第六十八話 この世の終わり⑧
「早く、こっちへ!」
青山君が声を張り上げた瞬間、マンションの正面側からゾンビが何匹も押し寄せて来た。
ゾンビのいる位置はここより数メートル低い。階段を上らねばこちらへ来れないため、ゾンビの歩みはすぐ遅くなった。でも……すごい大群だ。
ゾンビは基本階段を上れないのだが、這うことはできる。
段差につまずいて倒れた後、這うようにして向かってきた。
やべえ──
俺はナツさんの手を引っ張ってマンションの外階段へと走った。
頭上からは銃声が絶え間なく聞こえる。
外階段は二階から始まる。
一階は駐車場と管理人室になっており、この場所は一階分上がった位置にあるのだ。
二階通路に大きなクローゼットが見えた。
それが何なのか思考する前に、階段の手前でナツさんが転んだ。
俺はナツさんの腕を掴んで一気に引っ張り上げる。
急激に力を入れたので筋繊維が切れた感じが……多分気のせいだろうが……
非常時になると、人間とんでもない力が発揮できるものである。ナツさんを助けた後、俺は一気に階段を駆け上がった。
俺達が三階の踊り場まで来た時、途端に下が騒がしくなった。
手すり越しに身を乗り出し、目を凝らしてみると……
二階の踊り場に大きなクローゼットが運びこまれていた。
バリケードだ。
クローゼットで踊り場を塞ぎ、二階通路と階段へ行けないようにする。
タッチの差でゾンビの大群が押し寄せて来るのが見えた。
「田守君!」
聞き慣れた、男にしては少々甲高い声。振り返ると青山君がいた。
青山君の首には、黒々として艶めいた光を放つ美しい……俺のAK47が!!……スリングで吊り下げられていた。
「おい、それ!」
思わず声を荒げてしまった。
改造後、まだ一度も撃ってないのに……
「これ、凄いね! 田守君」
「ふざけんなよ! 俺まだ一回も撃ってないんだぞ?」
「いいじゃん。そのお陰で命拾いしたんだからさ」
まあ、そうだが……はっ!!
「神野君は!?」
俺は階段の手すり越しに神野君がいないか確認した。
……いない……フェンスの向こうにも、中にも……一体どこへ?
「とにかく今の所、マンション内は安全だ。バリケードは管理組合の役員さんがやってくれた。北側と南側の外階段にバリケードを作ったから当分はこれで持つだろう。正面玄関と裏口も鍵をかけてあるから大丈夫だ。部屋に戻ってから詳しい話をしよう」
「神野君をフェンスの外側に置いて来てしまった」
「連絡は取れる?」
「分からない」
「……田守君、その子は?」
青山君の疑うような視線は、後ろのナツさんへ注がれた。
「……この子はショッピングセンターで……」
「あっ、いいや。取り敢えず部屋へ戻って話そう。神野君のスマホにかけるのも戻ってからで」
そりゃそうだ……
ニートの俺が小学生女児を引き連れていたら、犯罪である。
でも、分かってほしい。理由があるのだ、理由が……
神野君の事は心配だが、とにかく俺達は603号室の自宅へと戻った。
「まずいよ、田守君。こんな小さな子連れて来ちゃ。誘拐罪、未成年略取……」
部屋へ戻るなり青山君が詰め寄ったのは、やはりナツさんのことだった。
「ちょっと待て! これには理由が……」
「理由ってこの子の親は?」
「……親はよく分からない」
「えぇ! 親が傍にいないからって連れて来ちゃ駄目でしょ」
「うっせぇな! 緊急時だったんだよ、緊急時!」
次第にうっとおしくなってきて、軽くキレた。
不意に、俺達の会話を黙って聞いていたナツさんが口を開いた。
「お母さんはウチのこと、庇ってくれたの……」
不意打ちに驚いた俺はナツさんを凝視する。今まで母親のことを聞いてもウンともスンとも言わなかったのに。
「ウチ……お母さんと逃げたんだけど、走るの遅くて……それで……お母さんが……」
ナツさんは涙ぐむ。
俺と青山君は何も言えなくなってしまった。
「お母さんが、逃げてって言って……ゾンビに立ち向かって行った……」
何てことだ……
母親はナツさんを庇うために身代わりとなって……
余りにもショッキングな告白に、俺は呆然とするしかなかった。
青山君が柄にもなく神妙な面持ちで頷く。
「分かった。疑って悪かったよ。田守君て、結構小さい子向けのアニメとか見てるから、もしかしてそういう趣味なのかなぁって、ちょっと心配になってしまった」
お前に言われたくねぇええええ!!
