第八十六話 最終回
「ゾンビ襲来は人類にとって未曾有の大災害でした。国中が甚大な被害を被り……」
テレビの音が耳に流れ込んでくる。
俺は石のように重い体をゴロリと反対側へ向けた。
「ゾンビという未知のモンスターに対し、我々人間は決して屈しませんでした。そしてまだ戦いは終わっていません……」
音が聞こえるのはリビングからだ。
この声は……
「仮設住宅の皆さん、封鎖区域の皆さん、私の声が聞こえますか?」
ああ、あいつだ。
ゾンビ評論家、下飯木……
そしてここは、家だ。
あの世でも、閉鎖されたショッピングモールの地下でもない。
「太郎! 起きなさい!」
母ちゃんの声が聞こえる。
そうだ、俺は、俺達はあの危機的状況から……
脳裏に暗い地下室の映像が映し出される。
ショッピングモールの地下には在庫品を管理するための地下室があった。
地上階が炎に包まれても、地下は大丈夫だと俺達は逃げ込んだのだ。
湿気がこもりやすい地下室の換気口は、外に直結しているはず。在庫品を管理するなら尚更だ。カビなんか生えたら大変だもんな。
俺、久実ちゃん、神野君、青山君の四人は身を寄せ合い、全てが終わるのをジッと待っていた。
外の爆撃音は地下にも響いてくる。
スマホは圏外で、確認できるのは過ぎていく時間だけだ。
あの後、俺は……えーと、えーと……思い出せない──
急に眩い光が目に飛び込んで来た。
涙が滲む。
……ここは、天国か。
「何、寝ぼけてるの? 今日から出勤でしょ?」
母ちゃんの声で我に返った。
ようやく光に目が慣れる。
カーテンを開けたのは母ちゃんだ。
「もう、あたしゃ、会社に行くからね。初日から遅刻しなさんな」
これは現実だ。
俺は生きている。
三ヶ月前の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。
※※※※※※※※※※※※※※
三カ月前、絶望的なショッピングモールの地下で、俺達に出来るのは祈ることだけだった。
暑くもなく寒くもない。ダンボール箱が幾つも置かれただけの部屋は殺風景かつ言いようのない圧迫感があった。
暗い中、俺達は固い床に腰を下ろし身体を寄せ合った。終わるのをジッと待つだけの数時間……
時々ウトウトしても、決して眠ることはない。普段軽口ばかり叩いている青山君も、能天気な神野君も喋らなかった。
これまでゾンビと戦った中で最も切迫したと言ってもいい。
死に直面すると、達観するとか嘆き苦しむとか、後悔するとか……特にそういうのは無い。
精神を支配したのは、純粋な恐怖のみだった。
心は定期的になだれ込む雑念のせいで混沌としていた。人生で何度か訪れた転機や嫌な事、楽しかった思い出も頭の中をぐるぐると回った。
かと思えば、アニメの名場面やちょっとした妄想が上映会を始める。
ひっきりなしに考えが浮かび上がっては消え、脳内は制御出来ないほどグチャグチャだった。
換気口から響く外の破壊音。
響くたび、それが俺達の精神を少しずつ削り取っていった。
お互い何も言を発さず、時々確認するように顔を見合わせる。
その状態が何時間も続く。
この地獄のような数時間は永遠に終わらないかと思われた……
爆撃の音が収まったのは明け方近くだ。
恐る恐る外へ出た俺達を待っていたのは、完全武装した自衛隊員だった。
