第五話 騒音
ゾンビの脅威が去った翌日、俺は自室でゆっくりアニメ鑑賞をしていた。
俺の住む地区でも死者が出たらしいが、大したことはない。数人程度だ。年間の交通事故による死亡者数の方が多いくらいである。必要以上に騒ぎ過ぎだと言う大学教授もいる。
マンション近くの坂道で襲われた時、ゾンビは二十体近くいた。後で聞いた話だと町から町へ渡り歩いた結果、増えてしまったらしい。
ゾンビには群れで行動するという習性がある。群れを退治すれば、当分は発生しないから安心とのこと。
ゾンビが発生するメカニズムや原因は解明されていないものの、異常な気圧変動により予測は出来るという。
台風が近付いているわけでもないのに、気圧が異常に下がる、或いは雨が降っているのに上がるとゾンビは発生し易くなるそうだ。
それもポイント的に狭い範囲で過剰な変動があった時だと言われている。
警戒レベルは気圧の変動幅で設定しているらしい。よくは分からないが……
何せ、ゾンビが発生し始めたのはほんの一年前。丁度俺が引きこもり始めた時からだ。
どこからどのように湧くのか? 気圧変動により発生する新種のウィルスなのか? はたまたエイリアンの仕業なのか? 何も分からない。
ただ、発見されたゾンビの遺体の中には必ず身元不明者が含まれている。そのことからホームレスの間で何か新種のウィルスが蔓延しているのではないかと囁かれていた。無論、根拠はない。
その身元不明者こそが、宇宙から襲来したエイリアンではないかというトンデモ説までが蔓延する中、正直俺はどうでも良かった。
地域によっては酷い被害を被った所もある。気の毒だとは思う。でも俺の日常には全く影響ない。ゾンビが発生するたびニュースで大騒ぎしても「ふぅーん」てな感じだ。
昨日、ゾンビを見たのは初めてだった。
それはそれで退屈な日常に刺激を与えてくれたが、変化を与えるほどの経験ではなかった。
たまたま交通事故の現場に居合わせてしまった、ぐらいの感覚だ。映画なんかだと、ゾンビ怖いけどな。現実はこんなもんよ
きっと、妖精とか神様とか悪魔が現実にいたとしても同じく無味乾燥なのかもしれない。
結論。
現実はつまらない。
刺激的な昨日ですら、俺の中では遠い過去となりつつあった。
俺は某ロボットアニメを早送りするため、リモコンを手に取った。
最近、美少女アニメの実況動画を配信しているため、忙しくて未視聴アニメが溜まっている。
まあ、それはただの言い訳で一日の大半を費やすのはゲームの実況動画の作成である。
あと、漫画もウェブで連載してるし……まあこれは月一くらいの更新頻度だが、ニートとは言っても結構忙しいのである。
残念ながら漫画はほとんど読まれない。だが、宣伝のため始めたゲーム実況は意外にも好評で小遣い程度の広告収入は得られるのである。今は漫画よりこっちの方が本業になってきていた。
……まあ、厳密に言うと仕事じゃないんだけどね。
大量のアニメを見ること、これは元々好きだったことに起因している。だが、最近はもう義務として見ている。
大半はそんなに面白くもない。
それでも、長年続けてきた習慣を止めることが出来ないのだ。早送りしてでも見る理由、それは習性としか言い様がない。
大河ドラマ的スケールで俺が生まれる前からずっと続いている某ロボットアニメは、小説で言うと文豪の書いた純文学にあたる。
小説家が純文学を絶対に押さえないといけないように、俺はこれを見ずにはいられないのである。
先ほど習性と言ったが、義務感の方が割合的に大きいかもしれない。
俺はコーヒーでボンヤリした頭を覚まし、気合いを入れてテレビ画面の前に座った。
それなのに……
──地球連合軍が我々の船を攻撃してきた! 何故だ?
──ドンドン、ドンドン
──駄目よ! 行かないで! あなたが必要なの!
──ドンドンドンドンドンドン!! ギャー!!
上の階……うるさい……
プロレスでもやってんじゃないかってぐらい、うるさい……
小さい子がいるとは聞いてるけど、幼児ってこんなに暴れるのか? 部屋が微かに揺れるくらいの振動まで感じる。
一体、何してんだ?
将来、体操選手にでもするつもりか?
しばらく我慢していたが、十五分経っても収まるどころか、酷くなったので思い切って上へ行くことにした。
我が家は六階の端から三番目の部屋である。俺は階段から真上の部屋へと向かった。
緊張気味にチャイムを押す。
待っても出ない。もう一度……
やはり出ない……おい、居るのは分かってんだよ! すっげーうるさいんだから! 出てこい!
内心強気ながらも、管理人に相談しようか検討し始めた時……
「ガッ」
チェーンの引っ掛かる音と共に、顔色の悪い女が顔を出した。
ボサボサ髪に眼鏡、穴の空いたジャージ……見た目は俺と大差ない。後ろからはガキの奇声が聞こえてくる。
「……あの、何でしょうか?」
恐る恐る聞いてくる女の怯えた表情から、ようやく自分が不審者扱いされていることに気付いた。
「下の603の田守です」
俺が名乗ると、女はやっと警戒心を解いた。
「ああ、すいません。宅配便ではないようですし、誰か分からなかったものですから……」
言い訳しながら、チェーンを外す。
油断したな? ババア?
俺の猛攻が始まる。
「あのね、先ほどから……っていうか、以前からなんですけど、足音がかなり響いてるんですよ」
「……?」
「多分、お子さんの……」
「えっ、ああ、すいません。ほんとうるさくて……」
反応が鈍い。
あれだけの騒音を発生しておいて、当事者にはまるで自覚がなかったようだ。
「なるべく、走り回らないようにしてもらえませんか? お願いします」
「ほんと、申し訳ありませんでした。気をつけます……」
母親はそう言って頭を下げた。
ホッとした俺が背を向けようとした時、
「あ、あの……」
呼び止められた。
「一歳と三歳の子なんです。走り回らないようにとは言っても、言うことを聞かすのはちょっと無理がありまして……」
ええ? そういうものなのか?……じゃ、俺に我慢しろと? 俺が絶句してると、母親は続けた。
「なるべく早く寝せて、夜は静かにさせますので……」
「いや、出来れば昼間も出かけるなりして静かにはできませんかね?」
俺も引き下がらない。
騒音って、結構なストレスなんだぞ。
分かってるのか、このババアは。
「昼間って……昼間、いつもいらっしゃるってことですか?」
母親の目がまた不審者を見る目に変わっていく。
「いや、夜、仕事してるんで、昼間寝てることが多いんですよ。だから、なるべく静かにしてほしいなって……」
咄嗟についた俺の嘘に安心した母親は少し笑みを浮かべた。
「ああ、そういうことなんですね。申し訳ないです。なるべく外で遊ばせるよう気をつけますね」
「こちらこそ、忙しいのに無理言ってすみません。では……」
俺はにこやかに言ってから背を向けた。
内心は荒れ狂っているよ、勿論。




