最終位 紅葉谷真白
小学生の頃、俺には友達が居なかった。どうやら教室で読書ばかりしていた俺を
彼らは異質だと判断したらしい。だからと言って、虐められるようなことは無かった。
聞こえるように陰口を叩かれたことは有ったが、そんなのは些細なことだ。それに
陰口を叩いたりするような連中と友達になるくらいなら孤立している方が良いと
考えていたので一人でも苦痛では無かった。
一人で学校に行き、休み時間を読書で潰し、別段楽しくもない授業を受けて一人で
帰宅する。型に嵌まったような、そんな生活が何時までも続くと思っていた。
しかし、そのルーティンは思いがけないことで瓦解することになる。
『えっと......神納木枯葉君、だよね。君もその本が好きなの?』
静かな図書室で、頬を赤らめながら話し掛けてきた彼女の姿は今でも鮮明に覚えている。
『......うん』
『そ、そうなんだ。面白いよね~!』
『えっと、誰?』
『あ、ごめん。私は紅葉谷真白。一応、同じクラスなんだけど』
『紅葉谷......』
それから後は何を話したのか覚えていない。だが、決して会話が弾むことは無かった。
それだけは覚えている。しかし、この出来事が俺の人生の転機になったのは確かだ。
その証拠に俺は彼女と次の日も、そのまた次の日も談笑を交わした。家族以外の人間と
個人的な付き合いをすることが皆無に等しかった俺にとって彼女の存在はとても
大きな物だった。
『枯葉君......真白が死んだ』
しかし、大きな存在が消えると俺の心には大きな穴が空いた。5月14日の朝、俺は
彼女の母から彼女の死を聞かされた。彼女は静かに息を引き取ったのだ。......いや
『静かに』なんて言葉は残された者の勝手な妄言。実際の彼女はとても辛かった筈だ。
それに、俺と違って彼女には夢が有った。小説家になるという果てなき夢が。
「真白......」
俺は涙を流しながら、その名前を呼んだ。本来なら自らの誕生日に終わっていた筈の
彼女の人生。しかし、何の因果か彼女は俺の前にもう一度現れた。そして、また直ぐに
消えていった。俺は静かに彼女の遺した小説を見つめる。彼女が幽霊として確かに
存在したことを示す証拠は最早、これだけだ。
「『それじゃあ、バイバイ』か......」
彼女はきっと、前から霊華の代わりに消えてしまう腹積もりだったのだろう。だとしたら
俺の料理を食べて喜んでいたのも、夏祭りの喧騒を聞いて燥いでいたのも、花火を観て
感動していたのも、嘘だったのだろうか。俺に見せていた笑顔は全て作り笑顔で本心では
霊華のために消えなければいけないという使命感と、消えたくないという本音で葛藤して
いたのかもしれない。
いや、違うな。たとえどれだけ心の中で葛藤していたとしても、彼女はずっと
本心で笑っていた。何と無く、そんな気がする。
「......んん」
俺がそんなことを考えていると、突然目の前で倒れている青髪の少女が声を発した。
声と言ってもそれは意味の有る言葉ではなく、ただの唸り声だ。俺は慌てて
少女の元に駆け寄る。
「ううん。むにゃむにゃむにゃ。あ、枯葉さん。おはようございます」
俺の顔を見た少女が目を擦りながら笑う。
「......おはよ。遅かったな。もう夜だぞ」
「あー、そうみたいですね。枯葉さん、お久し振りです」
慣れ親しんだ小生意気な口調。それは確かに俺の恋人のものだった。
「おう、久し振り」
そう言って笑う俺の瞳からはポロポロと暖かい涙が溢れ出る。
「あれ、枯葉さんもしかして泣いてます?」
「......すまん」
「謝ることなんて何も無いですよ。泣きたいなら泣いてください」
少女はそう言うと、涙を流し続ける俺をギュッと抱き締めて、俺の背中を
ポンポンと叩いてくれた。......暖かい。
「ちょ......」
「よしよし。枯葉さんが泣き止むまでずっと、こうしておいてあげますから。
好きなだけ泣いてください」
「......一応聞いておくがお前、名前は?」
「え、枯葉さん恋人の名前を忘れたんですか? サイテー。霊華ですよ。霊華。
枯葉さんの愛してや止まない霊華さんです」
不貞腐れたような声で少女......もとい、霊華が自らの名前を名乗った瞬間、ダムが
決壊したように様々な感情が俺に押し寄せてきた。その感情は霊華に再開出来たことへの
喜びの感情であり、真白が居なくなってしまったことへの絶望の感情だ。理解しがたい
感情は俺の双眸から溢れ出る涙の量を増加させた。
「うっ......」
霊華は俺を更に強く抱き締める。彼女は何故、最後まで笑っていたのだろうか。
辛い顔一つせずに、消えてしまうその時まで、ずっと幸せそうに笑っていた彼女の
姿が脳裏にこびりついて離れない。
天を目指し、天には程遠い位置で爆ぜた白蛇達は自分は不幸だと嘆いていただろうか。
美しい花を咲かせ、大衆を湧かす代わりに散り散りになったあの白蛇達は。いや、きっと
そんなことは無かった筈だ。彼らはきっと、俺に別れを告げたときの彼女のように笑って
いたことだろう。だとしたら彼女は......。
「枯葉さん」
「......何だ?」
「私、何故か真白さんだった頃の記憶が残ってるんですよね」
