第4話:転生貴族の大焦り
「では、構えてくれ。——おい、敗者。審判をせよ。貴様でもそれくらいはできるだろう」
「……っ」
顔も見ずに敗者と呼ばれたことが気に食わないのか、苦虫を噛み潰したような顔で沈黙するディケール。
返事がないことを疑問に思い、クラインはディケールを見た。そしてため息をつく。
「あの閣下のご子息ともあろう者が、そんな態度で良いものか。傲慢さを持つならば力が必要。そして、負けを認める賢しさも必要。貴様のそれは負けぬよう足掻く姿未満に見苦しい。常に学び、前進せよ。首がつながっている限り、可能性と未来は約束されている」
な、なんだこの人かっけぇ……!
これは惚れる。良いこと言ってくれるじゃあないの。
「……分かりました。審判を務めさせていただきます」
「よろしい。では、ノア殿」
「えぇ。準備は整っております」
ノアがゲームで使っていた構えを取り、なんとか取り繕う。
——世界は沈黙に支配された。聞こえるのは、己の心臓が脈打つ音のみ。
そして、ディケールの声がなにもない世界に響き渡る。
「では——始め」
「破ッ!」
刹那、クラインの姿が揺らめき、数メートルの間合いは間近まで詰められていた。
威圧感と剣の重さで倒れそうになるも、なんとか踏ん張って耐える。
「これに反応できる、と。最低限の実力はあるようだな」
実力? いいや違う。間違いなくルコのおかげだ。
この身体の能力じゃさすがにまだこれに着いていけはしない。
さっきの契約によってあらゆる能力が向上したことで、一撃目だけはどうにかなったのだ。
魔術を使えばバレる。剣技も見様見真似な荒削り。
……ガチどうしよう。
『妾の声が聞こえるかの? 今から言う通りにするのじゃ』
噂をすればなんとやら。脳内にルコの声が響いた。
まさしく渡りに船。俺は従順に、ルコの言葉に耳を傾ける。
『右、左。左に二歩』
聴こえてくる指示に従うと、攻撃が俺を避けた。そう思えるほど綺麗に回避できたのだ。
『突き、切り上げ、横』
言われた通りに腕を動かせば、クラインが段々と劣勢になっていくのを感じた。
すげぇ……さすがルコ、長生きしてるだけはある!
『誰がババアじゃ!』
『言ってねぇよ!』
『うおっ、お主念話に割り込んでこれるのか! 魔術の才はあるようじゃな……』
もちろん才能があるのはそうだろう。しかしそれだけではない。
ゲームで主人公に手助けをする三大公爵家が一つ、へーブルグ家の嫡男が念話のコツについて解説してくれていたのだ。
曰く、「空想という水の中に飛び込んで息をする」とかなんとか。意外にこれは事実なのだ。感謝感謝。
……念話も呪いの対象外かよ。あの女神、意外とガバガバだな。
「ほぉ、いきなり人が変わったかのように実力が上がったな。あの一撃目では勝てると思ったんだが」
「いえいえ、クライン閣下の剣技には到底敵いそうもないですよ。本気で来られては簡単に負けてしまいます」
「まぁ、それもそうかもしれぬな。ただの手合わせだ、そんな大人気ないことはしない」
「おかげで恥を晒さずに済みそうです」
軽口を叩いているが、実際のところ勝てる気が一切しない。
ジリ貧で押され続けて負ける未来しか見えない。
だが——
『まだ助けはいるかの?』
『いや、いい。なんとなく掴めてきた。動き方とか、クラインの戦い方とか。やっぱこの身体は優秀だな』
『む、ずっとお主のものじゃろ?』
『さぁね』
『なっ、どういう意味じゃ——』
念話をシャットアウトし、再びクラインと向き直る。
相手は百戦錬磨の剣士。油断が命取りだ。
だが、油断しないことには慣れている。ゲーマーを舐めるでないわ。
「——ッ!」
再び打ち合いが始まる。
防ぎ、躱し、攻撃し、動く。
