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幕間:エレヴァトリス公爵家

 太陽が傾き、夜の帳が降り始めた夕暮れの午後8時。


 とある部屋の中は、重く苦しい雰囲気に包まれていた。


「ディケール、詳しく説明せよ」


 部屋には三人の姿があった。

 二人の男と、一人の女。その中で椅子に深く腰掛けるのは、強面の偉丈夫——エレヴァトリス公爵家当主であり彼らの父、ハルヴィン・エレヴァトリスだ。


 哀れな次男は、先ほどからずっと小刻みに震えていたが、名を呼ばれた瞬間に身体を強張らせた。

 怒りと悔しさが胸の中で渦巻き、それが身体にまで伝わっている。


「お前が起きてから、今に至るまで。事細かに話せ」

「は、はい……」


 反射的にその言葉は出てきたものの、そこから先は出てこない。脳内は嵐が起こったように乱れ、文章として一切成立しない。


 とても逃げだしたい気分だった。

 しかし、目の前の男からは逃げられない。

 帝国でも屈指の力を持ち、戦士としても指揮官としても優秀。一騎当千と恐れられる猛者。


 未だ14歳のディケールでは、何一つ勝てはしない相手なのだ。


「答えよ。それとも、何か言えぬ事情でも?」

「ケーく~ん。あたしが言ってあげてもいいんだよぉ~? ヨワヨワなケーくんの代わりに、ねっ?」


 厳粛な雰囲気のハルヴィンとは打って変わって、この状況を愉しんでいるかのようにディケールを煽る一人の少女。


 金髪に、青を含んだ翡翠のような瞳を持つ彼女はエレヴァトリス公爵家次女、ラドリーナ。作中屈指の狂人だ。

 一言で言うならばヤンデレという表現が似つかわしい性格をしているが、それを知る者は殆どいない。


 マギアカにおいては、悪役であるにも関わらずその可愛さで人気を得ているキャラクター。ファンの間では、かっこよさのノア、可愛さのラドリーナと呼び声高い。


 故に、現実でも既にその美貌に酔いしれる者は多く、社交の場に出れば数多の貴族の子息たちの心を撃ち抜く。

 無論、求婚は全て慈悲もなく却下している。彼女の目は愛を見ない。ただ、強さを見つめているのだ。


「ラ、ラドリーナ! 頼む、お前は黙っていてくれ!」

「ケーくんがあたしにお願いできる立場なのかなっ? あたしが『独り言』を言ったらケーくん終わりだよ?」

「くっ……!」


 苦虫を噛み潰したような顔で、いつも通りに狂った妹を睨みつける。


 彼女を好きなように動かしたければ、明確なメリットと実力を見せなければならない。行動原理が貴族ではなく裏組織のそれだというのは皆の共通認識だった。

 

 無論、ディケールにはその両方とも提示できるものではない。


 つまり、絶体絶命なのである。


「わ、私は……」

 

 ラドリーナが言えば悪意マシマシになるのは間違いなく、余罪が冤罪も含めて数多生み出されるのは想像に難くなかった。


 だからこそ、彼は自分で腹を切ることに決めた。

 好き勝手に殴られて死ぬより、潔く自首して生き残る可能性に賭ける方がマシだと感じたからだ。


「……なるほど。あい分かった」


 少しばかり、いやかなり事実を改変し、視点を変え、自分が正当化されるように言葉を紡いだ。


 その反応は微妙だったが、やり切ったと内心喜んでいたディケールはそれに気づかず笑みを深めた。その愚かさにラドリーナが小さくため息をついたが、それにも気づくことはなかった。


「あの決闘には大義名分などないし、その前の行動も取り繕った嘘ばかり。つまり全てお前に非がある。よって、1ヶ月の謹慎を言い渡す。その間は外出せず、迫る学院入試に向けて勉学に励め」

「……はっ?」

「ラドリーナ、この愚か者を謹慎部屋にぶち込んでくれ」

「もちろん! 父上の仰せのままに!」


 ハルヴィンの忠実なる臣下は、呆然と胸の中で怒りと驚きが去来しているディケールの襟を掴んで引きずって行く。


 小柄なラドリーナが、自身より一回り大きいディケールを平然と動かす様は異様な光景。

 それに加え、ディケールが口をパクパクと動かすだけで麻痺したかのように手足が一切動いていないのも異質さを増している。


 ハルヴィンの執務室の扉が閉じられる瞬間、彼の目に失望が浮かんでいたことだけは、愚かな次男にも理解することはできた。


 ——メイドや使用人に奇異な目で見られながら屋敷を引きずりまわされ、二人は謹慎部屋に辿り着いた。


 この謹慎部屋は、「皇帝は絶対者ではなく、時に罰されることもある」という概念を理解させるために作られた部屋で、歴代の問題児が監禁されガリ勉させられた。エレヴァトリスならではの場所だろう。


