第五十六話 ハンティング⑪
部屋に入ってすぐ、左手のクローゼットから音が聞こえた。
静かにスライドする折れ戸の向こうから現れたのは……
「神野君……」
神野君の片手は血まみれだった。
真っ赤に染まったタオルが床へ落ちる。
「銃が爆発した。手の傷はそれでだ」
言葉を失った俺に対し、神野君は落ち着いていた。顔色は良くないにしても、ボランティアの皆山さんほどではない。
と、激しい足音とドアを勢いよく閉める音が隣室から聞こえた。音を立てず、忍者のごとく動き回るのが当たり前の俺にとっては、物騒な物音だ。振り返れば、息を切らした青山君が飛び込んできた。
良かった。無事戻ってこれた。
「神野君、大丈夫? 歩ける?」
「うん。ごめん、ゾンビに囲まれてたからスマホ着信あっても出れなかった……」
うん、そこ謝る所じゃない。
俺はそもそもスマホ持ってないし。
俺達はゾンビが戻って来る前に部屋から出た。
ドアの開閉音。バタンというシンプルな音が引き金となり、体中の力が抜けた。
薄暗い廊下が歪んで見える。
思わずよろけ、壁に手を付いて体を支えた。神野君も同じだったのか、ゴミだらけの床にしゃがみこんだ。
出た所の隣のドアからは、青山君が誘導したゾンビの呻き声が聞こえる。まだ腰を落ち着けられる状況ではなかった。
「傷の手当てをしよう」
青山君がリュックを下ろした。
消毒液、包帯、ガーゼの入ったミニ救急箱を取り出す。
「青山君、ごめん。武器を持ってこなかったこと、責めたりして」
神野君の右手に消毒液をぶっかける青山君に俺は謝った。
最初は青山君が同行することに不安しかなかったが、かなり助けてもらっている。
青山君がいなければ、この部屋を調べようとは思わなかったし、神野君は助けられなかったかもしれない。
「ガシュピン、青山君、ありがとう。ガシュピンは必ず助けに来てくれると思ってた」
神野君は青い顔に薄く笑みを浮かべた。
青山君がガーゼで血を拭うと、傷口が見える。
よかった。指は無事のようだ。親指と人差し指の間にパックリと割れた裂傷があった。
他に傷はない。
俺はホッと溜め息を吐いた。
「いや、俺は見捨てる気まんまんだったよ。青山君に言われなければ絶対来なかった」
「でも、来てくれた。とにかく二人ともサンキューな。命の恩人だ」
神野君が今まで見たことないぐらい弱弱しい。
緩んだ表情から急にハッと何かを思い出し、目を見開いた。
「清原と沢野は無事か?」
別れてしまった二人のことが気になっていたようだ。
無事を伝えたことで神野君は安堵し、しゃがんだ状態から腰を下ろした。
青山君がぎこちない手つきで包帯を巻く間、俺は今置かれている状況を説明した。
「庭にいるのは少なく見積もっても三百匹以上、建物内をうろついているのはほとんどいない。この二部屋に閉じ込めてる。数は……」
「五十といったところか……」
俺の言葉を神野君が引き継いだ。
すかさず青山君が口を挟む。
「ゾンビ専用ダイヤルは込み合っていて、なかなかつながらない。助けをここで待つか……それとも強行突破するか……」
「強行突破しよう。こんな所に長居はしたくない」
神野君は即答した。
いつもの調子が戻ってきたようだ。
「問題はどうやって突破するか、だ。何かいい案は?」
俺は青山君の顔を見た。
これまでの経緯から青山君には期待している。
だが、青山君は煮え切らない態度だった。
「包帯の巻き方、よく分からないな……田守君、無理。何も思い浮かばない……」
「いいよ、いいよ。適当で。見た目ほど大したことない」
包帯を上手く巻けず、ぼやく青山君に神野君が助け舟を出す。
庭に三百匹以上ゾンビが群がる中、どうやって外へ脱出するのか……
ここから出たい気持ちは俺も一緒だが、すぐには脳が働かなかった。
それと、気になっていることがある。
「神野君のガスガンが腔発したってことは俺達の持ってるライフルもヤバいんじゃ……」
「確かに……ネットで手に入れられるパーツは質の悪い合金だ。次改造する時、パーツは自作するべきだと思う」
いや、そんなことを聞いてるんじゃなくて……てか、パーツ自作って一体どうやって!? 出来たとしてもそれって改造じゃなくて、ほとんど密造だよね?
