少女は愛する人の肉を喰べた 〜アンチゴネー 叙事詩として〜
第一部
ある村に飢饉が訪れた。
人々は太陽の神の怒りを鎮めようと
祈り、捧げものをしたが
地は燃えたように干上がり
すべてがひび割れた土に変わった。
アンチゴネーの家も飢えに苦しんでいた。
彼女の父と母は愛する娘のために
わずかな食べ物はすべて彼女に与えた。
しかし、いよいよ何もなくなり
幼い娘の頬がこけてくるのを見ると
父と母は決心した。
アンチゴネー、私たちは、たとえ死んでも
お前には生きていて欲しい。
だか、このままでは、私たちも、お前も、皆死んでしまう
だから、アンチゴネー、よく聞くんだ。
お前は生き延びるために、私たちを食べなさい。
アンチゴネーは泣いた。
嫌だと泣いた。
両親は彼女に優しくこう言った。
アンチゴネー、何も悲しいことはないんだよ。
私たちの血と肉は、お前のものとなる。
私たちは、お前とずっと一緒にいられる。
何よりも、お前が生き延びてくれることが
私たちにとって一番幸せなことなんだ。
そのためになら、なんだってするのが、親なんだよ。
それでもアンチゴネーは泣きやまなかった。
しかし両親は自分達の喉を突き
父と母は、そろって一緒に血と肉となった。
アンチゴネーは一晩中泣いたが
父と母が腐ってしまうのが何より恐くなったので
震える手で、両親の肉を切り分け始めた。
アンチゴネーは母から教わった調理法を、よく役立てた。
食べやすいところは、そのまま塩に漬けて干し肉にし
こそげとった肉や内臓は血と混ぜ
腸や胃袋に詰めて薫製にした。
「羊に無駄な所はないんだよ。すべて食べられるんだ」
彼女の家で、羊を一頭食べる時、父はよくそう言った。
アンチゴネーは父が羊をそうしたように
両親の肉をまったく無駄にしなかった。
アンチゴネーは両親の肉を食べ始めた。
父の肉からアンチゴネーは
「勇気」と「忍耐力」を受け取った。
母の肉からアンチゴネーは
「優しさ」と「美しさ」を受け取った。
そして両親の肉からは
自分を犠牲にしてまで愛するものを守ろうとする
至上の愛をアンチゴネーは受け取った。
アンチゴネーは泣いた。
悲しさではなく、深く、恐ろしいほどの幸福から。
やがて飢饉は去り
アンチゴネーは生き延びた。
大雨が降って土は蘇り
大地の恵みが彼女の生活を優しく包んだ
第二部
アンチゴネーは美しい女性に育った。
彼女はいつのまにか神を信じなくなっていた。
自分が許されない背徳を犯したことを知っていたから。
だが、彼女は幸せだった。
いつも体内に両親の存在を感じていたから。
いつも体内に絶対的な愛を感じでいたから。
ある日、一人の青年がアンチゴネーの前に現れた。
青年は優しく、美しく、彼女のこと心から愛した。
アンチゴネーもまた、青年を愛し
二人の体は結ばれた。
二人は激しく愛しあった。
しかし、彼を愛すれば愛するほど
アンチゴネーは恐くなった。
それは彼を失いたくないから。
かつて両親が自分の前から消えて
ただの血と肉になったように
彼を失いたくはないから。
彼のためならば
自分を犠牲にしてもかまわないと
本気で思えるから。
二人はやがて夫婦となり
人里離れた山の上に小屋を立て
二人で静かに暮らし始めた。
だが、幸せに暮らしていた一年目の夏
再び飢饉が彼らの生活を襲った。
夫は雨の神の名を呼び
太陽の神の怒りを鎮めようとしたが
大地は死んでしまったように干からびていった。
アンチゴネーも夫もみるみる痩せていったが
二人は優しくお互いを慈しみあった。
だが、このままでは二人とも、
死んでしまうのは明らかだった。
そして全ての食べ物が無くなってから、数日後の夜
アンチゴネーは決心し、夫に自分の過去を告白した。
少女時代のこと、両親のこと、飢饉のこと
何故、自分が今、生きていられるかを。
彼女は泣いていた。
幸福などではなく、ただ、痛かったから。
心が張り裂けてしまうくらい、痛かったから。
夫はそんな彼女を優しく抱いた。
彼女は泣きながら続けた。
自分は誰より夫を愛している。
あなたを失っては私は生きていけない。
だから、かつて両親が私にそうしたように
あなたは私を食べて、どうか生き延びてください。
しかし夫は優しい瞳で彼女を見つめながら、こう言った。
生き延びるのは、僕ではなく、君だ。
どうか僕を食べてくれ。
君のために死ねるのなら
君がそれで生き延びてくれるなら
こんなに幸福はないよ。
アンチゴネーは泣いた。
嫌だと泣いた。
しかし、夫はアンチゴネーに優しく接吻すると
自分の喉を突いて死んでしまった。
アンチゴネーは狂ったように泣き叫び
動かなくなった夫の亡骸を、何度も抱いた。
しかし、やはり夫の体が腐るのが恐くなったので
彼女は夫を食べ始めた。
彼女の口に夫の血と肉の味が広がった時
彼女は少女時代の自分を見た。
力強い父の腕
穏やかな母の温もり
そして、愛する夫の優しい顔、優しい瞳、優しい声。
アンチゴネーは、それから三日三晩、叫び続けた。
狂おしい彼女の悲鳴は
ひび割れた大地と、乾いた空に深く悲しく響きわたった。
そしてアンチゴネーは
夫の亡骸から肋骨を取り出すと
それで自分の喉を突き、夫の上に倒れた。
悲鳴を聞いた村人が、山のふもとから彼らの家を訪れ
変わり果てた二人を見つけた。
だが、そこで何が行われていたかを理解すると
おぞましさに身を震わせ
神に祈りを捧げると、そそくさとその場を立ち去った。
二人の血と肉は混ざり合い、共に腐り、共に朽ち果てた。
それから間もなく大雨が降り
大地は息を吹き返し
彼らの山は優しい緑に包まれた。
fin
詩集
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