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第五十八話 ハンティング⑬

 気付くと俺は地面に突っ伏していた。

 視界がぼやけている。め、眼鏡だ! 眼鏡がない!!


 自分でも何が起きたのか認識できずにいた。


 近くでゾンビのうめき声が聞こえる。

 起き上がろうとしても、足は動かせない。


 ガサガサっと草を掻き分ける音に反応し、顔を上げる。目と鼻の先の茂みから、青黒い影が唸りながら現れた。


 地面に這いつくばった俺の手には何も握られていない。転んだ時、相棒の鉄パイプはどこかへ行ってしまった。

 こんな状態でどうやって戦えというのか。

 

 俺は溺れたネズミみたいに手足をバタつかせるしかなかった。左足に何かが巻き付いて、思うように動かせないまま。

 俺を認識したゾンビがこちらへ向かってくる。


 えぇっ!! 死ぬのか、俺? まさかこんなところで!? ゾンビに食われて?


 その時、強い力で腕を掴まれた。

 一瞬、噛まれたのかと思った。

 今日初めて感じる恐怖感。

 非現実的な状況で恐怖を感じるのは、死を目前にした時だけだ。

 

 俺はギュッと瞼に力を入れた。

 ジェットコースターが急降下する瞬間に似ているが、全身から吹き出す汗と体の強張りはそれの比ではない。


 急に体がフワッと浮くような感じで軽くなった。ん? まだ食われてないけど、もうお迎えか?



「しっかりしろよ! ガシュピン!!」



 耳元で神野君の声が聞こえる。

 足が地面を踏んでいる。当たり前の感覚が戻ってくる。

 俺は目を開いた。

 

 視界に飛び込んできたのは、迫り来るゾンビ。息が止まりそうになった瞬間、ゾンビの脳天にハンマーが打ち下ろされた。

 

 ほんの数センチ先でグシャグシャになったゾンビの顔面を見ながら、ようやく俺は自分が立ち上がっていることに気付いた。



「行くぞ! 走れるか?」

 


 隣には顔を歪めた神野君。

 赤い包帯を巻いた手にはハンマーを握り締めている。顔を歪めているのは、怪我した手を使ったから痛みのせい。

 どうやら、神野君が転んだ俺を助け起こしてくれたようだった。

 


 四方から聞こえる擦過音。何かが迫り来ようとしている。

 すぐ近くに落ちていた鉄パイプを拾うと、俺は一歩踏み出した。

 足に引っかかった雑草はもう取れている。

 足首は少し痛むが走れそうだ。



「行こう!」



 神野君の声でスイッチが入る。俺は走り出した。字の通り無我夢中で。思考する余裕など皆無だ。

 

 ほんの数メートル、されど数メートル。

 途中つまづきそうになったり、腕を掴まれそうになった気もする。

 しかし走っている間の意識はぶっ飛んだ。

 

 気付いた時にはもう、俺は門の外で地面にへたり込んでいた。


 呼吸が苦しい……

 肩で息をするなど久し振り──でもない。

 

 無音から音が戻ってくる。

 あれ? バックミュージックは??

 オペラミュージックは止まっていた。

 

 あのオペラが非日常感を演出していたに違いなかった。音楽が無くなった途端に今までどこかに追いやっていた感情が溢れてくる。リアルな感覚が戻ってくる。


 夢から覚めた俺の目の前には、無情な現実が蠢いていた。


 へたり込んだ俺の前に門扉を挟んで、ゾンビ達が手を伸ばし、ひしめき合っている。

 ライブなどでアイドルを触ろうとしているファンの動きに似ているかもしれない。俺は三次元に興味ないから、彼らの動きは理解できない。

 ……んなことはどうでもいい。

 

 俺を見て掴もうと必死に手を伸ばしてくるゾンビ達に沸々と怒りが沸き起こってきた。怒りというか、殺意。

 首から下げていたライフルの安全装置を俺は外した。

 門扉の鉄格子の隙間から銃口を差し込む。



「死ねぇーーーー! くたばれ!」



 叫びながら引き金を引いて連射する。

 近距離だからライフルの破壊力は抜群である。その上、無抵抗なゾンビは逃げるどころか向かってくる。

 次々に倒れていくゾンビは壮観だった。



「ガシュピン、止めろ! 落ち着け!」



 後ろから抱え込まれ、腕を掴まれる。

 神野君だ。

 俺は引き金から指を離した。



「セーフティーを掛けろ。そしたら返せ」



 すっかり頭に血が昇っていた。神野君が腕を掴む力は痛いぐらいで、口調には有無を言わせぬ凄みがある。

 俺は言われるまま安全装置を掛け、振り返った。

 