「神野君、銃が爆発した原因って?」
「改造によりガス圧が高くなった、それにシリンダーが耐えられなくなった」
「壊れた銃はどこ? 見せて」
「置いてきてしまった……」
神野君は遠い目で目の前のドアを眺めた。
部屋に戻ってきたゾンビが呻き声の大合唱をしている。取りに行くほどの気力は残ってなかった。
ガスを蓄えるシリンダーにひびが入ったことで高圧ガスが漏れ、外側のグリップ(持ち手)が破裂したと思われる。
「大体百発ぐらいで壊れたかな」
神野君の言葉を受け、青山君は首から下げていたライフルを親の仇でも見るような目つきで凝視した。
このライフルはとうに百発超えている。
青山君はスリングを首から外すと、
「田守君、返すよ」
……返して来やがった。
あんなに撃ちたいって、しつこかったのに。
俺が白けた顔でライフルを受け取ろうとすると、青山君は引っ込めた。
「ギャグだよ、ギャグで返したの! もうー、本気で捉えないで」
「あ、でもいいよ。どっちみち重いし、交代するよ」
全くこんな時に冗談言える神経が羨ましい。
俺はライフルを受け取り首に下げた。
その間に青山君はポケットからスマホを取り出す。俺と神野君を交互に見ながら口を開いた。
「ああ、それと悪い知らせがある。さっき、バルコニーで窓ガラス破る寸前にメールが来たんだけど、清原君のライフルも逝ったらしい」
え!?
俺達がすぐに反応出来ないでいると、青山君は続けた。
「沢野君が額に切り傷を負った。銃身が吹き飛んだみたいだ。怪我の程度は大したことないって」
青山君はスマホの画面を指でスライドしながら話した。
俺は神野君と顔を見合わせる。
「どうする? ライフルは使わない方がいいし、門の外の清原君達から援護はない」
銃は使えない。
外部からの援護もない。
ゾンビだらけの庭を通って外へ出るにはどうすればいい?
「ゾンビ映画でよくあるよな? 囲まれた時、ゾンビの振りして群れの中を通るやつ……」
気の抜けた笑みを浮かべながら、神野君が言った。
即座に青山君が反応する。
「体にゾンビの内臓を塗りたくるんだよね?」
「塗らないバージョンもあるよ。ただ、ゾンビの動きを真似するだけのも」
「それなら僕、得意かも」
青山君が白目を向いて、ゾンビの真似を始めたので不謹慎にも笑ってしまった。
切羽詰まった状況のはずなのに、青山君はいつもと変わらない。ある意味、凄いメンタルの持ち主なのかもしれない。
バンッ!!!
不意にドアが叩かれ、俺達は笑うのをやめた。閉じこめられたゾンビが笑い声に反応したのだ。
「ふざけてる場合じゃないぞ。下手すりゃ、ここで夜を明かすことになる」
このリアルお化け屋敷で夜を過ごすのはきつい。心霊現象が起こるかもしれないし……
俺はゴミだらけの薄暗い廊下を眺めた。
嫌なタイミングで「ピシッ」と壁が音を立てる。気温の変化で木材が伸縮し、音を立てる家鳴りだ。ラップ音ではない。
分かってはいても、無気味な場所ではビクついてしまう。
俺はごまかすように後頭部を掻いた。
そこで、神野君と目が合う。神野君は真剣な顔付きだ。
「ここで夜は明かさない。救助も呼ぶ必要ない。逃げる方法ならある」
神野君の声には揺るぎない自信が込められていた。




