ほんとうは、身ぐるみ剝がされるところまでイきたいんだ
進んでいってるものに気づくまで、わたしは、1ヶ月かかった。妻は毎日エサにありつきに来るネコを構わなくなり、わたしは10年以上通いつめたバーから遠のいた。
妻の仕打ちがあってから、わたしはゆきさんを思い出すことを意識的にこらえた。平日の昼下がりまで使って、使うあてのない女性下着を買うに至るまでの一連の行動はすべて四十おとこの欲情なのだ。そして彼女は、好きなウイスキーと職場のノルマ達成に貢献してくれるリスクの少ないパトロンを探しに、あのバーへ通っている。わたしだって半分はそれが分かっているのに、順々にカモにされているのを消化していたのに、踏みとどまれなかった。
それは、彼女の欲求はわたしの日常を壊すほどには大きくない、としっていたから。
そこまで持ち込まれて、大きなお金や身の振りを求めているような危険には思えなかったから、楽しみながらカモにされていった。
けっして、あとづさり出来ない場所までは、出掛けていかない。わたしはそういうタイプの人間だ。
わたしは、ちゃーんと保険をかたちにしている。仕打ちを受けたあとでも、自分だけの小さな理屈で納得しようとしている。しかし、もう半分が、それを我慢できないほど嫌になってきているのも認めなければ、いけない。カモにされてるとき、ほんとうは身ぐるみ剝がされるまでイきたかったのかもしれない。
妻がネコにエサをやならなくなったのは、いつからだろう、か。
日曜日の遅い朝に小腹が空いたのを合図に布団から出ると、妻の背中はすでに縁側にいる。「もうそろそろうちのネコにしてもいいんじゃないか」と送っても、聞こえないのか聞こえないふりをしているのか。いっしんに皿に載ったキャットフードを食べているネコの鼻先から、離れたりはしない。
あの皿、一緒に街歩きしていた時分にふたりして気に入って買った益子焼だ。「ひとつしかないけど、どうしよう。ふたつあれば夫婦茶碗みたいに使えるのに」と珍しくそんなこといじらしいことを声に出しながら熟考し、買い求めたのだ。
ケチな妻にしては結構な高い買い物のはずだった。
しばらく使い、しばらく食器棚の奥に引っ込んでいて、わたしはすっかり忘れていたが、妻の方は覚えていて、全身まっ白の瘦せた野良ネコに使うようになった。
今日と同じ日曜の遅い朝に、ニャーニャー言ってるのに気づいた顔を向けたら、「そうなの、三日前から、ニャーニャーうるさいの。最初の日に、暑いのにあんまりうるさいからお出汁とったあとの煮干しをあげたら、喜んじゃって。それからなの、うちをお得意様に加えたみたいになって」
「になって」と言った妻の声の半分は、それを待ち望んでるようにも聞こえる。本人はまだ気づいていないが、だんだんにそっちの方になびいていくのだろうか。子どものいないわたしたち夫婦の間に、自然とそうしたものが挟まってくるようになるのだろうか。それを、わたしは、軽いメランコリックに浸していた。
しかし、妻はもう少し複雑なのだ。わざわざ食器棚の奥から片方の欠けた夫婦茶碗の益子焼を引っ張り出して、毛のつく四つ足は触ったこともないくせに、せっせと世話する風を装っている。
そのネコが、白くて瘦せてて、毛の長い、引っ込みじあんの誰かしらの影に隠れてる顔が、可愛っくて憎らしい。そうした気持ちがありありと、している。
わたしが好きな女のタイプ。
わたしだって10年前はそんな女だったと過去形では言いたくない女のタイプ。いつまでも5号サイズでいられる女はいない。
なぜ、そんなにも、わたしより複雑に追い込んでいくのか。それはわからないが、複雑になっていく妻の顔は、私の方が本人よりもようく見えている。
自分で自分の顔は見えないのだ。他人に手伝ってもらわないと、一生自分の顏がわからずお仕舞いになってしまうって、ことなんだ。「一緒に10年寝起きしている仲だもの、そんなの当たり前だろう」と、いまはクリっクリっな三毛猫の方がお似合いの彼女に囁きたい。
しかし、妻はクリっクリっの三毛猫の背中を向けて、ただでさえ遠く離れていく愛しいものを、本当に遠くへ追いやっている。いじらしいほど一生懸命に。
ー ネコの世話をやめたのは、デパートの制服に忍ばせた5号の肢体に、わたしが何度も疼いたのを一緒になって感じているからだろうか。
ほんとうは妻のもやもやなんて見えていないくせに、そんな自分勝手な、うわっつらの陳腐な問いかけしか浮かんでこない。わたしは、かたちの見えない穴ばかりを前に、歯ぎしりしたい衝動に襲われる。いつもの言い訳や保険の掛かった都合のいいものは寄っては来てくれない。
もうあのバーへはこれから先二度といかないんだろうと思った。
ゆきさんが通わなくなるまでのほとぼりなんかでなく、いつまでもいつもの習慣に決別しないでいる自分と決別するために歯を食いしばる時局にわたしは差し掛かっているんだろう。
自分勝手にそう決めたくせに、それに気づいたとき、妻を本当に憎らしいと思った。