 つまり……分かりやすく言えば独房である。


「んじゃケーくん、ばいば〜い」

「待ってくれ! ……話がある」


 今にもディケールを独房——謹慎部屋に放り投げようとしていたラドリーナが手を止め、怪訝な顔をした。


「話? あー、引きずられてるときに妙に黙ってたのはそれを考えてたからかぁ」


 自分の思考が見透かされていることに恐怖を覚えつつ、ディケールは続ける。


「ラドリーナ。不思議に思わないか? 俺が今まで圧倒出来ていたのに、いきなり強くなるなんて。あの魔術の威力は第六位階はあった。今まで第二位階だったやつが、だ」


 魔術の威力は一から十までの位階で表される。二から五までは使える者は多いが、そこから先は難易度が飛躍的に高いとされているのだ。


 ゲームで言うならば、スキルレベルといったところ。

 素材を集めて時間をかけて上げるスキルレベルがいきなり上がれば、不審に思うのは当然だ。


「ふぅん。なるほど……」


 刹那――ラドリーナの目は狂気に染められた。

 壊れた人形の如き不気味な目つき。勢いのままに人すらも殺しかねない、そんな形容し難い「恐怖」が辺りに漂う。


「それはちょっと――見過ごせないかも?」


 もし今彼女が武器を持っていれば、ノアの首にそれを振り下ろしていただろう――そんなことを、ディケールは眼の前に立つ(おぞ)ましい狂気の権化を見て感じていた。

 

 だが、彼は知らない。

 目標までの道のりが血と暴力に(まみ)れているだけで、彼女の胸中には邪悪な感情などなく、純粋な好奇心しかないことを。

 不思議な弟のことを「もっと知りたい!」と乙女心を躍らせ、優れた脳を回転させていることを。


「そう言ってくれると思ったぜ……! なら、これから毎日ここに来てくれ。そして、ノアをどうするか会議をしよう。両者目的は違えど協力はできるはずだ」

「ま、ちょっとは付き合って上げるよ。せいぜい頑張ってねぇ〜」


 ディケールは下卑た笑みを、ラドリーナは愉快そうな笑みを浮かべた。


 こうして、エレヴァトリスの神童たちは魔帝(ノア)という名の深淵へ一歩を踏み入れてしまったのだ——


 ◇


 一方、その二人が去った部屋で深い溜息をつく男がいた。

 コーヒーを一杯口に含むと、手を組み、目を閉じて脳内で思考を巡らせ始める。


 再びハルヴィンが目を開く頃には、それから30分が経過していた。


「夜が短くなったちょうど半年後に力を得た少年、か……」


 そろそろ9時になろうかという時刻、ようやく夕日は沈んだ。

 本来であればおかしいその状況に人々が驚かないのは、それが前から起きている現象であるから。


 半分ずつ世界を支配していた昼と夜の均衡は、大きく昼に傾いているのだ。


「ノアが家を飛び出してから1時間後、微かに感じ取った神の力、膨大な魔力、常に漂う神聖なオーラ。この3つには何か関係があるはずだ」


 ハルヴィンは魔術師としてかなりの力量を持つ。

 それがどれほどかと言えば、十段階のうち第九位階の魔術を平然と使いこなす程度。具体的には、人口50万を越える帝国に十人といない。


 故に、ノアを中心に引き起こされている事象を認識できる。エレヴァトリス領でこれを認識しているのは、果たして10人といるだろうか。


「デンレイ、いるか」

「こちらに」


 ふとそう呟くと、ハルヴィンの前に黒い人の形をした影が現れた。

 身長は高く細身で、黄色の瞳が怪しく煌めいている。


 それから放たれる雰囲気は尋常ならざるもので、常人ならば見ただけで意識が遠のく。まさに恐怖の塊であった。


「評議会に伝えよ。『ついに代償が降臨した。一角の裁きは動いた。《《修正》》の必要あり』と」

「はっ、仰せのままに」


 久しぶりに行われた一連の会話。そこには、殆どの人間には理解できない知識が詰め込まれていた。


 ハルヴィンは淡々と、仕事のような態度で告げる。


 デンレイは変わらず忠実に職務をこなすために、跪いた次の瞬間には、ろうそくの火のようにふっと消え去ってしまった。


 そこには何かが存在した形跡の一切がなく、ハルヴィンの独り言か何かのようにすら思えただろう。


「さて、これから帝国中の貴族が退屈することはなさそうだな」


 足を組み、背もたれに身体を委ね、少しだけ口角を歪ませたハルヴィンは、どこか子どもの好奇心が宿っているようであった。


 そして、評議会のメンバーが伝言を受け取った時に巻き起こる混乱とその影響など、今のハルヴィンは気にしていなかった。

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