モール内へ突入した隊員達は、まず俺達に発砲した。
正直、この時が一番漏らしそうだった。着弾したのは俺の足元だ。爪先からほとんど離れていない位置に。わざと外したのか、誤って外したのかは分からない。
僅かな運の差で助かったのだと思う。
両手を上げ、俺達は必死に訴えた。
隊員が俺達を人間と認め、保護するまでにそこまで時間はかからなかったはずだ。
それなのに、硬直した体は血流を悪くさせ、冷たい手足は痺れた。
ようやく保護された時には、緊張感が一気に解かれたせいで倒れそうになったぐらいだ。
日本政府の要請を受けて、封鎖区域を爆撃したのは米軍だった。
爆撃を受けたのは俺達の地区だけではない。
日本中に同じような危険区域が幾つも存在していて、一定の危険度数を超えた所が対象となったのだ。
生存者率一割が一つの目安らしいが、詳しい基準はいまだによく分からない。
爆撃は突如行われた。
事前の告知は全くなし。
青山君が直前まで見ていたニュースでも、報道されていなかった。
報道されたのは事後である。
規制がかかったと見て間違いなさそうだった。
政府が告知しなかった理由は、混乱を避けるためだったとのこと。
夜間戦闘機により投下されたのは大量の焼夷弾だ。
青山君が言った通り、目的はゾンビの掃討なので大型施設には投下されなかった。マンションやビル、神社仏閣もしかり。しかし、木造住宅の多くが燃やされた。
俺達の住んでいた地区はかなり広い範囲で焼け野原となってしまったのである。
政府の発表では、ほとんどの人が逃げたと。残っていたのはゾンビだけだったと。
きっと俺達のような生き残りはもっといただろうに。
死人に口無し、だが……
幸いにもマンションは攻撃対象から外れていたため、残っていた住民は全員助かった。
爆撃後は、派遣された自衛隊が残ったゾンビを掃滅。自衛隊が軍事的行動を取るのはこれが初めてかもしれない。
数日も経てば、荒れ地は整地され速やかに仮設住宅が建設される。
家を失った人達は減税措置を受けることになった。残念ながら被害全額保障という訳にはいかないようだが。
株価は大幅にダウン。
円安が進み、国内の物価は上昇する。
大量のデマによる買い占めと、一部物流の停止により食料品と紙製品が手に入りにくくなった。
こういった現象は戦争が始まる前触れだとか、貧富の差が広がり過ぎてこれでは身分制社会だ、いずれ革命が起こるだろうという物騒な話まで出てくる始末。
だが、政府に対する批判が鳴り止まぬ一方で、何故か爆撃という強硬措置は称賛された。
そんな中、住居がなくなった人達は仮設住宅へ、それ以外の避難していた住人も元居た住居へ戻った。俺の両親も旅行地から戻り、ナツさんは父親の元へ、神野君、青山君は自分の家へと帰っていった。
皆が会社に出勤し始め、スーパーに品物が戻り……
俺達が前の生活に戻るには、そんなに時間はかからなかった。
──そうだ、今日から出勤だった
「ゾンビ殲滅機動隊」が発足したのは丁度一ヶ月前だ。上部組織が総理府であり、自衛隊、警察庁とも独立した組織である。
その名の通り、ゾンビの殲滅を目的とした武装組織だ。
「ゾンビ殲滅機動隊」への就職が決まった時、母ちゃんは泣いて喜んでくれた。
あれだけ散々な目にあった俺がどうしてゾンビと戦うことを選んだのか?
