雪ん子はおむすびが食べたい!
陸奥国。雪がしんしんと降り積もるさむいさむーい地。
その地には冬になると現れる妖精さんの言い伝えがあります。
雪ん子。そう呼ばれる雪の精です。
小さな童の姿で雪山に現れる雪ん子は遊ぶのが大好き。真っ白な雪景色にぽんぽこ足跡を残したり雪を固めて雪だるまを作ったりします。とある山村では、初雪が降った日は「雪ん子が山の向こうから遊びに来たのだ」と言い伝えられてもいます。
―――そうして今年も1人の雪ん子が、初雪を連れて山の向こうからやって来ました。
山村にしんしんと可愛らしい雪が落ちてきます。
冬支度を済ませていた村人達は手際良く家の中をあったかくしていきます。特に若い女子などは指先が青紫色になってしびれたりするもんだから、囲炉裏やかまどの火でほっこりと体を芯まで温めます。
わらの傘を頭から被った雪ん子は「わーいわーい」とはしゃぎながら山村を走り回ります。元気いっぱいな雪ん子は一冬の間こんなふうに遊び回ると、最後にはまた山の向こうへ帰っていきます。
去年も、おととしも、その前の年も、ずっとずっと前から雪ん子はそうしてきました。
……ですがこの日、雪ん子は初めてそれに目を引かれました。
とっとこ歩いてある家の前まで近寄った雪ん子は「あれはなーに?」と窓から中を覗き込みます。
家の中には一組の夫婦が居ました。
夫婦は囲炉裏を囲んでご飯を食べています。その食卓には体を温めてくれる湯気がほわほわ立つお味噌汁やぱりぱりふっくら焼いた魚などが置かれています。……そんなご飯の中で、雪ん子を釘付けにした物が一つありました。
おむすびです。
炊いたお米を両手でむきゅっと握ったおむすび。
「真っ白で、雪みたい」
手で持って食べやすいように炙った海苔を巻いた三角形のおむすび。それを家の夫婦はぱくぱくもぐもぐ頬張って食べています。人の食べ物に興味が無かった雪ん子ですが、どうしてかそのおむすびが気になります。
「おいしそうだなぁ。……あれ? おいしいって何だろう?」
雪から生まれた雪ん子はご飯を食べたことがありません。味の想像はおろか「おいしい」が何かもよくわかっていません。
「……いいなぁ」
雪ん子はここで初めて自分がひもじいのだと知りました。
お腹が空きました。
「よーし。ぼくもあれを作るぞ」
鼻息を荒く雪ん子はやる気を出します。童は行動力のかたまりなのです。
雪ん子はさっそく「ふんす」と雪を集めると、手の中できゅっと握ります。
「できた」
雪ん子の手の中にはぶちゃいくながらも、家の中で見たおむすびに似た雪のかたまりが出来上がっていました。雪ん子はそれを両手に持って座り、見よう見まねで夫婦がしていた「いただきます」をするとおむすびを口にします。
ぱくり。もぐもぐ。雪ん子は「……うん、うん」とおむすびを味わうように頬張ると、ごくりと飲み込んで言います。
「…………うん! 雪!」
当然です。ただの雪なんですから。
やはりと言うべきかこれは雪ん子の望んだものではありません。
「あれはもっとこう……もわっとしてた」
もわっ。それはおむすびから立つ湯気でした。
「見たことがある」
もわっに心当たりがあった雪ん子はさっそくその場所へ向かいます。
雪ん子が辿り着いたのは滝でした。
「もわっとしてる!」
寒さに負けず川の水が流れ落ちる滝。その滝壺では水飛沫が霧のように立ち込めています。雪ん子はこれを見てもわっを見付けたと言っています。
雪ん子はさっそく「ふんす」と雪で作ったおむすびを滝壺にくぐらせます。
「無くなった!」
ばしゃばしゃと水が落ちてくる滝におむすびが無くなってしまいました。それはそうでしょう。だって雪なんですから。
「……滝に食べられた」
雪ん子はおむすびが滝に食べられたと思いました。
だけど雪ん子はしょげません。
「明日は晴れ。その次の日にもわっが出る。それを使おう」
それは朝靄と呼ばれる現象でした。細かい理屈は知りませんが雪ん子は直感でそれが来ることを予想します。
明日の、そのまた明日。雪ん子の見立て通り朝靄が山のふもとに出てきました。朝日を遮るような白いもや。遠くが見えなくなるほど濃いもわっです。