俺が涙を堪えながら聞くと、霊華は信じられない言葉を口にした。
「......え?」
俺は思わず耳を疑った。それくらいに彼女の言葉が信じ難い物だったからだ。
「うっすら、ですけどね。真白さんの記憶があるお陰で、枯葉さんと会うのが
久し振りだと分かったんです」
「.......つまり今のお前は」
「真白さんと霊華を合体させたのが今の私、とも言えるかもしれないですね。
どちらの記憶も有している訳ですから。あ、でもそんな鮮明には有りませんし
ちゃんと私は霊華ですよ!」
......これは彼女に一本取られたな。自らの意識を代償に霊華の意識を呼び戻すことを
彼女は月食に例えていたが、どうやらその例えはあながち間違いでは無かったらしい。
前々から霊華と彼女には共通点が多くあったが、最後の最後に彼女は『記憶』という
とんでもない置き土産をしていった訳だ。
「全く、最後まで俺の人生に影響を与えていきやがったな。アイツは」
「ふふっ、そうですね」
霊華は笑いながら、泣き止んだ俺を抱き締めるのを止めて空を見上げた。
「枯葉さんとこんな風にロマンチックな場所でお喋りするのも初めてですね」
「言うほどロマンチックか?」
「あんなに綺麗な三日月が夜空に浮かんでいて、周りには誰も居ない。こんな良い場所を
ロマンチックと言わずに何と言うんですか。滅茶苦茶ロマンチックですよromantic」
「いや何で最後、ちょっと発音良く言ったし」
「あ、ちょっと調子戻ってきましたね。良かったです」
霊華は俺の横に肩をくっつけながらちょこんと座ると、何処か安心した様子で笑う。
......全く、どれだけ良い奴なんだよ。俺の恋人は。
「そうだ。枯葉さん、私になんか言いたいこととか無いですか?」
霊華は突然、思い付いたように膝を打った。
「はあ?」
「ほら、久し振りに会ったんだから何か言うこと有りますよね!」
「ああ、お帰り」
「はい、ただいまです。......って違う!」
「何が違うんだよ。久し振りに会ったから、互いの愛が途切れていないかの
確認でもしろってか?」
俺がふざけてそう言うと、霊華はヘッドバンギングのように激しく頭を上下に
振った。脛椎を痛めないか心配だ。
「マジで言ってる?」
「マジで言ってます」
「ええ~......」
俺は心底嫌そうに唸る。
「ほら、早くして下さい」
目をキラキラさせながらせがむ霊華。正直、死ぬほど嫌なのだが仕方がない。
其処まで言うなら愛の言葉を紡いでやろうじゃないか。
「月が綺麗ですね」
他人の言葉だけどな。
「ぬぬぬ、私が聞きたいのは枯葉さんの言葉なんです! 枯葉さんがシャイで童○で
コミュ力ゼロの駄目人間なのは百も承知ですけど!」
「あそ。じゃあ、霊華」
「え? あ、はい」
「好き」
俺はグイッと顔を霊華に近付けて言う。
「......ふぇ?」
「好き。めっちゃ好き。霊華が1ヶ月以上も居なくなって死ぬかと思った。
可愛いし、優しいし、死ぬほど好き。霊華のためなら大体のことは出来る」
「ちょ......ちょっと待ってください! 私にも心の準備というものが有りまして
ですね! 急にそういうことを言われると心臓に悪いと言うか.....!」
「何時もは俺をからかってくる癖に、自分が言われると顔を真っ赤にして
恥ずかしがる霊華もギャップ萌えでめっちゃ好き」
「ふぇう! ......枯葉さん、今日デレ過ぎじゃないですか?」
「さあな。言いたいことも言えたし、そろそろ帰るぞ」
彼女が俺に別れを告げたとき、何を思い、何を感じていたのかは分からない。
「切り替えはやっ!?」
だが、彼女が確かに存在したことは紛れもない事実だ。
「帰りにコンビニでバームクーヘンでも買って帰るか」
そのことは彼女が残したこの小説が
「ヤッタア! 買いましょ、買いましょ!」
霊華が彼女と共通の物を好むということが
「太るぞ?」
「幽霊は太らないので。カッコドヤア~」
「文字なら分かるが、声で括弧を使う奴始めて見たな......。カッコ困惑」
今、神納木枯葉という人物が幸せだと言うことが如実に表しているだろう。
「枯葉さんも使ってるしー! あ、そういえば言い忘れてました」
霊華はそう言うと、懐かしいあの悪戯気な笑みを浮かべる。
「何だ?」
「暖かいですね。......あ、今の分かりました? 貴方が傍に居てくれて幸せです
って意味なんですけど」
「うん。分かってたけど、お前の解説で冷めた」
「ええ~? 折角、霊華さんが解説してあげたのに~」
「はいはい。拗ねるな。俺もお前が傍に居てくれて幸せだよ」
とても優しく、運命に嫌われた、飴細工のように傷付きやすい可憐な少女。独りだった
俺に声を掛け、俺の人生を大きく変えてくれた、俺が唯一胸を張って『友人』と呼べる
相手であり、俺の恩人。
自分よりも他者を優先し、重い病と必死に戦った誰よりも強い彼女の名は
紅葉谷真白という。
はいっ、最終回でしたあっ! ということで!『数年前に死んだ筈の幼馴染み、記憶を無くして幽霊として現れました!? ーヒュゥゥゥドロドロドロ~でうらめしや~な彼女との生活ー』はめでたく完結......!
しません! 一応、本編は終わりましたが後日談を何話か書きます。もうちっとだけ続くんじゃ!!!