第六十話 映画デート②
久実ちゃん、化粧してる!?
久実ちゃんの雰囲気がいつもと違っていた。白っぽいファンデーションに真っ赤な口紅……芋娘が精一杯、化粧したような……
ノースリーブの肩にヒラヒラした端切れのような袖が付いたブラウス。これまたフワフワした感じのスカートをウエスト高めのベルトで締めている。
今まで気付かなかったが、結構スタイルいい。しかし、眉毛は相変わらず太く、我が儘し放題だった。
久実ちゃん、まさか俺のために頑張ってオシャレしたのか──
俺は気分が高揚していくのを感じた。
久実ちゃんとは定期的にSNSを通じて連絡を取り合っていたものの、実際に会うのは一ヶ月ぶりぐらいだった。
ボランティアでA県へ行った後、一度久実ちゃん宅に少女漫画を借りに行った。それ以来である。
今日は以前から約束していたアニメ映画の試写会に行く。
このアニメ映画に釣られて、危険なボランティアに参加したのだ。人がゾンビになるのを目の当たりにし、最悪な経験だった。
しかし、久実ちゃんとの距離が近くなったことを考えれば悪いことばかりでもない。
行きの電車で俺は少々浮かれ気味にお喋りした。
この間借りた少女漫画の話である。
少女漫画の女キャラは可愛いし、内容も意外と面白い。
平日昼間の電車はガラ空きだ。
俺達は座席に並んで腰掛けた。
同じ車両はドアに一人、向かい席に二人いるぐらい。人目を気にすることなく、会話を楽しむことができた。俺の話に対する久実ちゃんの反応も悪くない。
目的の駅には三十分で到着。
高揚した気分のまま、俺は映画館に入った。気分が落ちていくのは、それから数分後である。
本編が始まってしばらくしてから、それがコテコテのラブストーリーであることに気づかされた。
この監督のことは知っている。
二年前放送された美少女アニメはコアなファンの間で高評価だった。
それが、カップルが喜びそうなネチっこい恋愛ものにシフトチェンジしてしまったのである。
正直、つまらない……
いや、だってよ、男女がイチャイチャしている所見て面白いか?
これは男女問わず好みの問題だろう。
可愛い女の子が主役で一生懸命頑張る話ならいい。それにおまけして恋愛要素が絡んでも構わない。
だが、結ばれる運命の二人がくっつきそうになって離れたり、またくっついて離れたり……
次第に眠くなってきた。
何かを食べて目を覚まさねば……
久実ちゃんとシェアしてるポップコーンは早くも無くなってしまった。
普段はまだ寝ている時間だし、睡魔には勝てぬ……
次に気付いた時、俺は手に生暖かい感触を感じていた。
スクリーンではヒロインが男の背に向かって「好き!」とか何とか叫んでいる。
相手の男は振り向きざま、ヒロインに抱きつかれ、キスをされる。
もう勝手にやってくれ。俺には関係ねえからな。それにしてもこの手の感触は一体何だろう……
柔らかく温かい──
──はっ! まさか!?
俺は隣に座る久実ちゃんの方を向いた。
久実ちゃんはスクリーンを真っ直ぐに見て涙ぐんでいる。
俺の視線はそろそろと、手を置いた肘掛へ移っていった。
間違いない。
これは久実ちゃんの手だ。
久実ちゃんが俺の手を握っている。
何ということだ、人生初の……
顔面が熱くなるのを感じる。
これで、これが本当なら……俺は妖精にならなくて済むかもしれない。
映画の内容どころでは無くなってしまった。しかし、手が触れ合っていたのはラスト数分の間だけだ。エンドロールが流れ始めると、久実ちゃんはパッと手を離してしまった。
その後、映画館を出てからの久実ちゃんはいつも通りだった。
一方の俺は夢から覚めたばかりのようにぼんやりしていた。
街なかを久実ちゃんに連れられるまま歩く。足元がフワフワしてスポンジでも踏んでいるかのように不安定だ。
食事は久実ちゃんが行きたいというので、今話題のヴィーガンの店に入った。
天井からはランタンみたいな照明が吊り下がり、壁の飾り戸棚には色とりどりの瓶が並ぶ。床に置かれた作り物っぽい観葉植物、高級そうな木製のテーブルとソファ……
小洒落た店内に場違いな空気を感じ、俺は委縮した。ぼんやりしていたために入店するまで気付かなかったのである。
何だ、ここ!?
