幕間-前編:迷える子羊
「いい依頼、あるといいなぁ……」
よく晴れた朝、私はギルドに向かって歩いていた。
まだ時間は早いから人はまばら。夏に近い季節でも涼しい風が吹いていて心地よい。
「にしても、あの子が風邪を引いちゃうとは思わなかった」
季節の変わり目だからか、風邪を引いた妹の代わりに仕事をしていたせいで、ギルドに来るのは久しぶり。見ない間に依頼はきっと入れ替わっているに違いない。
「ん……?」
ギルドに着くと、どこか雰囲気が違うのを感じた。何かがあったんだな、と直感で分かる。
こういうセンスはたぶん、冒険者ならではだと思う。微かな異変に気づけるかどうかが生死を決める職業だから。
ともかく、尻込みしていては何も始まらない。
意を決して、足を踏み入れることにした。
「……うん、気のせいだったかも」
別に血の匂いがするわけでも、誰かが倒れ伏しているわけでもない。至って普通の、いつものギルドだ。
ちょっと気が抜けちゃったな。とりあえず、依頼書を見よう。
「あんまり変わってないなぁ……」
見覚えのある文字列がぼちぼち。
もちろんいくつか変わっているけど、総入れ替えってほどではなかった。ちょっぴり拍子抜け。いつもなら変わってるのに。
しかし——たった一枚の、異様な雰囲気を放つ依頼書が目を引いた。
内容を見てみると、そこには「魔術講師募集」と見出しがあり、下に色々と詳細が書いてある。
条件としては、第四位階以上が使えることだけ。報酬は……
「50万ビタ……っ!?」
あまりにも破格。1ヶ月という短さで50万はありえない。私なんてせいぜい10万ビタ稼げればいい方だというのに。
こんな高額の報酬を出せるのは、富豪か貴族くらいなもの。
そう思い依頼者を見ると、そこには、
「ノア・エレヴァトリス……」
えっと、誰だったっけ。どうにも聞き覚えがある気がするけど、思い出せない。
何はともあれ、怪しいことに変わりはない。もし奴隷にでもされたら……と思うと背筋が凍る。何件かそういった事例があったと、冒険者の知り合いから聞いたこともある。
となると、近くに話を聞ける人は……いた。ちょうど知り合いがいるとは、珍しいこともあるものだ。
「ねぇ、アーライ。このノアって人、知ってる?」
「ノア……ノア、か」
茶髪の弓使い、アーライ。
偶然出会った彼だけど、私と戦闘スタイルが似ていることもあって少し仲が良い。知り合いといって差し支えない程度には喋っている。
「知ってるの?」
「もちろん! あの神聖なる気配をまといし天の使い! あのお方の麗しさは神が作り出したに違いなく、あのお方の強さは神が鍛え上げたに違いなく、あのお方の優しさは神に与えられたものに違いない! あぁ、神よ! 女神アザノヴァよ! かの『女神の奇跡』に祝福を!」
……やっぱり、私の勘は外れていなかった。
いつもニヒルにうつむいているような日陰者が、天を仰ぎ見て女神を礼賛している。ヤバい薬にでも手を染めてしまったのか? アーライだったらやりかねないのが怖い。
「ほかの人に聞くしかないかぁ……」
アーライをこんな風にしてしまうノア・エレヴァトリス。
ますます気になってきた。
よし、情報収集をしよう。
酒場に行けば、何か分かるかもしれない。正直あそこは苦手だが、背に腹は代えられない。
◇
舗装された道と、見通しのよい森。
木漏れ日が時々視界を遮り、けれど微風が肌を撫でて心が安らぐ。
私は今、そんな公爵邸までの道のりの中にいた。
「収穫、意外にあったなぁ……」
酒場での情報収集の結果、分かったことはいくつかある。
依頼主のノア・エレヴァトリスとは、この地を統べるエレヴァトリス公爵家の三男の名前だった。
……まさか、そんな超大物だとは思ってもいなかった。
公爵とは、貴族の中の貴族。三男であっても、公爵家なら相当の影響力を持つ。私のような庶民からすれば雲の上の存在なのだが——
「50万ビタぁ……♡」
諸事情で私はお金を貯めている。しかも、できる限り早く貯めたい。
そこに、命の危険がなく、早く、楽に稼げる仕事が舞い込んできた。加えて必要な条件も満たしている。
「これは、大チャンス……!」
ノア・エレヴァトリスについて話を聞いていると、先日とある事件が起こったと知った。
どうやら、ノア……いやノア様に突っかかった冒険者を、華麗に、そして正義の名のもとに叩きのめしたのだという。
酒場にいる冒険者の数が少ないと感じていたけど、ノア様に憧れて修行を始めた者が大勢いたのが原因だったとも聞いた。
なにより、「見目麗しい」というのは皆が口を揃えて言っていた。それだけで受ける価値がとてもある。
けど、「私、この依頼受けようと思う」と返すと、こうも言われた。
「悪いことは言わない。辞めたほうがいい!」
「でも、報酬高いし……」
「……好きにしろ。でも、後悔しても知らないからな。ノア様がいかに高みにいるのか、お前は知らないからそう言える」
こんなに引き止められたのは気がかりではあるのだけど、受けると決めたのだから受ける。というかもう受注済みだ。
「頑張ろう。絶対にやり遂げてみせる」
そのためには、目の前にそびえ立つ公爵邸にいるであろう、依頼主の了承を得ないといけない。ここで断られたらお終いだ。
来客用の鐘があるので、まずはそれを鳴らしてみる。
「す、すみませーん。ノア・エレヴァトリス様はいらっしゃいますかー?」
カランコロンと音が鳴って数秒、屋敷の扉が開かれた。
「ギルドでの依頼を受けてくださった方ですね。ご案内します」
銀髪の可愛いメイドさんが一礼して、中に入るよう促した。
何も言っていないのに正体が見破られた……?
