第六十九話 この世の終わり⑨
「現在、通信回線がかなり混み合っております。当然、ご家族、ご友人の安否を確認されたい方は沢山おられるでしょう。ですが、今しばらくお待ちください。皆様が殺到すれば、一刻を争わなければならない消防、救急、警察への連絡に影響が出てしまいます。今しばらく、お待ち頂いてから連絡をとるようお願いいたします……」
やっぱりか……
アナウンサーの言葉に落胆する。
テレビを消そうとすると、青山君に止められた。
「待って! テレビは点けっぱなしにしといた方がいいよ。最新情報入るし」
同じことを繰り返してるばっかりで気分が落ち込むし、意味もないと思うのだが……渋々、言う通りにする。
ナツさんはしばらくここで保護するとして……神野君は大丈夫だろうか。
「でも連絡取れないんじゃ、神野君を助けられないよ」
「通信はその内回復するから問題ない。心配なら管理組合に屋上の鍵を開けてもらって、上から見てみようよ」
そんな事できるのか……でもわざわざ屋上まで行かなくても、六階からでも充分だ。
「じゃ、ちょっと今から見て来るわ」
外へ出ようとする俺の後ろを、青山君とナツさんが追いかける。
俺は外廊下から手摺り壁越しに遠望した。マンションの裏側はほぼ見渡せる。通用口から伸びる細い坂道、駐車場、畑、坂の上の住宅街まで。
まず目に入るのは、通用口の周りに集っているゾンビの群れだ。
そこから視線を、さっき飛び越えたフェンスまで移動する。
このマンションは坂の途中に建てられていた。
農地と駐車場に挟まれた狭い坂道を下るとマンションの通用口がある。
マンションを囲うフェンスは道の手前で折れ、通用口の所でコの字を作っている。
神野君はどこにもいなかった。
俺は下を見ながら、北の外階段(さっき逃げ込んだ方)へ向かった。暗いので、目を凝らして闇の濃淡の変化を探すしかない。
歩きながら、留守の間のことを青山君が教えてくれた。
最初に誰かが救急車を呼んだ。
救急車が正面玄関に着いた時は、既にマンション内をゾンビが数匹うろついていたという。救急車を呼んだ人が噛まれていた可能性は高い。
救急隊員がゾンビに食べられ、マンション内は一時パニック状態になった。車で逃げる人も続出。一瞬で怒号の飛び交う修羅へと変わったのである。
来る時見た限り、マンションから逃げる選択が正しかったとは到底思えなかった。
外へ出たら最後、良くて息を潜め、車内で篭城するか、悪くて食べられるかのどっちかだろう。
その後、残った住人達で協力し、何とか敷地内のゾンビを倒す。しかし、救急車の音で呼び寄せてしまったゾンビの大群はどうにもならなかった。
今や、マンションは敵兵に囲まれ、援軍の見込みも薄い孤城である。
「救急車の音のせいもあるけど、明かりも関係してると思う」
俺は通路の天井につけられた蛍光灯を指差した。
「奴ら、明かりに吸い寄せられるんだ」
「それも管理組合に言ったんだけど……あと各部屋でも明かりは最低限にした方がいいよね」
管理組合の理事は全部で七人。四人が車で逃げた為、今は三人しかいないとのこと。
思うように事が運ばなくても、仕方がないのかもしれない。
二階踊場に置かれたクローゼットの前ではゾンビの群れが蠢いていた。まるで虫のごとく。
階段のすぐ横、自転車置き場の屋根がなければもっとグロテスクに広がっていたことだろう。
俺は階段の踊り場から再度、下を確認した。
俺達が入り込んだフェンスの周り、その向こうの休耕地、林、畑まで見渡せる。
やはり、どこにも神野君はいない。
俺が諦めて反対の南側へ向かおうとしたところ、パッと通路の蛍光灯が消えた。
黒い布を突然被されたと思う、それほどの圧迫感にハッと息を呑む。少時、何も見えなくなった。
裏手は畑か遊ばせている土地が広がっているだけだから、ほとんど真っ暗である。
明かりと言えば、坂道に設置されている街灯ぐらいか。一個だけ。ここから見ると、都会で輝く北極星みたいだ。
ただ一つ、ポツンと白光する様は物悲しかった。
これだけ視界が悪い中、外にいたら身の安全を守るのは難しいだろう。
それにしても……
七階建てマンションの方が坂の頂上より少し高い。六階は丁度、頂上と同じくらいの高さだ。裏手の坂や畑からゾンビが降りて来ようものなら、すぐ分かる。
一方の正面側。国道より十数メートル上がった所にマンションは位置する。
勾配強めの専用道路からじゃないと、マンション内へ入れない構造になっているのである。近隣住宅も1.5階分下がった所に建ち並んでいるし、マンション敷地内からは外を見下ろす形になる。
こちら側も裏手と同じく、どこから侵入しようがマンションからは見つけられてしまう。
まるで要塞だ。
高台に建てられた巨大な建造物はそれだけで外部の侵入者に備えられる。
一軒家よりそういった意味では安全かもしれない。周りをフェンスで囲まれているし、今、侵入可能なのは正面の坂道からだけ。そこを塞ぎ、中に入ってしまったゾンビを一掃すれば、ゾンビの脅威に怯える必要は無くなるだろう。
「……ピン」
感心していると、呼ぶ声が聞こえた。
手摺り壁越しに外の様子を伺いながら、俺は階段から離れようとしているところだった。
「ガシュピン!」
神野君の声だ。
俺は声のした方へと視線を泳がせた。
今いる外廊下の北端、その真下。自転車置き場の屋根に──いた! 神野君が!
「神野君!」
真下だったので、今まで見落としていたのだ。
自転車置き場の後ろは高い擁壁になっている。恐らくここから侵入して、屋根の上へ飛び移ったと思われる。
思いがけない場所からの出現に肩の力が抜け、笑みがこぼれた。
しかし、喜ぶには早かった。
問題はどうやって中へ入るか、だ。
二階の手摺り壁に密接しているが、自転車置き場の屋根の方が数十センチ高い。
飛び降りるのは不可能じゃないにしても、クッションか何か用意しとかないと、怪我をするかもしれない。
下にはうじゃうじゃゾンビがいるし、バリケードで塞いでしまったから、階段の手摺りか壁をよじ登るしか、中へ入る術はなかった。自転車置き場の屋根から二階通路に飛び降りるのが一番現実的だが……ん?
何やら神野君が奇妙な動きをしている……新しいヲタ芸か何かか?……いや、なになに? 下へ……降りて……来い、だと!?
どうやら神野君は下へ降りて来いとジェスチャーしている。
俺達は急いで外階段へと走った。
意図は分からんが、助けを求めているに違いない。
しかし、走って階段を駆け降りている途中、神野君はとんでもない行動を起こした。
飛んだのである……
距離にして一メートル。
自転車置き場の屋根から神野君が飛んだのは、階段の手摺り……二階と三階の途中にある踊場の手摺りに、ヤモリのごとく飛び付いた。




