第七十三話 管理組合
「とにかくお酒は全部出して頂きたい」
マンションの管理組合理事長、宮元さんは厳しい顔で俺達を睨んだ。
その後ろ、二人の理事も怖い顔でこちらを見ている。
「これは管理組合の総意です」
「全く、酒を飲みながら見張りをするなんてとんでもない。危険な屋上ですよ?」
再度、責め立てられる。
さっき、うっかり言い訳をしてしまったので、火に油を注いでしまったようだ。
宮元さん宅リビングで俺達は立たされたまま、説教をされていた。
キッチンからこちらの様子を恐る恐る窺う久実ちゃんが見える。
隣室の柄沢さんが屋上から飛び降り自殺をしてから丸二日が経とうとしていた。
屋上に飲みかけの缶ビールがあったことと、元木の密告により俺達が見張り中に酒を飲んでいた事が発覚した。
元木が何故知り得たか。
屋上から帰る途中、神野君とすれ違った時に気付いたと思われる。ジロジロ見てきたというから、手元のレジ袋に入ったビールを見ていたのだろう。
結果、管理組合は全二十八世帯へ飲酒中に自殺したと説明するプリントを配った。
因みにビールはほとんど飲まれてなかったにもかかわらず、だ。
ベランダから遺体を見た後、直ぐに屋上へ行って確かめたから間違いない。
一応、プルタブは開けられていた。
だが、飲み口から覗く液体は一杯であり、飲んだとしても一口か二口。
そもそも俺達と別れてすぐに飛び降りているから、アルコールの影響で飛び降りたとは考えにくい。
確認した時、宮元さん達も一緒だったのにどうして酒のことを強調するのか、俺には理解できなかった。
管理組合の言い分では、状況が分からず不安を感じている住人に答えるため、プリントを配ったとのこと。
確かに説明は必要だが、酒が原因ではないのに誤解される内容を印刷して配るのはおかしい。
これでは俺が酒を渡したせいで自殺したみたいだ。
そのせいで住人からクレームが殺到し、俺達から酒を取り上げろという話になってしまったのである。
大袈裟に事を荒立てているのは管理組合だし、何の権限があって個人の所有物を取り上げるのか。こんなの人権侵害だ!……と声を大にして叫びたかったが、我慢した。それなのに……
「分かりました。あと日本酒が一本あるので預かって頂けますか?」
神野君が勝手に承諾した。
ずっと黙っていた神野君が急に口を開いたので、オジサン達は驚いたようだった。
驚いたのは俺も同じだ。
……え? てか、神野君、それ俺んちの酒なんだけど……
俺の咎めるような視線を無視して、神野君は続けた。
「ですが、一時的に預かって頂くだけです。田守家の所有物なので、騒動が終わったら必ず返してください。もし、返して頂けない場合は窃盗罪になりますので」
「……勿論、返すつもりだ。君達もいい年なんだから、しっかり反省してもらいたい」
「それでは今から取りに行きます」
おおい! 神野君、俺の意志は!?
そこで、神野君はようやく俺の視線に気付いた。
一瞬、薄い笑みを浮かべる。
──ん? 大丈夫ってことか?
