第五十三話 ハンティング⑧
陸の孤島となったバルコニーにて。
ゾンビだらけの室内へどうやって忍び込むのか?
自信満々の青山君の作戦を決行する。
青山君はライフルを俺に返し、リュックを下ろした。
取り出したのは五十センチくらいの突っ張り棒二本。リュックからはみ出ていたので、武器のつもりかと気になってはいたが……
「これはメリーさんを制御するために持って来た物だけど……ほら、屋内だと繋ぐよりコーナーに追いやって逃げないよう、つっかえ棒を設置する方が楽なんだよ。あと、歩みが遅い時とか……」
「ごめん。メリーさんへの用途はどうでもいいから、どうやって使うか早く教えて」
メリーさんを制御するための使用方法は今話すことじゃない。後でゆっくり教えてくれ。
「使い方はメリーさんと同じだよ。こっちへ来れないように壁と壁の間に設置するんだ」
俺は青山君が指す方を見た。
バルコニーは広く、幅が二メートル以上ある。そこに大きな掃き出し窓が四つ並んでいた。
窓を二つ過ぎると、幅がそれまでの半分に狭まる場所がある。そこだけ手摺り壁が凹の形になっているのである。恐らく部屋と部屋を区切っているのであろう。
青山君が指さしているのは、その幅の狭まっている所だった。
「でも長さが……」
俺は五十センチの突っ張り棒と指差された場所とを交互に見た。幅が狭まっていると言っても、一メートルはある。
「もうーー、田守君たら、しっかりしてよ。ボケかましてる場合じゃないっしょ?」
ニヤニヤしながら青山君は俺の顔を覗き込んでくる。
お前に言われたくない……と内心思いながら、突っ張り棒を両手に持ってみた。
長さ的に二つあれば、足りるか。
俺は棒二本を水平に持って、先端をくっつけた。
「そう、連結するんですよ。勿論」
「強度は大丈夫なのか?」
「無問題。ゾンビって前にしか進めないから、横並びになる。だから棒にかかる圧力が均等な訳。ちゃんと取り付ければ全然大丈夫」
……とは言われても……俺は不安を捨てきれず、ステンレス製の棒を睨んだ。
中にいるゾンビは二十、いや三十はいそうだ。ゾンビ三十匹の力に、このちゃっちい棒が耐えられるとは到底思えなかった。
「論より証拠。まあ、見てなって」
青山君は塩ビ管と連結用の金具を取り出した。
突っ張り棒先端のゴムを外して、塩ビ管に差し込む。上から二か所、丸い金具で固定すれば連結完了だ。後はひねって長さを微調整する。
外壁と手すり壁の間にきっちりと棒をはめ込むことができた。
しかし、洗濯物を干すとかなら分かるが、これでゾンビを留め置けるとは信じがたい。俺の不安を察知し、青山君は弁解した。
「確かに、ゾンビの数が多い時、長時間は持たないかもしれないね。でも少しは時間稼ぎできる……」
この棒はゾンビの数が想定以上だった場合の命綱とのこと。ヤバかったらこれで少しでも足止めして、木の上へ逃げる。
早口で手順を説明する青山君に口を挟む余地はなかった。
他には強行突破か木の上へ逃れるしか案はなく、どちらにせよ危険に変わりない。
二階にここまでゾンビがいるとは思ってなかった。
こうなる可能性を全く考えなかった訳ではない。だが、無理だったら助けに行くのは諦めて、救助隊を待つつもりだったのである。
不安は拭い去れないものの、自信満々の青山君に気圧され、俺は作戦を決行することにした。
このまま、ここで息をひそめて助けを待つより、同じように危険なら神野君を助ける方がいいと思ったのである。
下では沢野君が清原君と交代して、ゾンビを狙い撃ち始めた。
緊張しつつも頷き、俺は自分のポジションへ移動する。
青山君は動かず。俺は突っ張り棒をくぐって奥の窓へと。
すぐ撃てる状態のライフルをスリングで首に下げ、手には相棒の鉄パイプを握り締める。
ライフルのマガジンは交換したし、突っ張り棒の強度も確認した。後は自分と青山君を信じるしかない。
俺は大きく息を吸い込むと、一番奥の窓ガラスに鉄パイプを叩きつけた。
派手な音が合図となる。
キラキラした破片が薄日の中、舞った。
生死を賭けた戦いが始まったというのに綺麗だなぁ、なんて呑気なことを考えてしまう。人間とは不思議なものだ。
「ウギィィィアアアア!! ギギギィィィィイイイ……」
破片が刺さるのを厭わず、ゾンビが続々と出てくる。超特急で突っ張り棒をくぐり抜け、俺はライフルを構えた。
突っ張り棒越しに連射!
