんだけどさ。魔力量も多いし。
「ノア様~! 訓練にキリはつきましたか?」
「そ、そうだね……一旦ここで休憩、かな……」
「それは良かったです! さぁ、お昼の時間ですよ。料理がそろそろ出来ますのでぜひお召し上がりになってください!」
「分かった。今行くよ」
俺を呼びに来たシャルに着いていき、ダイニングルームへと向かった。
小洒落た装飾で彩られたそこには、白く長い長方形のテーブルがあり、その上には料理が載せられていた。
人は誰もおらず、俺とシャルだけがこの場所にいる状態だ。
「他の皆様は既に昼食を済ませております」
「仕方ないね。できれば家族と共に食べたかったんだけど」
ノアが殺すキャラも、ノアを殺す側のキャラもいるこの家族。
何故か知らないがそれぞれ各自で飯を食べるのだ。料理人もかなりの数いる。ほとんど専属のような形だ。もちろん俺にもいる。
それに加えこの屋敷は相当広いし、部屋もたくさんで構造は複雑。誰にしたってアポでも取らないと会うのは多分難しい。
会ってみたいという思いはあるが、今はまだその時じゃない。いつか、運命が導いてくれるはずだ。それまで俺は強くなるために努力する。愛より自分だ。
「それじゃあ、食べようか」
白く美しい食器を取り、まずは前菜のスープを一口。
「美味しい……」
野菜がじっくり煮込まれていて深みが出ている。優しい味だ。心まで暖かくなる。
「これはどれだけでも食べられそう……」
スープを飲み干し、次はメインディッシュを食べる。
この肉は……
「魔物の肉?」
「そうです。それは青牛の肉を使用したものでございます」
そういやいたなそんな魔物。
名前から分かる通りギャグエネミーな青牛はDランクの魔物だ。弱いから殴ればすぐ倒せる、HP的には最弱の部類。
だがこいつらはワープポイントの近くに生息し、ワープして1秒以内に回避しないと突進してきてノックバック付きで何回もダメージを与えてくるカスなのだ。
肉は料理に使えるので、よくワープ後即座に攻撃して狩ってたのが懐かしい。
「というのを、シェフが言っていたんだろ?」
「なっ、ノア様がなぜそれを!? 口止めしてたはずなのに!」
とんでもなく焦っている。見てて面白いな、シャルは。コミカルな動きで笑わせにくるの本当にやめてくれっ……!
「見てれば分かるさ。別に慌てなくてもいいよ、教えてくれてありがとう」
「い、いえっ! そんなお言葉もったいない……!」
本当にそうだよ。教えてくれたのはまぁありがたいけど別に褒めるほどじゃねぇよ。怒ってもないけど。
――そんな感じで楽しく食事の時間を過ごしていると、気づけば料理を全て平らげていて、口元を拭いているところだった。
こんなに美味しい料理を食べたのはいつぶりだろうか。
そういえば最近まともなものを食ってなかったな……カップラーメンを食べた回数は以下略。
「美味しかったよ。ご馳走様」
「えぇ、シェフにお伝えしておきます」
直後、扉が開いて一人の男が入って来た。
「お食事は終わったようですね。では、訓練再開です」
優しい笑みを浮かべたクラインがこちらに近づき、俺の服の襟を掴んだ。
「……へ?」
「では、失礼する」
助けてシャル!!! 俺誘拐されてる!!! 鬼に引きづられてる!!! 「頑張ってくださいね♡」じゃないよおおおおおお!?