雪ん子はさっそく「ふんす」と雪で作ったおむすびを朝靄にくぐらせます。
「できた」
何度も作って慣れた物。きれいな三角形になった雪のかたまりが手の中にあります。雪ん子は座って「いただきます」をするとおむすびを口にします。
雪ん子はすっぱい物でも食べたようにきゅっと顔にしわを寄せます。
「むー……いっしょ」
それは最初に食べた時と同じ味でした。でしょうね。だってただの雪なんですから。
「わっかんない」
雪ん子は思ったとおりの物が出来なくて困りました。
困りすぎた雪ん子はお天道様が3回上っては沈む間、雪の上をごろごろと転がって考え続けました。
そうして立派な雪だるまが一つ出来て、小米雪がひらひらと舞う空の下で。雪ん子は雪だるまの中からずぼっと顔を出します。
「あ。あのお家」
雪ん子が顔を出した先に、あのおむすびを食べていた夫婦の家がありました。雪ん子はもう一度中を見てあのおむすびを見ようと考えました。
―――その前に。玄関の戸が開きます。
家の中から外に出てきたのは奥さんの方でした。
「……まあ。雪ん子さん。そんなふうに雪の中に埋まってどうしたの?」
「考えごとをしてました」
「そんなふうになるまで? 大変ねえ。それで答えは出ましたか?」
「でませんでした」
「あらまあ」
奥さんは雪玉から出ている雪ん子の頭を撫でます。なんだかとっても可愛らしいと思ったのです。
「おばさんで良ければお話しを聞くわよ。力になれるかはわからないけど」
奥さんからそう言われた雪ん子は喜び勇みます。ぽこんと雪玉から飛び出し「ほんとー? 聞いて聞いて!」と奥さんの足元で跳び跳ねます。どうしてか頭を撫でられてから雪ん子はとっても元気です。
「ぼく、これが食べたい!」
「これって、雪?」
雪ん子が持っているのは三角形に握った雪でした。初めは何かわからなかった奥さんですが、直ぐに雪ん子が食べたいと言った物が何かを理解します。
「ああ、もしかしておむすびのこと?」
「おむすび?」
「うん。お米をね、そんな風に握ったご飯」
「……おむすび!」
雪ん子は自分が食べたがっていた物の名前を知って笑顔になります。
「ぼく、おむすびが食べたい!」
ぱっと笑いながら言う雪ん子。それにつられて奥さんも笑顔になります。
「じゃあお家にいらっしゃい。ご飯の支度が済んでるから直ぐに出してあげられるわ」
「いく! いらっしゃられます!」
奥さんが差し出した手。それを雪ん子は掴んで手を繋ぎます。そうして2人は連れ添って家へ入ります。
「あんたー。この子にもご飯を食べさせて良いかしら」
奥さんは家の中に居た旦那さんに声を掛けます。
「おお、おお。かわいいお客さんだな。勿論良いぞ」
旦那さんは奥さんに連れられて来た雪ん子の頭を撫でます。夫婦のどちらにも頭を撫でてもらった雪ん子は、ちょっぴり照れくさくなりましたがとっても嬉しくなりました。
「じゃあご飯にしようか」
囲炉裏にご飯が用意されます。
いつもは夫婦二人だけの食事。今日だけは小さなお客さんも一緒。
旦那さんは雪ん子が座る場所に、「火に近いからな。もし雪ん子が溶けたら大変だ」と言って雪を押して固めて作った雪氷の座布団を置いてあげます。それにお行儀良く座った雪ん子は奥さんが目の前に持ってきてくれた物に目をきらきら輝かせます。
「おむすび!」
温かいご飯で作ってくれたおむすび。それはほかほかと湯気を立てています。
待ちに待ったおむすび。雪ん子は直ぐに飛び付きたい気持ちをぐっとこらえると、夫婦が食卓に着くのを待ちます。
「雪ん子はお利口だな」
旦那さんは律儀な雪ん子に笑顔になります。
そうしていると奥さんもやってきて囲炉裏の傍に座り、「じゃあ食べましょうか。雪ん子さん。おむすび、熱いからね。もし食べられなかったら無理しちゃだめよ」と気を遣います。それに雪ん子は「だいじょうぶー!」と返してうきうきと待ちます。
旦那さんは皆がいつでもご飯が食べられるようになったことを確認すると、手を合せます。
「じゃあ、いただきます」