それは自分でもよく分からない。
ただ、声を大にして言えるのはこの世から奴らを抹殺したい! その強い気持ちだけが俺を突き動かした。
玄関のチャイムが鳴った。
「あっ、久実ちゃんじゃないの? あんた、昨日一緒に行くって言ってたでしょ?」
その名を聞いてやっと体を起こした。
久実ちゃんは都心のデパートで働き始めている。通勤時間が重なるので駅まで一緒に行く約束をしていたのだ。
着替えている間、玄関のドアが開けられる音とバタバタと母ちゃんが外へ走って行く音が聞こえた。
時計は七時半を指している。
朝飯食う時間はないな……八時までに出なくては……
着替えを終えてリビングに行くと、久実ちゃんが待っていた。
親父ももう出たのか、いない。
久実ちゃんは以前と変わらず、黒々とした直毛をきっちりと後ろでまとめていた。変わったのは化粧をするようになったことと、眉毛が整えられたことだ。
テーブル上は俺の朝食以外、片付けられていた。トーストと目玉焼きの載った皿にラップがかけられている。
「もう、早めに来て良かったよ。やっぱり寝坊するんだから。はぁ……先が思いやられる……」
「うるせぇな。顔、洗ってくる」
小言に苛つきながらも、来てくれて良かったとは思う。
寝坊し、家に一人残された状態で出勤出来たか自信ない。
一年以上、家でゴロゴロしているだけの生活をしていたから、寝坊という小さな躓きが命取りになるのだ。面倒臭くなって、全て投げ出してしまいたい気分になる。
顔を洗い終えた直後、振動するスマホに気付いた。
神野君だ。
今月やるサバゲーの日程を知らせてきた。よりにもよってこの慌ただしい時間に……
間髪入れず、久実ちゃんが叫ぶ。
「スマホなんて触ってる時間ないよ!」
「分かってらぁよ」
チッ。いちいちうるせぇんだよ。
ベッドの中では可愛いんだけどな。
なんか、母親が二人になったみたいだ。
「先、玄関で待ってるからね。もう……私まで遅刻しちゃう」
久実ちゃんはそそくさと玄関へ移動した。
俺はバッグを開け、持って行く書類を確認する。
……よし、大丈夫だ。
問題なかったので玄関へ……
玄関まで行って、テーブルの食事がそのままだったことに気付く。
慌てて戻り、テレビの時間を見た。
七時五十分。
あっ、テレビも消し忘れてた。
画面にはゾンビ評論家、下飯木が映っていた。芝居がかった口調で何やら話している。
「私達の戦いはまだ始まったばかりです。敵は一旦大人しくなったかのように見えて、またすぐ牙を剥きます。今回のゾンビ災害で生活が変わった人、心に傷を負った人、人生が変わった人はいるでしょう。ですが、ほとんどの人は元の日常に戻られました」
全く羨ましい。
テレビで適当なこと言っているだけで金が貰えるんだから。ゾンビに関しては、こいつより俺の方が詳しいに決まってる。
何を持って専門家と言うのか。
ゾンビを倒した数で言ったら、こいつは俺の足下にも及ばないはずだ。
俺は画面上のシタを妬み全開で睨み付けた。
相変わらずの薄い頭髪に艶々した肌。小動物を彷彿とさせる可愛らしい目がチャームポイントってか?
シタは少し間を置いてから、再び口を開いた。
「決して油断しないでください。奴らは息を潜めているだけで、また必ず現れます。私達の日常を、平和を、全て奪い去るために……」
玄関で久実ちゃんが叫んでいる。
「田守君! 何してるの? 早く!」
「今、行く」
俺はテレビを消した。
完
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
コロナ前に書いた作品ですが、状況が被る所もあり我ながら感慨深かったです。
何より私自身、楽しんで書いた作品を多くの方と共有出来たのは素晴らしい体験でした。
今後の予定ですが、二週間ほど息を潜めます。
その後、週一、二ペースでノクターンノベルズで連載しようと思っております。
そして、二、三ヵ月後にはストック三百話以上の新作を引っさげて戻ってきます。
実を言うとゾンビは布石です。
本命作品を投稿する前に自らをPRするため、書き下ろした作品なのです。
新作はファンタジー。(多分アクション文芸で投稿)ゾンビを気に入っていただけたなら楽しんでいただけるかと思います。
気になる方は是非、黄札をお気に入りユーザー登録してください。泣いて喜びます。
ゾンビ同様、Webの人気作品とは一味違ったテイストに仕上げておりますので。
最後に、ツイッターにて宣伝してくださった皆様、感想レビューを書いて下さった方々、励ましてくださった創作仲間、何より読んで下さった皆様、ありがとうございました。