聞こえるのは、木と木のぶつかる音と、荒い息、そして土を踏みしめる音だけ。そこに会話はなかった。
ひたすら脳内で演算し、予測した動きを元に身体を動かしていく。
彼にとっては模擬戦でお遊びかもしれない。それは、俺の攻撃を避けていない事からも分かる。
だが、俺にとっては本気の戦い。
どこか残業を片付けるのと近い感覚を感じた。
あれも戦いなのだ。おかげで効率的に物事を進める能力が飛躍的に向上したからな。もちろん、今もそれを応用している。
「くっ——」
「むぅ……」
クラインはどうやら攻めあぐねているようだ。剣の動きが時々迷ったようにブレている。
顔に余裕が滲んでいるのは、手加減していると言った手前本気を出すことはできないからなのだろう。
さしずめ、俺の剣技を数手先まで読んでどう勝つかを考えているといったところか。力ではなく、知識を使っているのが分かる表情だ。
だからか、時々フェイントも交えてくる。だが、動きはゲームでパターン化されていた。高難度ボスの一人だったクラインは何度も倒しているから、尚更覚えているのだ。見ればある程度は分かる。
「ふっ……まだまだっ!」
「本当にっ、体力がとんでもないですねっ!」
幾度目か分からない剣戟を交わす。
剣と剣のぶつかる音が鳴り、流れた汗が空に弾ける。
次第に、全身の筋肉は悲鳴を上げ始めていた。
瞬間——クラインに、一瞬の隙が生まれた。
剣の動きがかなり乱れ、剣戟に空白ができる。
数手先のことを考えすぎて、一手後を疎かにしてしまったのか。理由はなんでもいいが、俺にとっては絶好のチャンス。
そこを見逃さず、空白に剣を捩じ込み首元に剣を——! と思った、その時。
――腕が、自分の動かしたかった方向と逆に動いた。
まるで何かの呪いかのように、見えざる手に引かれたかのように、無理矢理に身体を動かされた感覚。俺のあらゆる知識にそんな現象は存在しない。
——なぜだ、どうして動かないッ!
そう心の中で叫ぼうと現実は変わらず、恐怖と不可思議さが入り乱れて思考までもが停止した。
その影響で、こちらが大きく隙を見せる形となってしまう。
「隙ありッ!」
そんな空隙をクラインが逃すはずもなく、木剣が俺の首に突きつけられる。勢いのあまり、首を貫かれたかと錯覚してしまうほどだった。
「勝負あり! 勝者、クライン様!」
妙に嬉しそうな声色でディケールが終幕の合図を告げた。
俺は先程の奇妙な出来事が理解できず、身体が固まったまま。
クラインは木剣を下ろし、満足げな顔で嬉しそうに頷いている。
「ノア殿、どうされた?」
「……いえ、なんでもございません。少しばかり己の不甲斐なさを恥じていたところです。クライン様、お見事でした。あなたに本気を出させることは叶わなかったようです」
剣を下ろし、素直に敗北を認めた。
仕方ない。負けは負けだからな。
にしてもあの現象……呪いか何かかと思ったが、呪いといえば女神の呪いがある。もしやそれなのではないだろうか。
だとすると非常に厄介だ。まともに戦闘すらさせてくれないとは酷い神がいたもんだなぁ?
「正直、その実力を考えれば私の負けと言いたいくらいだ。数年後には、私をいとも容易く打ち倒すようになっているだろうと確信している」
「そ、それは言い過ぎでしょう。実力の差というものを痛感したというのに」
「はははっ、そうかもしれぬな」
俺の感情を吹き飛ばすかのように笑い、クラインは右手を差し出してきた。
「次は本気でやると約束しよう」
嬉しそうな顔で笑うクラインにつられ、俺も口角が上がる。
そして、右手に力を入れて握り返した。
剣士の硬い手が、どうしようもなく憧憬を抱かせる。
俺もいつかこうなれたらと思う。
暴れるために、俺はもっと強くなるんだ。
「えぇ、もちろん!」
……かぁー! 疲れた! でもすんごく楽しかった!