ご飯の挨拶。それに奥さんも続いて「いただきます」と言い、雪ん子も。
「いただきます!」
すっかり挨拶が身に付いた雪ん子。そしてさっそくおむすびを手で取ります。
「もわっとしてる!」
もわっ。それは紛れもなく雪ん子が追い求めたもわっです。もわっと共に雪ん子の手にじんわりとした温もりが広がります。
そしてついに。
ぱくり。もぐもぐ。雪ん子は「……うん、うん」とおむすびを味わうように頬張ると、ごくりと飲み込んで言います。
「おいしい!」
今日一番の笑顔でした。雪ん子はにこにこしながらおむすびを食べます。その様子に夫婦もにこにこ笑顔になります。
この夫婦には子供が居ませんでした。欲しいとは思っていましたが子は授かり物ですので、こればかりはどうにもなりません。ですので雪ん子がこうして団欒に加わっているのが微笑ましく、そして嬉しかったのです。
旦那さんは奥さんが雪ん子を可愛がっている姿を見て言います。
「雪ん子みたいな子供が、家にも生まれてほしいな」
それは正直な気持ちでした。それを聞いた奥さんも「そうねぇ。雪ん子さんみたいに元気な子がほしいわね」と頷きます。
「ふーん。そうなんだー。……なるほどー……」
夫婦の願い。それを聞いた雪ん子はおむすびを平らげると、雪氷の座布団を抱えて立ち上がります。
「ん! わかった! じゃあぼくが山の神様にお願いしてきてあげる!」
「……え? いったいなにを?」
「2人に子供ができますように!」
雪ん子はぱっと走り出すと玄関の戸を開けて外に飛び出します。
そして粉雪が舞う外で振り返った雪ん子は夫婦へ深々とお辞儀します。
「おむすび、ごちそうさまでした! あったかかった! ―――またねー!」
手を大きく振った雪ん子。その姿が突然吹き上がった雪煙で覆い隠され―――
空が晴れ上がり、雪ん子の姿は無くなっていました。小米雪と共に去ったのです。
風のように去って行った雪ん子に夫婦はあっけに取られた様子で開いたままの戸を眺めていました。
そうして今年の冬、あの雪ん子が山村に顔を出すことはありませんでした。
―――その翌年のことです。
あの夫婦の間に1人の子供が生まれていました。
葉月(8月)に生まれた男の子。とても元気いっぱいで病気にもかからず、すくすくと育っていきます。
ようやく生まれた我が子に夫婦はとても喜び、そして愛しました。
「きっと雪ん子が山の神様にお願いしてくれたからだ」
夫婦は山への感謝を捧げました。そうして初雪が降ると毎日ご飯を炊いておむすびが作れるようにしました。あの雪ん子がいつ来ても良いように。
親子の幸せな日々。それを過ごす内に夫婦はあの雪ん子に直接お礼が言いたくなるのです。
……でも雪ん子はその年の冬に顔を出すことはありませんでした。
その次の年も。そのまた次の年も。
―――すっかり初雪が降るとおむすびを作るのが習慣になった頃です。
あちこち走り回れるぐらい育ったあの夫婦の男の子が元気に外で遊んでいます。
「……おー」
すると空から雪が降ってきました。今年初めての雪。
男の子は空から降ってくる初雪に手を伸ばします。その目はきらきらと輝いています。……そんな時です。
「おーい」
「ぼうやー」
子供を呼ぶ声が聞こえてきます。それはこの男の子のお父さんとお母さんの声でした。
家の前に立って我が子を呼ぶ両親。それに向かって男の子は駆け寄って抱き付きます。
「おっとう。おっかあ」
「おー。飛び付いてくるなんて本当に元気だな」
「ふふふ。ぼうや、もうご飯の時間よ。お家に帰りましょう」
そうして家族3人、手を繋いで家の中に入ります。
「ぼうやは今日、何が食べたい?」
笑顔でそう尋ねるお母さん。
でも実はお母さんも、そしてお父さんも、男の子がなんと答えるか知っています。
夫婦はとても、とても嬉しそうに、我が子が口に出した言葉を聞きます。
「ぼく、おむすびが食べたい!」
大好きで。
可愛らしい。
雪が持ってきてくれた、おくりもの。
あたたかく結ばれた家族はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたしめでたし。