幕間:堕落の足音
蝋燭の灯火が、仄暗い部屋に揺らめく。
そこにある3つの影も同時に動き、すぐに元通りになる。
「ラド——姉様、ここは本当にどこなんだ……?」
「リガルレリアから繋がる地下道、その奥だーってあたし何回も言ったじゃん。てか実際歩いたじゃん。脳みそ入ってる~?」
「か、確認したかっただけだ」
ディケールは小声で耳打ちする。だが、ラドリーナには煽りマシマシで返されてしまった。
動揺と苛立ちを隠すように、ディケールは、歯ぎしりしながらこの場にいるもう一人の人物に目をやった。
「お客様、如何なさいましたぁ?」
「なんでもないよ。この愚弟のことは一旦置いといて、報告をお願い」
「愚弟……!? 俺様が愚かだと!?」
「当たり前じゃん。逆にどこが賢いのかな? 教えてっ?」
純粋無垢な子どものような声と目。しかし達観した大人の顔が、その仮面の裏に見えている。
そこに、メスガキサイコパスと呼ばれる所以が詰まっていた。
「ぐっ……分かった、もういい」
目をキラキラさせた悪魔が至近距離までやってきて、ディケールは抵抗を諦める。それが人生で何度目になるか、彼はもう数えてすらいなかった。
「ごめんね、商人ちゃん。改めて報告よろしく~」
「えぇ、もちろんです」
フードを目深に被った女——商人は、いやらしいほどにねっとりした声色で言う。
「例の計画については順調に進んでいますよぉ。我々イロウル分派の実験部は総出で頑張ってますぅ」
「そういえば、『あの子』を何かの母体にしたいって言ってたよね。それは決まったの?」
「ひゅひゅっ、良い質問ですねぇ!」
奇妙な笑い声を上げ、女は興奮したように早口になる。
「それにはぁ、とーっておきの『化け物』を使おうと思ってますぅ! 分派の本部の地下に数百年封印されていたトンデモな奴! 秘蔵の一品! ぜひとも期待しててくださいねぇ!!!」
身体をくねらせ、恍惚とした表情で「ひゅひゅひゅ……!」とトリップしている。
あまりの不気味さにディケールは一歩後ずさるが、ラドリーナは臆せず言葉を返す。
「それは良かった。じゃ、頑張ってね。そろそろ行かないとだから」
「護衛なしで姿を消すと、また父上や母上に怒られてしまうからな。『公爵家の子たる自覚はないのか』って」
公爵家の令嬢と令息が、護衛もなしに出歩く。
それは、本来あり得ないことだ。
「(あたしがノーくんと出かけたときも、公爵家の私兵が私服で潜伏してたしなぁ)」
そんな彼らは、いきなり始まった演説が終わった後には大歓声を上げていた。それに二人が買った串焼きも皆でこっそり食べていた。アクセサリーはさすがに買わなかったのだが。
自らの領地だからと大目に見られているものの、それでも他の貴族からすれば驚かれるようなアグレッシブさなのは間違いないだろう。ヤンチャとも言い換えられる。
「あのぅ……お客様、一つお願いが……」
とても申し訳無さそうに、謙遜するように、女は低姿勢で言う。
だが、ラドリーナは即座に言葉を返した。
「無理だよ? あたし、今100万ビタ紙幣しか持ってないから」
「まだ何も言ってないんですけどぉ!?」
「君たちって金遣い荒すぎなんだもん。あたしが裏でやってる商売があるから出せてたけど、もう散々あげたよ? これ以上は、ダ~メ」
「なぁ、ラド——姉様。なんで100万紙幣しか持ってないからダメなんだ? 両替すればいいんじゃないのか?」
その質問に、“姉様”は大きくため息を付く。
「(はぁ……これだからこの愚弟は。名前が漏れないように姉様と呼ばせてるのに半分言うし、こんな簡単なことも分からないし。煽る気も起きなくなっちゃった)」
商人もディケールの質問に首を傾げている。
彼女にとっては常識の話であるが故に、ラドリーナよりも困惑が大きいのだ。
「あのねぇ、100万紙幣なんか持ってるの高位貴族か王族くらいなんだよ? 商会に担保として預けたり、融資したりするときにしか使わないものが裏に流れたらどうなることか……ちょっとはその小さい頭で考えたらぁ?」
「ぐぬぬぬ……!」
ラドリーナの顔は一切笑っていない。声色も少しテンションが下がったように感じられる。
と、その時。
一同は足音が遠くから近づいてくることに気がついた。
頭にハテナを浮かべる女と、腰が引けつつも強がるディケール、特に気にしていないラドリーナ——と、三者三様の反応をする中、ついに足音の主が姿を現した。
