第四十一話 ボランティア⑪
小学校の避難民を車に乗せ逃げようとした所、少年が携帯を取りに戻りたいと我が儘を言う。俺と久実ちゃんは少年に付き添い、また校舎へ戻るはめに……
向かう途中、少年から聞いたのは身の毛のよだつ話だった。
一階の教室には、まだ閉じこめられている人達がいると……
閉じ込められている人達がいるのは一階の一年生と二年生の教室、合わせて八教室とのこと。
俺は不本意ながらも確認するしかなかった。しぶしぶ五階から一階へと移動する。
教室の窓には伸縮式の掃除用モップやほうきが立て掛けられ、開けられないようにしてあった。
何とも古典的な方法であろうか。
大人、数人の力で開けられそうだがな。
鬼気迫る状況下、上手く協力態勢が築けなかった可能性もある。
「職員室から鍵、借りて来ないと……」
少年が言った。
……そういうことは着く前に言え。
俺が内心毒づいていると、久実ちゃんが取りに行ってくれた。
その間に教室の中を窺う。
引き戸を軽くノックしてみた。
「どなたか、いらっしゃいますか? 助けに来ました。いらしたら答えてください」
突然、内側から「バン!」と叩かれ、俺は飛び上がりそうになった。
「グルルルルルル……」
中からは唸り声が聞こえる。
こりゃ、駄目だな──
ゾンビと一緒に丸一日、閉じ込められていたのだ。
もし無事なのであれば、とうに窓ガラス割るなりして逃げてるだろうし……
最初に校内を歩いて調べた時、窓ガラスの割られた教室があったことを思い出した。
確か外の花壇に椅子が落ちていた。
あれはゾンビの仕業ではないだろう。
何とか逃げようと、閉じ込められた人が椅子を投げつけて叩き割ったのだ。
恐らく逃げきれず、ゾンビ化して校庭にいたと思われる。
「怪我した人と家族、それと何人かが教室に避難してた……」
少年が話し始める。
その目には恐怖と悲しみが宿っていた。
「無事が確認できたら、助けに来ますと嘘ついて外から鍵をかけたんだ。その後、念の為に窓もモップで開けれないようにした……」
そういや、学校の教室って外から鍵かけると、中からは開けられないようになっていた。
それにしても、酷いことするな。
武器も持たず、ゾンビと教室に閉じ込められるなんて悪夢である。
人間、危機に直面すれば、どんな醜いことでも平気でやってのけるということだ。
ここ二日、俺だって散々な目に遭ってきた。それでも、ここまで悲惨な現場に立ち会うとは思いもしなかった。
俺は涙を拭いながら話す少年に同情した。
色黒で肉付きのよい小生意気な子だけど、大変だったんだな。ごめんよ、糞ガキなどと思って。俺のことをオジサンと呼んだことも許してやろう……
「少年、そう言えば名前を聞いていなかったな。俺は田守太郎だ。オジサンではない」
「……海野、海野陽一」
少年はくぐもった声で答えた。
半分くらい教室を調べ終わった頃、鍵を持った久実ちゃんが戻ってきた。
危険なので、開ける前に一室一室ノックして様子を窺う。
八教室全て調べたが、助けを求める声はどこからも聞こえてこなかった。
うなだれる久実ちゃんの肩を叩く。
すっかり時間を食ってしまった。
体調不良の皆山さんのこともあるし、早く戻らねば……
陽一にも落ち着いて説明する。
「君が勇気を持って教えてくれたことは評価する。けど、もう俺達にできるのは逃げることだけだ。人を閉じ込めて自分の安全だけ確保したあの人達のやり方は酷いと思うが、俺達は警察に聞かれた時、証言するぐらいしかできない。それにまだ俺達は危険な状況から脱していない。あの人達の対応を責めるのはこの危険区域を抜け出てからだ」
陽一は思いのほか、素直に頷いた。
陽一の潤んだ瞳を見ると胸を痛めずにはいられなかった。
おいおい、胸が痛いなんて小六の失恋以来かもしれねえ……
だが、感傷に浸るよりこの悲惨な現場からとっとと立ち去らねば。
惨事の当事者でなかったことを有難がっている、それに気付いたのなら尚更だ。
元来、嫌な事や面倒事からはなるべく目を背け、関わらないようにして生きてきた。
だからニートだなんだと思われようが、これからもずっとそうやって生き続けるつもりだ。
俺は「行くぞ」とだけ言って、茫然と立ち尽くしたままの久実ちゃん達に背を向けた。
死人しかいないこの場所とはさっさとオサラバするんだ。でないと、俺達まで死人になっちまう。
「待って!」
久実ちゃんの声に俺はウンザリ感を隠せず、振り返った。
久実ちゃんは言い訳もせず、スマホでパシャパシャ引き窓を撮影し始める。
「一体、何を!?」
「あの人達を摘発するにしても証拠が必要でしょ。だから撮っているの」
摘発って……俺まで巻き込まれたらどうしよう……
それに、写真が証拠としてどれだけ効力あるのかは分からない。引き窓のレールに立て掛けられたモップの写真だ……まあ、ないよりマシか。
久実ちゃんの写真撮影で一分ほどタイムロスした。
それから、職員室へ鍵を返して……俺達は小走りで昇降口へと向かった。
向かう途中、陽一に念を押す。
「もう絶対ぇ、戻らねぇからな! トイレだろうが、忘れ物だろうが何だろうが!」
さっさとこんな危険な所から逃げて家に帰るんだ。
アニメ、ゲーム三昧の平和な日常に……
が、門の前で俺達は絶句した。
車が……
ゾンビに囲まれていた。
いや、囲まれているなんてもんじゃねえ。
車体が一ミリも見えないほどみっちりと、ゾンビの群れが張り付いている。
終わった──
そう思いながらも、次の瞬間俺はどうすべきか考えていた。
危機的状況に落胆する暇があるのは、死にたい奴だけだ。
「久実ちゃん、携帯の番号、女の人と交換してたよね? 電話してみて」
久実ちゃんは緊張した顔でジーンズのポケットから携帯を取り出した。
出てくれ、頼む……
気付くと、鉄パイプを握りしめた手にビッショリ脂汗をかいている。冷静なようでいて緊張してんだよ、俺も!
緊迫した空気の中、九コール目でようやく繋がった。
俺はすぐに久実ちゃんと代わってもらう。
「あっ、もしもし……沢山いて驚かれているかもしれませんが、大丈夫です。落ち着いてよく、聞いてください。俺達は今、門の所にいます。音で引き付けるので、その間にグルっと回って学校の裏手……校庭の方へ移動してください。そこでピックアップしていただければ……ちょ、聞いてます!?」
電話口の向こうはパニックになっていた。興奮して何やら怒鳴っている。
罵声なのか? 馬鹿とか、あんた達のせいで……とかいう言葉が何とか聞き取れた。
完全にヒステリー状態だ。
「落ち着いてください。校庭側はいないと思います。とりあえず音で引き付ければ、車から離れますので……」
「〇▽◇※◆□……」
何言ってるか分からない。
しかも通話が切れた。
どうしよう、意思の疎通が図れなければ、どうにもできない……
困っている間もなく、車はエンジンをふかし始めた。
そして猛烈な勢いでゾンビを振り切るように走り始めたのである。