どこの国だ? 俺はいつの間に外国に来た?
そういや、ヴィーガンって何だっけ?
いつものラーメンとかじゃダメなのか。
身長の高いスラっとしたイケメンの店員がメニューを持ってくる。
グルテンフリーのパスタ、無農薬野菜のサラダランチ、ヴィーガンパテを使ったハンバーガー、ヴィーガンパンケーキ……何だ、これは?
肉は!? 肉はどうした?
しかも値段がたけぇ……
ランチのセットが二千円から三千円くらいする。
思わず「肉は?」と聞きそうになってから、ヴィーガンが何たるかをようやく思い出した。
「久実ちゃん、こういう店が好きなの?」
「うん。前から行ってみたいと思ってたの」
俺は居酒屋のランチか、ラーメンが良かった。でも、まあ仕方ない。
俺は一番安かったヴィーガンバーガーのランチを頼むことにした。
食事を待っている間もソワソワと落ち着かなかった。この場所は俺に合わない。
久実ちゃんがウェブで連載している俺の漫画を見たいというので、スマホで見せる。それで何とか場が持った。
俺の頼んだハンバーガーと久実ちゃんのカレーはほぼ同時に運ばれてきた。
ハンバーガーにはまがい物の肉と共にアボカドと玉ねぎ、トマト、オーロラソースがギュウギュウに挟み込まれている。
見た目は普通に上手そうだが……
恐る恐るかぶりついてみる。
ん? 意外にイケる? ……いや、やっぱり何か後味が……
濃いソースでごまかしても、作り物の肉に俺の舌は騙されなかった。
でもまあ違和感はあるが、不味いというほどでもない。うん、まあ旨いんじゃね? てか、野菜だけでここまで肉風にできるのは凄いよ、うん……でも、絶対進んで食うことはないだろうがな……
「美味しいね! カレーもすごく美味しいよ、食べてみる?」
紫色の飯にかかったカレーを見て「うへぇ」と思ったが、俺は久実ちゃんの食べかけカレーを口に運んだ。
すげぇ、恋人同士みてぇじゃん!
カレーの味など、正直どうでも良かった。
どうでもいい紫の飯とカレーを嚥下し終わった後、映画館での出来事を上回る衝撃が俺を待っていた。
「私ね、実は小学生の頃、田守君のこと好きだったんだ」
久実ちゃんは目を伏せながら言った。
なんと!? 夢か? 誰か夢ではないと証明してくれ!
食事どころではない。
微妙な飯だが、例えこれがキャットフードでも気付かずに食べてしまったことだろう。
「ゲームのこととか詳しいし、私なんかより友達もいっぱいいて……」
いいぞ、卑下しなくても。十分可愛いから。
「それが、こんな風になるなんて……」
「……」
──ん!? こんな、風??
少々、雲行きが怪しくなってきた。
「田守君、そんなに太ると思わなかったよ。小学生の頃は痩せてスラッとしてたのに。中学に入ってから急にドドーンとさ」
なぬ……こいつ、もしや俺の体型をディスってる?