いや、ほんとにショタコンの青山君だけには言われたくない。
「でも、お父さんには連絡した方がいいんじゃないの? スマホは? 持ってる?」
青山君は憤慨している俺を無視してナツさんに尋ねた。
ナツさんは首を振る。
「こんな小さい子がスマホとか持ってる訳ねぇじゃん」
「えぇ、田守君知らないの? 最近の子は幼稚園から持ってる子もいるんだよ」
何だ、その情報……
お前こそ、どうしてそんなこと知ってるんだよ?
青山君はナツさんに向き直った。
「自宅の電話は? お父さんに無事だけでも伝えた方がいいよね」
「今、お父さん、会社にいるから家にかけても繋がらない」
「お父さんの携帯番号は?」
「分からない……」
溜め息を吐いた青山君と目が合う。
「どうしよう、田守君……警察に電話って、こんな状況で繋がるのかな……」
聞きたいのはこっちだ。全く……
「取り敢えず、今からかけてみる」
俺はリビングのソファーに腰掛けると、電話し始めた。他の二人にも座るよう促す。
部屋に入ってから、ずっと立ったままだったのだ。
コール音、十回目でアナウンスが入った。
「只今、電話が混み合っております。このままお待ち頂くか、しばらくしてからお掛け直しください……」
俺は待つことにした。
青山君には神野君のスマホにかけてもらう。
一分経過……
両方繋がらない。
五分経過……
家の固定電話からかけては? という提案から固定電話からかけ直す。
十分経過……
繋がらず……
青山君と電話機を交換する。
十五分経過……
今度はダメ元でゾンビ専用ダイヤルや消防署、近くの交番や警察署、自衛隊にまで……片っ端からかけまくる。
二十分経過……
どこも繋がらず……
未曽有のゾンビ災害って言ってたから、もしかしてどこも対応に追われていて電話に出れない状況なのかも。
でも、神野君は……
俺は試しに両親のスマホにかけてみた。
……繋がらない。
メールも、ショートメールも、SNSも、全て送れなかった。
インターネットは繋がっている。
もしかして、回線が混み合っているのか?
青山君がテレビを点けた。
ヘルメットをかぶったアナウンサーが鬼気迫る顔つきで喋っている。
「只今、入った情報によりますと、関西、中部地方、関東各地でゾンビの大群が発生しております。当テレビ局ビル周辺でも何匹も確認され……今、外と中継が繋がりました!」
興奮してビルの外にいるキャスターの名前を呼び続ける。
画面が切り替わるのに少し時間がかかった。
やっと映ったキャスターはいつものお天気お姉さんである。同様にヘルメットを被っている。何故だろう? 地震でもないのに……
「外の様子ですが、ゾンビがかなりうろついている状況です。先ほども私、何匹か遭遇しまして、この角材で倒しました」
「群れはいますか?」
「は? 角材は支給されている物ですが……」
「ゾンビの群れは発生してますか?」
「……」
音声が届かず、なかなかスタジオとの会話が上手くいかない。
「……あっ、ああ、ゾンビの群れですね。私が見る限りこの近くではまだ発生していません。ただ、うろついているゾンビの数はかなり多いと思われます」
「なるほど、まだ群れは出てないということですね。ただ、ゾンビの数は大分多いようなので、充分気をつけて下さい。ありがとうございました」
群れ発生してたら、外で中継などできるレベルじゃないと思うんだが……
相変わらず突っ込みどころ満載のマスコミに苦笑いする。
アナウンサーは同じことを繰り返し言った後、
「今現在、通信回線がかなり混み合っております。ご家族、ご友人の安否を確認されたい方は沢山おられると思います。皆さん、ご心配かと思いますが、しばらくしてから連絡をとって頂くようお願いいたします……」
以上の内容を再び繰り返した。




