後編
誰でもいい。別に、精霊と交渉できる存在なら。
ただ必死に、この世界は見捨てたものではないと、精霊たちを説得して、猶予をもらうだけ。
誰も知らない。実は、自分たちが信仰している精霊たちに殺されようとしているなどとは。
だが、そのことを知れば、世界はより混乱するだろう。
下手すれば、それが精霊の意思だと、無差別に殺戮を繰り返す者も現れる。
それを是とする者は、聖女にはなれない。
だが、そうであっても、その事実が漏れる危険を防ぐため、聖女は巡礼中、できる限り世間との関りは、教会を通すことになっている。
「……アイツがどれくらいの時間を稼いだかは知らない。だが、アイツの事だ。それなりには稼いでるだろ」
「……そうだな」
自分の命の終わりを理解していて、終わった後の世界を、大切な人を助けようとするなら、託すための努力をしていたはずだ。
「それで、君は何をするつもりだ?」
真っ直ぐと見つめる目に、クリミナは気にした様子もなく、すっかりミルクの渦が消えた紅茶を見下ろす。
「聖女なんてもの、いらないようにする」
イザベラとの約束だ。
この世界を、精霊樹に頼るだけの世界から解放すると。
本来であれば、セント・バルシャナ聖国の聖騎士に聞かれれば、その場で切り捨てられても、文句を言えないことだが、シエルは全く動じていなかった。
「……聖騎士としてどうなんだ? それは」
一応、信仰心が皆無の聖騎士はいないし、少なからず、精霊信仰者にとって、信じがたい仮説を口にしたはずだ。
精霊を信仰する騎士団を束ねる立場であるシエルなら、多少なりとも動揺するものと予想していた。
ただ、ここまで、平然とされていると、噂では高評価を受けているらしい目の前のこいつの評価が、嘘なのではないかと疑いたくなる。
「ケットシーにとって、精霊の存在は、人間よりも近いからね。灰被りの君の仮説の感想としては『アイツらならやりかねないなぁ』というところだ。それに、猫の心はうつろいやすい。ひとつのものを信仰し続けることが珍しいからね」
満面の笑みを浮かべているシエルに、クリミナの方が、呆れたように顔を顰めた。
盗聴防止の魔術をかけているから、問題はないが、もし外に漏れたら、色々とダメな発言ばかりをしている。
ただ、シエルの言葉は事実で、ケットシーの聖騎士が、彼ひとりなのは、それが理由でもある。
種族レベルで、浮気性なのだ。ケットシーという種族は。
「私の最優先事項は、過去現在未来、全てにおいて、灰被りの君だ。君が信じるならば、僕も信じるさ」
嘘偽りなど一切ない本当の言葉。
毎日、飽きもせず、呼吸をするように信頼だの、愛を語られれば、さすがの他人を困らせることが得意な魔女も困るらしく、額に手をやる。
「お前、本当に私のどこがいいんだか……」
「んむっ!? 灰被りの君の素敵な部分か!? まずは――」
「言わんでいい。何が悲しくて、自分の惚気を聞かないといけないんだ」
魔法でシエルの口を塞げば、騒がしく身振り手振りで説明しようとするシエルから、ため息を共に、顔を逸らした。
「とりあえず、聖女を不要にする件は、ゆっくりと時間をかけて進めていく話だ。目下、必要なのはドッペルの件だ」
聖女ではないものを、聖女として偽る。
既に、世界を救ったイザベラの大きな虎の威を借りているし、その上、時間的ゴールも設定されている。
クリミナがイザベラとしている、気の遠くなるような約束に比べて、ずっと好条件で、少しは現実味がある。
「まずは、権力だよなぁ……」
フラスコの中で小さな泡を立てる水へ視線を落としながら、大きくため息をついた。