俺達は宮元さん同伴のもと、酒を取りに帰った。
家の中はガランとしていて、俺の部屋から声優のキンキンした声が漏れている他は静かだ。青山君がアニメを観ているのだろう。
神野君はキッチンのシンク下にあった日本酒をすんなり渡した。
「一応、中身が合ってるか確認させてもらう」
宮元さんは用心深く言った。
神野君は顔色一つ変えない。食器棚からグラスを取り出すと酒を注いだ。
宮元さんは神野君から目を離さず、注がれた液体を口に含んだ。
「……うん。間違いないな」
「宮元さんにお話があります」
またもや、唐突に切り出した。
そうして神野君は二日前、俺と話していた内容を打ち明けたのである。
バリケード移動のこと、調達のこと……
宮元さんは話し終わるまでジッと待っていた。
「住人の方からその様な意見があったと、他の理事には伝えおくよ」
「伝えるだけじゃダメです。すぐ行動を起こさねば間に合いません」
「だが、まず他の理事の意見を聞かないと……」
「この提案について全二十八世帯全てに伝える必要があります」
「……いやね、そんなこと言ったら臨時総会を開かないといけないし……」
「総会の資料なら仮で作らせて頂きました」
「へ!?」
昨日の晩、俺のパソコンで遅くまで何かやってたけど、これだったのか……
神野君は俺の部屋から書類を持ってきた。
うわあ……
臨時総会の案内を委任状までご丁寧に作っている。
やはり、宮元さんもドン引きしていた。
「開催場所は仮で宮元さん宅にさせて頂きました。それと、議題は他にも思い付いたことを書いています……」
「ちょっと待ってくれ。まだ総会を開くかどうかは……」
「直ぐに開くべきです。今は一刻を争う事態ですよ? 食糧だってもう底をつきます」
「だが、物事には手順という物があるんだ。そもそも君はこのマンションの住人じゃないじゃないか?」
「そんな悠長なことは言ってられません」
「とにかくこの案について、臨時総会を開くかどうかも検討させていただく」
「返答はいつ頂けます?」
「それは他の理事達の反応次第だ」
「それでは困ります。バリケードはいつ破られてもおかしくないし、食糧も早い家はもう無くなりかけているでしょう。不在のお宅から頂戴することも考えなくてはいけません」
俺は半ば諦めて二人のやり取りを聞いていたが、宮元さんの反応が悪かったので口を挟んだ。
「まあ、とにかくそういう提案があったという事で住人に通知していただけると助かります。総会開く云々は御判断にお任せしますので」
俺はまだ口をパクつかせている神野君を押しやると、
「神野が作った資料は参考に持って行って下さい。俺達には何の権限もないので……お忙しい所、すみませんでした」
そう言って宮元さんをさっさと玄関へ追いやった。
「話が戻るようだけど、今後飲酒で迷惑をかけたりしないようにね、お願いします」
宮元さんの言葉に頷いて頭を下げ、俺はドアを閉めた。
バタンという音の後、ちゃんと閉まったか確認し、鍵をかける。
「神野君、何やってんだよ? あの状況で俺達の意見が受け入れられる訳ねぇだろ!?」
振り向きざま、俺は怒りをぶつけた。神野君は自信満々の態度から打って変わってタジタジになる。
堂々としているように見えて、実は小心者の一面もある。
「……だけど、理事会通す必要はあっただろ。それにもう時間がない」
「時間がないのは分かってるよ! でもこのタイミングはない」
奥の部屋から青山君が出て来たので、俺達は玄関からリビングへ移動した。
全く、行動力は半端ないが、神野君は時々空気を読まずに突っ走る癖がある。
「それにさ、家の酒だって勝手に差し出すんじゃねぇよ」
「あっ、それなら大丈夫だよ。僕が中身入れ替えといたから」
青山君がバネで弾かれたように飛び上がり、キッチンへ走った。平然と冷蔵庫から麦茶ポットを取り出す。中には透明な液体が入っていた。
「師匠が出かける前に移し替えてくれって……ああ、でも酸化が進みそうだからさっさと飲もう」
「えっ!? でもさっき……」
さっき、宮元さんが中身を飲んで確認したはず。
「渡した方の瓶に入ってるのは、ただの水だよ」
今度は神野君が何食わぬ顔で言い放った。
じゃあ、あのおっさん、水を日本酒と勘違いしたってか?……んな、馬鹿な!?
「気付かれなかったのはラッキーだった。プラシーボ効果じゃないけど、俺だってちょっとは工夫した」
神野君の話だと、そうだと思い込ませる事で実際は違うのに味覚まで勘違いしてしまうことがあるとのこと。
自信満々に振る舞って、これは間違いなく酒だと思い込ませたのだという。
信じられない話だが、不思議なオーラをまとっている神野君ならできる話かもしれない……
「でもガシュピン、どうするよ? あいつ、無能だぜ。このまま行くと俺達まで泥舟に乗って沈没だよ」
俺の怒りが収まったのを見て、いつもの神野君に戻る。
「どうしようもないだろ。俺らには何の権限も信頼もないんだからさ」
「何とかマンション敷地内のゾンビ、一掃できないかな。俺達だけで」
「そんなん、無理……」
俺が言いかけた時、ニヤニヤした青山君と目が合った。
……この顔、何か悪巧みしてやがる。