そんな驚きだけでなく、普段見慣れない高貴さで溢れた建物に、意識がクラクラしつつ、なんとか平静を装ってメイドさんについていく。
しかし本当に可愛い。揺れるポニーテールは毛先まで丁寧に整っていて、服には一切の汚れがない。そして、歩くたびに大きな肉塊が揺れている。
廊下の右側にある窓で自分を見ると、その差が悲しくなってくる。毛先がちょっぴり跳ねてるし、服は綺麗にはしてるが使い古してる。ボロボロじゃないだけマシだけど。
「……はぁ」
胸元に手を当て、小さく沈み込むのを感じると、苦笑いが漏れてしまう。
貴族、すごいなぁ……あはは。
「ノア様は、とってもすごい方です。さっきだって——いえ、言わない方が良いですね。ともかく、頑張ってください。ノア様のメイドとして言わせてもらうならば、あの方は、稀代の天才です」
「稀代の……」
私は師匠となる身なはずなんだけど、暗に「貴方よりも上です」と言われてしまった。
それほど人望があるのがノア様ということなんだろう。さすがにこの顔で皮肉が言えるほど性格の悪い人だと思いたくない。
「さて、到着です。ノア様、お連れしました」
そう言ってメイドさんは足を止める。
同時に私も足を止めると、目の前には広い庭が広がっていた。
丁寧に手入れされた穏やかな空間は、私のような庶民からすれば贅沢すぎる景色であり、世界だった。
そして、そこに白い服を着た少年が立っていた。
その周囲だけ神の祝福を受けたかのような神聖さに、身体は動きを止めてしまう。
「ありがとうシャル。案内お疲れ様。しばらく休んでていいよ」
「私、ノア様が魔術を使うところ見たいですっ!」
「危ないからダメだよ。それに、相手が格上とはいえ、主人である私が負ける姿をシャルには見せたくない」
仲睦まじいメイドと主人の会話。だが、私は口を開けて驚くことしかできなかった。
「(どうにも見覚えあると思ったら……あの時のお客さん!?)」
昨日、屋台に来た三人の客。そのうちの一人が信じられないほどイケメンで、優しそうで、ドキドキしたのを覚えている。
まさか——それがノア様だったなんて。
思い返せば、その時横にいた少女——シャルという名前だったのも記憶にある。服装が違ったから気づけなかった。
どうしよ、うちの店公爵家御用達になっちゃうかも。
「失礼、名前を聞いていませんでしたね。私はノア・エレヴァトリスと申します」
「私はラフィ・クルアーナです。よろしくお願いします」
「ラフィさん。いい名前です」
ニコッと笑った彼は、あまりにも輝いて見えた。
だが、すぐに雰囲気は違うものへと変貌する。
「では、早速ですが一つお手合わせ願いたい。貴女の実力がどれほどか、弟子になる私に見せてください」
「手合わせ……ですか。分かりました。頑張ります」
冷静に言ったものの、内心は全然違う。
絶対に、私はこの人の師匠となるんだ——そんな思いをぎゅっと握りしめ、魔杖に手を伸ばす。
「ルールは4つ。1つ、殺傷力の高い、あるいは殺意を持った攻撃は禁止。2つ、制限時間は日が暮れるまで。3つ、本人の手による物理攻撃は禁止。4つ、負傷したら申告し、そこで勝負は終了とする。他に質問はありますか?」
「場所はどこですか? 私の戦闘スタイルは森が適してるんですが」
「森……ですか。となると——」
彼の視線の先には、ニレイスの森があった。
公爵家の邸宅がここにあるのも、防衛拠点としての役割があるとか聞いたくらいには魔物が多い場所。けれど、こんな庭では私は格好の的になってしまう。
「分かりました。では、そうしましょう」
「ありがとうございます」
「一つ忘れていました。リエル、いる?」
「ここに」
目を逸らし、虚空に向かって何かを呟く。
すると、いきなりメイドが跪いた姿で現れた。
深い緑色の髪は、明らかにシャルさんとは違う。雰囲気も、どこか殺伐としている。ただ分かるのは、彼女も会ったことがある気がするということ。
「リエル。今から彼女と私はニレイスの森で魔術戦をやるから、リエルにはその審判をして欲しい。引き受けてくれる?」
「も、もちろんです。わたしにできることなら、なんでもっ」
「良かった。じゃあ、よろしくね」
そうすると、リエルさんは私に軽く会釈し、一瞬で姿を消してしまった。
「それじゃあ、行きましょうか」
「面白い!」「続きが読みたい!」
など思っていただけましたら、
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