第七十六話 作戦③
「お願い。手伝わせて」
懇願する久実ちゃんを前に俺は固まるしかなかった。
今、我が家のリビングには久実ちゃんとナツさんが来ている。青山君はまだ見張りから戻っていない。
何故、作戦がバレたか……
話は数分前に遡る……
銅線を手に入れた俺達は裏手のフェンスからマンション内へ入り込んだ。
擁壁から自転車置き場のルーフへ。
ルーフから二階廊下の手摺り壁へ飛び移った。
あらかじめ用意しておいたクッションの上に降り立つ。手摺りのてっぺんからから廊下の床までは一メートル以上あった。
前に高い所から飛び降りた時、アキレス腱がヤバかったが、今回は大丈夫だ。
しかし、安堵して立ち上がった俺を待っていたのは強張った顔をした久実ちゃんだった。
俺の部屋へ漫画を返しに行ったところ、誰もおらず、屋上で見張りをしていた青山君を問い詰めたのだという。
結果、俺達の計画は簡単にバレてしまった。
理事長に黙っていると約束してくれたのは良しとして、手伝いたいと。
手伝ってくれるのは有り難い。でも、危険だしナツさんをどうするかという問題もある。
「ナツちゃんはお母さんに見てもらう」
久実ちゃんは言った。
「私も毎日ゾンビの数が増えているのは知ってる。このままじゃいけないのは分かってるけど、何をしたらいいか分からなかった。だからお願い。手伝わせて」
俺は助けを求めて神野君を見た。
神野君はあっけらかんと……
「まあ、いいんじゃない? 三人より四人の方が助かる」
え? そんなに軽く承諾していいのか……
理事長宮元さんの顔が脳裏にチラつき、俺は気が気でなかった。
だが、懇願する久実ちゃんに邪険な態度は取れない。
「ねえ、田守君、お願い……」
「青山君が戻ったら打ち合わせる。大体決まってから呼ぶから」
取りあえずは聞き入れて、後でどうするか考えることにした。
映画へ行って以来、久実ちゃんとはろくに話していない。わだかまりはもう溶けているけど。自然溶解──変な事を言われたのだって恨んでないし。だが……神野君やナツさんが居ても、独特の居心地悪さを感じずにはいられなかった。
「俺は神野君と話すことがあるから、一旦帰りなよ。さ、ナツさんも……」
早々に追い出そうとする。
ダイニングテーブルで久実ちゃんと話していた俺は、後ろのソファーにいるナツさんを振り返った。
「ちょっと、待って!」
ナツさんは神野君と真剣な顔でカードファイルを見ている。
あれは、トゥインクルハニーの……
「これと、これと、これ!」
「二枚あるやつじゃないと、駄目だかんな」
カードの交換をしている。
全く何やってんだか……
「ナツさん、帰るよ」
「待って! 師匠のカード、もうちょっと見せてもらう」
おい、久実ちゃんと一緒にとっとと帰って欲しいんだよ。俺は。
「ナツちゃん、いいよ。私、先帰ってるから後で送ってもらって」
久実ちゃんはナツさんに伝えてから俺に近付いた。
「田守君、話がある」
耳元で囁かれた。
さすがにドキッとして顔を見る。
久実ちゃんの黒い瞳はいつもより涙量が多い。真面目な顔だ。
俺は頷いて、久実ちゃんと一緒に部屋を出た。人の出入りの少ない二階へと向かう。
誰にも聞かれたくない空気感を醸し出していたからだ。
久実ちゃんは何も言わず付いて来た。
「田守君、ごめんね。私、ずっと謝りたかったの」
二階の外廊下を数歩歩いてから、久実ちゃんは口を開いた。
何をだ?? くそー……せっかく傷心から立ち直ったのにほじくり返してくれるなよ??
「私、時々無神経なこと言っちゃって人に誤解されることがあるんだ。この間も田守君を怒らせるようなこと言っちゃって……」
うわーーー、それ以上言うなぁ!!
それ以上言って俺の繊細なハートに穴を開けるなぁ!!!
「でも、田守君が離れて行って、とっても辛かった。それでやっと、自分の気持ちが分かったの」
そこまで言うと、久実ちゃんは俺の手を急にギュッと握ってきた。
ジッと俺の眼球をのぞき込んでくる。
動揺せずにはいられなかった。俺は辺りをキョロキョロ見回した。
──良かった。誰もいない……あ、いた……
手摺り壁に設けられた五センチほどのスリットから青い手が伸びていた。
「うぐぉああああ!」
女ゾンビが俺達に反応して、唸りながら掴もうとしてくる。
即座に俺は、持っていた鉄パイプで天誅を食らわした。
グチャッ……
いつ聞いても脳味噌がクラッシュする音は気持ち悪い。
だが、そのお陰で少し冷静になれた。
「久実ちゃん、前も言ったけど俺は振り回されるのは……」
「付き合って下さい。私と」
「……え?」
今、何と?
聞き間違い……だよな? うん、そうだ、きっとそうだ。
俺が無言のまま固まっていると、
「返事、待ってるから……」
それだけ言って久実ちゃんは俺から離れた。そして、物凄い勢いで階段を駆け上って行ってしまった。
残された俺は漫画みたいに口を開けたまま、呆けているしかない。
マジかよ──
返事って何?……付き合うって……
時間だけが無情に過ぎていく。
俺は困惑していた。
外は暗くなり始めている。
壁のスリット部分からさっきとは別のゾンビが手を伸ばしてきた。




