第六十四話 この世の終わり④
嫌な予感がして振り向く。
案の定……
「じ、神野君!!」
まず目に入ったのは、すぐ後ろに並ぶ筐体の隙間から手を伸ばすゾンビだった。
一匹だけではない。何匹もいる……一メートルにも満たない距離だ。
ゲーム機が発する音で店内は騒がしく、気配に気付かなかった。
「神野君、ヤバいよ。ゾンビが!」
「ちょっと待て! これが終わったら……」
「そんな場合じゃねぇって!」
動揺した俺は神野君が遊ぶ筐体の決定ボタンを「バン!」と叩いた。
たちまち必殺技が発動し、画面は眩い光の点滅を繰り返す。
「何しやがる!!」
青筋を立てた神野君が振り返り、ようやく気付いた。
しかし、時既に遅し。
筐体と筐体に挟まれた通路の両側から、ゾンビがゾロゾロと歩いて来た。
俺達が遊んでいた筐体は壁を背に置かれている。
完全に挟まれた。
「上るぞ!」
神野君は叫ぶと、筐体のてっぺん、画面の上によじ登った。
筐体の上にはキャラ絵が印刷されたプレートやらPOPやらがてんこ盛りで、非常に歩き辛い。それにキャラの絵を踏みつけるのは抵抗ある──ごめんよ……イエロー。
心の中で謝りながら、狭い筐体の上を歩いた。
ゾンビはよじ登るという複雑な動作が出来ない。奴らが手を伸ばしても、操作機器の設置された卓子が邪魔して俺達まで届かなかった。
忍者のように素早く筐体の上を移動する神野君を俺は必死で追い掛ける。
通路の端まで来ると、通路を挟んで向かいの筐体に飛び移った。そのまま並べられた筐体の上を移動し、ゲームセンターの奥へと直進する。
高い所から見渡せば、ゾンビの分布状況がよく分かった。
奴らはゲームセンターの入口から少しずつ奥の方へ移動している。
群れはまだゲームセンターの真ん中辺りだ。
しかし、奥は突き当たりだった。
ゾンビが居ない所まで筐体の上を歩き、頃合いを見て俺達は飛び降りた。
「どうする? このまま逃げても突き当たりだ」
「ガシュピン、冷静になれよ」
そうだ。左手にエスカレーターがあったはず。そこにまだゾンビが到達してなければ……
俺達はいつの間にかクレーンゲームが立ち並ぶ区画へと入り込んでいた。
走りながら、リュックから武器を取り出す。
この緊迫感……一ヶ月ぶりだ。
煌々と輝く筐体に気を取られるのか、ゾンビ達の歩みは遅い。
つま先立ちで忍者走りをする。
スタタタタタッ……みたいな感じで。
笑ってはいけない。なるべく音を立ててはいけないのだ。
そうやって何とかエスカレーターの所までたどり着いた。エスカレーター付近にはプリクラ機が数個置かれている。
俺はそのまま通り過ぎてエスカレーターの方へ行こうとした。
「待て!」
肩に手を置いたのは神野君だ。
ケバケバしいプリクラ機を指差す。
カーテンの下から小さな足がのぞいていた。
「!?」
勢いよくカーテンを開けると、そこにいたのは……
先ほどの女児だった。
体をビクッと震わせ、涙に濡れた顔を上げる。母親は傍にいない。
「お母さんは?」
聞いても女児は小刻みに震えながら、首を横に振るだけだ。
俺は助けを求めて神野君の顔を見た。
神野君は冷静に答える。
「このままここに置いていけば、この子は食われる」
どうするかを言うのではなく、残酷な現実を話す様子は冷たく感じられた。
「おい! 立てるか? 一緒に逃げよう」
俺は女児に声をかけてみた。
女児は嗚咽しながら、激しく頭を振るだけだ。
神野君は女児に近付き、しゃがんで目線を合わせた。
「いいか、よく聞け。嫌がる君を無理に連れて行きはしない。俺達は死にたくない。この場所はゾンビに囲まれてる。逃げなければ食われるだけだ。逃げるか、ここで食われるのを待つか? どうする?」
女児は再び頭を振り、顔を伏せた。
「そうか……じゃ、行こう」
そう言うと、神野君はくるりと踵を返しそのままプリクラ機から出ようとした。
おい、まさかこのまま置いていくのか!?
唖然とする俺の肩に手を置く神野君。
「仕方ないだろう。ここでこの子を説得し続ける時間は俺達にはない。無理に連れて行ったとして、叫ばれたりしたらゾンビを引き寄せてしまうし、本人に逃げる意志がなければ、俺達も巻き添え食らうだけだ」
「で、でも……」
「俺達はレスキュー隊員じゃない。この子は身内でもない」
言ってることは分かる。
ここで迷う余地などないことも。
しかし、目の前にいる小さな子供が殺される。それが分かっているのに見捨てるのは、無情過ぎる。
罪悪感に苛まれ、動けないでいる俺に神野君は出るよう促した。
まじか……まだ小学校低学年ぐらいだぞ。ゾンビに食われるんだぞ??
見捨てれば、一生消えない傷として心に残るだろう。
しかし、ここでもたついていたら、俺達も同じ運命をたどる。そんなことは痛いほどよく分かっていた。
生きたまま食われて死ぬなんて絶対に嫌だ。
数秒躊躇した後、俺は女児に背を向けるしかなかった。
自分に対する嫌悪感と激しい罪悪感は胸を苦しくさせる。
どうせ、俺は小さな女の子を見捨てるような卑怯者だ。きっと長生きできないだろう。この後すぐに食われるかもしれない。そして地獄へ堕ちるに決まってる。
先ほどまで必死に逃げていたことさえ、馬鹿らしく感じてきた。
この女の子の命と俺の命、価値があるのはどっちか?
気力を失い、フワフワした足取りで一歩踏み出す。
「待って!!」
突如、女児の叫び声が空を切った。
振り返ると、涙で顔をグチャグチャにした女児が駆け寄って来た。俺の背中のリュックにしがみついてくる。
「よし、死ぬのやめたんだな。一緒に逃げよう!」
神野君が嬉しそうに笑みを浮かべた。