 清原君達が呆気に取られた顔で見ている。この突発的行動にかなり引いている様子だ。

 他者の視線を意識したことで、俺はやっと平常心を取り戻した。すんなり神野君にライフルを返す。


 俺がいつもの穏やかなキャラに戻ったのを見て、清原君が引きつった笑みを浮かべた。



「これじゃあ、豚が猪だよ」



 一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 だが、豚と猪が自分を指していることに気付くまで、一秒とかからなかった。



「は!?」

 


 再びキレそうになって、清原君を睨みつける。

 いつもはこんなに短気じゃない。清原君だって普段は失礼な発言をする人ではない。

 アドレナリンが大量放出され、ちょっとおかしくなっている。



「まあまあ……大事には至らなかったし、皆で昼飯食いに行こうよ。反省会も兼ねてさ」


 青山君が間に入ってきた。

 


「駅にファミレスあったから行こう」

 

 神野君も口を挟む。



「それと、ガシュピン、眼鏡落ちてたよ」

 


 神野君は眼鏡を返してくれた。

 それまで俺は視界がぼやけていることすら気にならなかったのだ。


 視力0.1だぞ?

 いつもなら、眼鏡無しでは人の顔を判別できない。誰が誰かも分からないのによく会話してたな、俺。


 それほどの興奮状態だったということだ。

 眼鏡をかけると、意識と身体の感覚がいつも通りに戻る。

 俺は清原君に対して矛を収めた。




 数分後……

 ファミレスでも険悪な空気は変わらなかった。

 皆の非難の矛先は神野君だった。

 今回の危険すぎるハンティングを企画したのは、神野君だからだ。



「俺達はDQNじゃないし、普通の会社員だ。違法な銃の改造に関わったとなれば、失う物は大きい。それに今回は遊びの範疇を超えている」


「安全面への配慮が足りな過ぎた」


「すぐ壊れてしまうほどパワーアップした銃は問題だ」



 清原君、沢野君、水木君は口々に非難した。

 この三人は俺や青山君と違って、ちゃんと就職している。何かあった時、失う物は大きいだろう。



「今後、ゾンビを対象としたハンティングを行うなら俺達は参加しない」



 清原君が言い切った。

 両隣に座った沢野君、水木君もうんうんと頷く。俺達が神野君を救出している間、三人で話し合っていたようだ。


 俺、神野君、青山君の順番で、テーブルを挟んで清原君達の向かいに座っていた。

 いつものお喋りは影を潜め、青山君は暗い顔で押し黙っている。


 彼らの言うことは最もだし、異論はない。

 現に沢野君は吹き飛んだライフルの砲身で額を切ってるしな。絆創膏貼る程度で済んだのは運が良かったのだ。


 いつもの顔色に戻った神野君は飄々とした様子で、


「分かった」


 とだけ答えた。


 その後は黙々と食べ続けた。

 口数少なくいつものような和気あいあいとした雰囲気とは程遠い。

 ゾンビに関する話題は極力避け、当たり障りのない趣味の会話に終始した。


 青山君だけが置いてきたメリーさんのことを嘆いていた。今は皆、ゾンビの「ゾ」も聞きたくないというのに。



「僕、メリーさんにちゃんとお別れ出来なかったよ。大丈夫かなあ……踏み潰されてたけど、他のゾンビに虐められてないかなあ。可哀想なメリーさん」


「うん、俺がトドメ刺してやればよかったな」



 神野君以外の三人が、若干距離を置いているようだったので俺が答えてやった。


 


 とはいえ、帰りの電車で青山君はすっかり元気を取り戻していた。

 大好きな子役タレントのこと、漫画の話、萌え絵の話……好きなことを話し始めると止まらない。弾丸トークに口を挟む余地はなかった。

 

 何だかんだ言っても気は紛れる。

 帰りの路線は途中まで一緒だったから、救われた。



「でもさ、田守君は今日のサバゲーどうだった?」


「うん、まあちょっと怖かったかな……」


「本音でいこうよ、本音で! ぶっちゃけ僕は楽しかったよ、かなり」


(そうは言ってもな……)


「そりゃあ、危険はあった。スリルは絶叫コースターの比じゃなかったよ。でも、あんな体験、滅多に出来るもんじゃないし、昔の人は命がけで狩りを楽しんだんだ。それと同じと考えれば、楽しいと思ったっておかしくないだろう?」


「……まあ、確かに。危なかったけど、楽しかった……」



 俺は少し躊躇ってから答えた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 楽しかったなんて、感覚がもうマヒしてるよぉおおお( ;∀;) なんだか気まずい感じになったけど、一件落着。 神野君無事で良かった。
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