仕事終わりには一杯やりてぇなぁ! 酒はどこにあったっけ……あ、この世界、成人年齢15歳だった。まだ6年も飲めねぇのかよー!?
「ところでノア殿、いやノア様」
「——ん?」
脳内で暴れていると、クラインが突然畏まった様子で傅いた。
「私は公爵閣下に命を救われました。その恩義を返そうとしていますが、公爵と伯爵では立場に差があり、報いる手段は数少ないのです。なればこそ、私はあなたに仕えたい」
顔を上げたクラインの口は一文字に結ばれており、その目は、真っ直ぐに俺を貫く。そこにこもる感情は、決して嘘や敵対のそれではない。
それは、紛れもなく憧れだった。
かつて新入社員だった頃の俺が持っていたはずの目が、今、俺に向けられている。
「あなたはいずれエレヴァトリスの目指す『皇位簒奪』を果たす。それだけの強さと信念、そして未来を見つめる目があると、先の剣戟で確信したのです。私はその一助になりたい。あなたの剣技を昇華させ、剣の極地へと至って頂きたいのです」
目の中に、力強い思いが満ちた。
その光は、まるで希望のような輝きを放っていた。
「……なるほど。ですが、私はそのような器ではないでしょう。もし新帝の側に仕えたいならば我が兄であるガウトはどうでしょうか。実力も確かで見識も深い。彼ならば皇帝の座を目指すことも容易い」
エレヴァトリス公爵家の長男であるガウト。
彼はかなりの強キャラで、その有能さのあまり皇帝を目指して無我夢中になったノアによって暗殺される男だ。
どう考えてもガウトの方がいい。学院に行っててこの場にいないけど、いやいないからこそ身代わりになってもらう。そしたらきっとこの国も良くなって皆幸せ! ハッピー!
と思ったのだが、そうは問屋が卸さない。
「ははは、そうか。そう言われてしまうと弱いですな。これはただ、私のわがままなのですよ」
「わがまま、ですか」
わがまま。
そんな幼い言葉が、かのクラインから出てくることが意外に感じられ、つい聞き返してしまう。本当にこれはゲームと同じ人物なのか?
「かつて私はヴァクローアの中で最弱だった。虐げられ、悔しくて血の滲むような努力をした。だがあなたはこの一瞬でその差を覆した。眩しくて仕方ない。でも人間は輝くものに着いて行く生き物。私は、あなたに憧れたのです」
「私のことを知っていた、と?」
「公爵閣下はこの世のあまねく事象をご存知だ。虐げられる三男の話も聞いておりますとも」
ゲームのクラインはそんなこと言っていなかった。ただ、恩義に報いるために仕えたと皆が思っていた。それが俺たちプレイヤーの知る常識なはず。
——まさか、この世界は既に原作を逸脱したのか?
だが、ここで断るわけにはいかない。社会人としてあってはならない。
悩む気持ちはある。大いにある。でもそんな事言ってられない時だってあるのだ。機械のように頷かなければならない状況は、これまで何度も経験している。
そして何より、ここで断れば彼のメンツが丸潰れじゃないか。俺の中の信念が、許すはずはない。
「……いいでしょう。クライン・ヴァクローア。これからあなたは私の臣下となる。二言はないですね?」
「もちろん。このクライン、あなたにこの命尽きるまでお仕えいたしましょう」
『かかっ、まずは祝ってやろう。騎士団長が臣下とは、さすが妾と契約した男じゃ』
――こうして、なぜか原作通りに、しかもそれより早く、クラインが俺の臣下になったのであった。
なんでえええええ???
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