「この間、ボランティアでA県行った時、不覚にもときめいてしまったんだよね……でも私、太ってる人って嫌なんだ。田守君、ダイエットとかしてみない?」
急に出会い頭、ビンタされたらきっとこういう気持ちになるんだろうな……
しばし呆然とした後、ワンテンポ遅れて怒りが湧いてきた。
「いやに上から目線だけど、自分が簡単に受け入れられると思ってるわけ? 何で俺が久実ちゃんのために痩せないといけないの? ちょっと自惚れが強いと思うよ」
「えっ!?」
久実ちゃんは俺の反撃にショックを隠せないようだった。驚いて俺の顔を見て、再び目を伏せる。
さっきまでの浮ついた気持ちから一気にどん底へ突き落とされた。
気まずい沈黙が流れる。
しばらくして沈黙を破ったのは久実ちゃんの方だった。
「ご、ごめん。田守君、もしかして怒ってる? 私、ちょっと誤解されるようなことを言ってしまったかも」
誤解だと? さっき、はっきり俺のことをブタ眼鏡だと言いやがったろうが!……いや、そこまでは言ってないか……
しかし、久実ちゃんの目が潤んでいるのを見て、怒りが焦りへと変わっていった。
泣くな……泣くなよ、頼むから……
「あー、映画面白かったね」
適当に誤魔化してみる。
「嘘ばっかり……田守君、寝てたくせに……」
久実ちゃんは潤んだ目で上目遣いに睨んだ。
全く、何で俺が責められねばならないのだ。おかしいだろ? 酷いことを言ってきたのはそっちなのに……
それでも泣かれると困るので下手に出る。
「久実ちゃん、ありがとうな。映画誘ってくれて。映画代かからなかった代わりに俺が飯代払うよ」
うがぁー!! 何を言ってるのだ、俺は!
「いいよ。無職の癖に何言ってるの」
また棘のあるセリフを……
何はともあれ泣かれるという危機は脱した。
その後はデザートを食い終わるまで他愛のない会話に終始した。
しかし帰り道、久実ちゃんは再び俺の心をかき乱したのである。
「私、田守君のこと、好きかもしれないけどそうじゃないかもしれない」
駅からの帰り道、人気のない路地で唐突だった。
好きかもしれないけど、そうじゃないかもしれない!? 意味が分からん!
「自分でも自分の気持ちがよく分からないんだ。田守君ともっと一緒にいたいと思う。一緒にいると安心する。でも、ときめいたりドキドキするのは、もっとスラッとしたカッコいい人なの」
おい、またさり気なく俺を貶めてるだろ?
「今は田守君とこうやって一緒に遊んだり、SNSでやり取りするのがすごく楽しい。けど、他にカッコいい人が現れたらそっちへ行ってしまうと思うんだ、多分……」
何か? 要約するとこういう事か?
俺は都合の良いデブ眼鏡なので、イケメン彼氏が現れるまでの繋ぎに丁度いい、と?
ふざけるなぁーーー!!
俺を振り回す気か!
叫ぶのは心の中だけにしておいて、口から出す言葉に感情は込めなかった。
「あのさ、久実ちゃん、俺にだってプライドがあるんだよ。男として興味ないんなら、ちょっかい出すのは止めてくれよ。そういう曖昧な態度で都合よく俺と付き合うのは女性としてふしだらだと思う」
「だから、痩せて欲しいって言ったの」
ん? こいつ、人の話聞いてたか? 何で痩せて欲しいことになる?
「田守君が痩せてくれれば、男性として見れるようになるかもしれないから」
んな、何の保障もないことで痩せられるかーーー!!!
「俺はそんなことで痩せないよ。何で好きでも何でもない人のために痩せなきゃいけないわけ?」
「えっ!? 田守君、私のこと好きじゃないの?」
驚いたのは俺の方だ。
どうして俺がお前を好きなことになってるんだよ?
……それはまあ、久実ちゃんが俺のことを好きなら、恋愛関係になってもいいとは思ったよ。だが、俺の方から一方的に惚れてはいないからな。絶対に。
「デブの俺相手なら簡単に自分が好かれると思ってるの? そんなの自意識過剰だよ」
「でも、口振りとか態度がそう思わせる風だったよ?」
「いや、ちげーから。俺にだって選択権あるから」
言い合ってる間にマンションへ着いた。
「とにかく、俺は都合よく弄ばれるのは嫌だから。ただの便利な奴として遊ぶつもりなら、金輪際、関わるのは止めてくれ。メンタルが持たない」
それだけ言い放つと、俺はマンションの階段を駆け上がった。
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