ゾンビが向きを変える前に──間に合った。
近距離から狙い撃ちすれば、気持ちいいくらい簡単に倒れていく。
思ったより突っ張り棒は精神的安定に一役買った。こんな棒でも何もないのと比べると、天と地ほどの差がある。
それにしても、すごい数だ。
途中、撃ちながらマガジンを交換しなくてはならなかった。
十匹仕留めたところで、残っている数を確認する。パッと見、三十匹くらいだろうか……
そうだ。必ずしも息の根を止める必要はない。
要は足止め出来ればいいのだ。
今度は頭ではなくてゾンビの膝を狙った。
さっきより簡単にゾンビは崩れる。これで充分動きは封じられるから、連射する必要はない。一弾で事足りる。
横並びになったゾンビ達を狙い撃ちだ。
必死にこちらへ向かおうとしてくるが、倒れているゾンビに足止めされ、彼らの歩みは止まった。
「青山君、そろそろいいよ」
「じゃあ、行こう!」
背後の掃き出し窓では、相変わらず窓に張り付いたゾンビが蠢いている。
バルコニーの音に引きつけられているから、しばらくはそこから動かないだろう。
こっちの部屋は大丈夫だ。
俺達は突っ張り棒をくぐって、レッドゾーンに入った。
目と鼻の先にいるゾンビの群れがこちらに気づき、呻き声を上げる。
膝を撃たれた為、這って進もうとしている前列のゾンビ。選択肢を奪われ、初めて彼らは「這う」という動作を学ぶ。歩みは遅くとも、突っ張り棒や足元の死体を物ともしない変異形といえよう。倒さねば地味な驚異となり得る。俺は死体を踏みつけ、奴らの頭を撃ち抜いていった。
その後ろのゾンビ達は死体につまづき、すぐに向かってはこれまい。
「田守君、行けそうだよ」
背後で掃き出し窓を覗き込んでいた青山君の声が聞こえた。
「群れは全部バルコニーへ出て、こっちの部屋は空っぽだ」
突っ張り棒をくぐると、掃き出し窓は二カ所。さっき割ったのは一番奥の窓だ。
割られた窓の横では死体が道を塞いでいる。その後ろに死体を乗り越えられないゾンビ達……
青山君が見ているのは手前の窓である。
こちらから室内へ入ろうというのだ。
当然、音を立てずに。
ゾンビは音に刺激されるからな。
「青山君、本当に音立てずに窓ガラス割れるの?」
「やったことないけど、多分大丈夫。伊達に特捜警察24時のファンじゃないからね」
テレビで見た知識か。大丈夫か? この計画……
俺の後悔をよそに青山君はマイナスドライバーをサッシとガラスの間に突き刺した。
意外とすぐにヒビが入る。
ピキピキ……
何度か突き刺すとガラスは割れ、丁度いい具合に穴が開いた。
その穴に手を差し込み、鍵を開ける。
なんと鮮やか!!
疑ってごめんよ、青山君!
「青山君、でかした!」
しかし、まだ喜ぶには早かった。
室内へ入る前に目の前のゾンビを何とかせねば……
俺は折り重なって倒れている死体を踏みつけ、ゾンビにかなり接近した。
死体に足止めされたゾンビ共は、目の前に吊された人参──つまり俺に興奮した。
呻き声を発する時の腐息が俺の頬に吹きかかる。はっきり言ってキモチワルイ。それぐらい近くまで接近した。
バルコニーの幅一杯に広がったゾンビは十匹ずつ二列になっていた。
割れた窓の横でゾンビ達は俺に手を伸ばす。
俺は割れた方の窓枠に手を入れ、解錠した。手を伸ばすゾンビの手がギリギリ触れるか触れないかの距離。
これは青山君と話し合って決めた手順とは違う。本来はここでバルコニーに出ているゾンビを殲滅するつもりだった。
予定にない行動をとったのは、ゾンビに対する恐怖心が薄いからかもしれない。何となく思いついて、イケる!って思っちゃったんだよね。弾を無駄にしたくなかったのもあるけど。不思議と恐怖感はない。
俺は窓を全開にした。
窓は引き違いになっているから、手前を全開にすれば、割れた方がふさがれる。ゾンビは前方を死体に塞がれ、窓から回り込むこともできない状態になった。
こちらからも入れるな……ごめん、青山君。
これでわざわざ殲滅しなくても、少しの間は安全を確保できる。
しかし、溜め息など吐いている暇はなかった。
部屋に入るなり俺はライフルのマガジンに弾を装填し、青山君は隣の部屋のドアを閉めに行った。
今は窓際に張り付いている隣室のゾンビが、室外へ溢れ出るのを防ぐためである。
──そういやゾンビ、倒したことないって言ってたな
青山君が速やかに戻ってきたので、懸念は吹き飛んだ。
「廊下の様子はどうだった?」
「一匹、うろついてたけど大丈夫だった」
マガジンを装着しながら尋ねる俺に青山君は緊張した顔のまま答えた。いつもヘラヘラしているから、こういう顔は珍しい。失礼な話だが。
俺は窓際へ視線を這わせた。
室内の俺達に気づき、バルコニーから戻ろうと窓に張り付くゾンビ達。
窓の片側は全開なのに、閉まっている方へ向かおうとしてしまうのは、やはりゾンビだ。段差のせいで、ほんの一、二歩の距離が移動出来ないのは滑稽である。
青山君が気になっているのは、これだった。
目つきと興奮した呻き声から窓ガラスの向こうにいる俺達を認識しているのが分かる。
今の所、ゾンビ達は死体を乗り越えて窓の開いている方へ移動出来ない。
しかし、時間が経てば状況は変わる。
知能は低くとも、ゾンビは間抜けではない。
奴らはすぐ目先の標的に直進する習性があるが、ゆっくりでも確実に追跡できるのである。
それはボランティアの時に学んだ。
すぐ近くでゾンビの視線を感じるのは気持ち悪いものだ。俺達は確実にロックオンされている。
ライフルの準備が整うと、俺は青山君に声をかけた。
「さっさと行こう」
「途中、ライフル代わってね」
それには答えず、俺はドアノブに手をかけた。