「ひ、久しぶりだね、テグリスくん」
「ご令嬢、私は貴女に報告をしようと思っていたのです。しかし屋敷にもお姿が見当たらなかった。あまりプライベートには干渉しない主義なのですがね~」
黒いコートにフェドラハット。中肉中背で茶髪。柔和な顔と呑気な声。
「まさかここが見つかるとは思ってなかったけど……龍逆所属の探偵にはバレちゃうか」
服装はいかにも怪しいが、それ以外は特に特徴もない普通の男。
とはいえ、龍逆で探偵業をする、熟練の監視者であることに間違いはない。
その事実に、ディケールは驚きの声を上げた。
「こんな普通の男が……龍逆の……?」
ジロジロと値踏みするような視線を送るディケールの《《後ろ》》から、ポン、と肩に手が置かれる。
「いやぁ、そう思われてしまうのも仕方ないのは承知の上ですよ。でもその方が良かったりするので」
「いっいいいつの間に!?」
テグリスは、瞬間移動の如き速度で背後に回っていた。
あまりに情けないディケールの様子に、ラドリーナは頭を抱えた。こんなのが公爵家の次男で本当に大丈夫なのだろうか——と。
領民に見せられたものではない。その点、ノアは非常に優秀と言える。
「(あれは……風魔術? イロウルの戦闘部だったら誰が勝てるんでしょうかぁ。うーむ、もしや、リーダーで同格ぅ? となると龍逆——絶対に敵対したくないですねぇ)」
イロウル分派には様々な部門がある。本家に比べれば劣るとはいえ、どの部門もそこそこの実力があると彼女は思っていた。
だが、音も予兆もなく瞬間移動とすら呼べる速さで動けるなど、誰にとっても脅威でしかない。
熟練の戦士は相手の微かな動きや予兆を見て戦うが、気楽に立つ状態のどこに予兆があるというのか。
「はぁ……テグリス、報告をお願い。あたしはもう疲れてきたから、手短に。余計な部分はいらないから」
今日何度目かも分からないため息を付き、ラドリーナは椅子に座った。
「了解です。それでは、簡潔に——貴賤の夜が、ノア・エレヴァトリスに寝返りました」
ガタッ、と思い切り立ち上がる。そこに貞淑さはなかった。
「詳しく話して」
「でしょうね。そう来ると思っておりました。では、そうさせていただきます」
そう言って、テグリスは話し始める。
彼は、貴賤の夜を監視するために雇われていた。
計算高いラドリーナは、味方が寝返ることも想定していたのだ。
けれども、裏切るどころかターゲットに寝返るとは思っていなかった——しかも、存在が露呈したその日の間に。
あまりに早い。迅速に動きすぎている。
ラドリーナが驚いたのはそれだけではない。
ノアは人知を超越した魔術を使う、天使のような存在を召喚したというのだ。
契約獣なら分かるが、召喚されたのは人型。ましてやノアと至って普通に会話をしている。
何もかも、ラドリーナが想定していないことだらけだ。
そして、それはディケールも同じだった。
「(俺様との決闘から逃げ出したあの日、帰ってきてから妙におかしいと思ったんだ……)」
数週間前のあの日、ノアは弱かった。
魔術も剣術も、同年代の貴族に劣っていた。
「(臆病で弱っちかったはずのノアが俺様より強くなっていたのもそうだし、自分を監視してる集団に一人で突っ込んで、服従させるとか以ての外だろ)」
しかし、魔物がわんさかいるはずのニレイスの森で、彼は異様な変化を遂げた。まるで、知らないところで成人儀礼を通過したみたいに。
「少なくとも、あの子は強力な天使を召喚できる主人ってこと、だね」
「30人の集団を全員従えさせる……俺様にはもう理解できねぇ領域だ」
「むむむ……我々の中にそのようなことが出来る魔術を知っている者がいないか、確認しましょうかねぇ。出てくるかとは思えませんがぁ……」
そういえば、とテグリスが呟く。
同時に、三人の視線が集まった。
「龍逆には、人々を奴隷にする能力を持った存在がいるらしいのです。その姿は、虎であるとか、獅子であるとか、定かではないんですが……もしかしたらそれに近いものかもしれないですね」
「獣と人……真逆だね。テグリス、調査をお願いできる?」
「組織に始末されない程度に、でしたら」
二人は互いに含み笑いをし、フードの女は肩を竦める。
皆、言葉を交わさずとも、意思が通じ合っていた。裏の世界で生きる者たちのコミュニケーションだ。
「……何してるんだ?」
——しかし、ただ一人、愚かな男は取り残されていたが。




