第三十八話 ボランティア⑧
(これまでのあらすじ)
皆山さんがゾンビを引き付けてくれたお陰で、公民館から脱出できた。
向かうのは道路挟んで向かいの家である。
そこの裏手に車が停めてある。
ゾンビのほとんどは大きな家の前に集まっていて、見渡せる範囲にはいなかった。
俺は久実ちゃんの手を握ったまま畑を突っ走り、大通りを渡った。
ガードレールに隠れるよう身を屈める。
「ここからは一列になるからちゃんと付いて来て」
俺は久実ちゃんの耳元で囁いた。
不安そうに頷く久実ちゃんを尻目に屈んだ姿勢のまま進む。
ここからは時間が勝負だ。
音に釣られて、家の裏側にもゾンビが集まってくるだろう。
真っ直ぐ進んでから右折して数メートルの位置に目的の家がある。俺達はガードレールに隠れながら小走りした。
ふいっとガードレールの隙間を覗けば、鳥肌の立つ光景が広がっている。
家と公民館に挟まれた小道は溢れんばかりのゾンビで埋め尽くされていた。
皆山さんが音を出すのを止めたら?──小道を出てこちらの大通りにゾンビは溢れ出るだろう。
一番緊張する交差点を通り過ぎ、今度は猛ダッシュで再び道路を渡る。
大回りして家の裏手へたどり着いた時には、嫌な汗をびっしょりかいていた。
良かった、裏手にまだゾンビは集まって来ていない。
たが、それも時間の問題なのは明白だった。
畑が広がっているだけで、裏手は見晴らしがいい。向こうからポツポツと黒い影が見えた。
停めてあった車へ転がりこむと、すぐ久実ちゃんに電話させた。
「あっ! 皆山さんですか? 今、車まで来ました。待っているんで早く来てください!」
電話を切ってから皆山さんが来るまでの時間はとても長く感じられた。
音が止んでも、ほとんどのゾンビはしばらく家の正面をうろついている。
裏手へ回り込んで来なかったのは不幸中の幸いだが、その代わり畑の向こうから近付いて来る影があった。
近づく影が五つを超えると、俺は車の外へ出た。
少しずつでも集まって車を囲まれてしまっては、皆山さんが中へ入れなくなる。
群れではないから大丈夫だ。
俺は自分から走って行ってゾンビを倒した。鉄パイプは一撃で倒せるから本当に助かる。危ない思いをしてまで手に入れた甲斐があった。
ただ、ゾンビ達の距離感は注意が必要だった。一匹倒したら、近くのゾンビが感づき襲いかかって来る。
二匹目を倒してから間を空けず、更にその後ろのゾンビが……という具合に切れ間がない。鉄パイプを振り下ろし続けなければならなかった。
六匹目を倒し息を切らしていると、後ろからクラクションの音が聞こえた。
俺は踵を返し、夢中で駆け戻った。
車の横にいた二匹を連続で倒す。
もう立派なゾンビハンターだ。
皆山さんが後部座席に乗っていたので、運転席へ飛び乗った。
直ちに車を発車させる。
運転すること、しばし……
俺はようやく口を開くことが出来た。
「皆山さん、ありがとうございます。危険な役目をさせてしまって……」
「……」
皆山さんが答えるまでに変な間があった。
「いや、いいんだよ。君らは若いし、無事で良かった」
返事を得てホッとした俺が次に直面したのは、別の問題だった。
「次はどこ行けばいいんですかね? もう気持ち的に帰りたいんですけど……てか、ここどこだろう?」
俺は車を停めた。
さっきの場所から数キロ進んだ。ゾンビは追ってきていない。ナビで位置を確認する。
「んん……でも帰る訳には行かないだろう。まだ助けを待っている人はいるだろうし……」
「そうは言っても、思ってたより危ないですよ。ゾンビの数も多いし。ボランティアの枠を外れてると思います。このままだと、俺達までゾンビになっちまう」
俺の返しに皆山さんは沈黙した。
代わりに久実ちゃんが口を挟む。
「公民館の周りに集まっているの、ご覧になったでしょう? すごい数ですよ。私達、皆山さんが助けてくれなければ死んでました」
「……じゃ、こうするのはどうだろう?」
皆山さんは注意深く口を開くと、話し始めた。
「あと調べてない大型施設はスーパーと小学校だけだ。オジサンは小学校だけでも確認してから救助隊員なり自衛隊員なりに引き継ぐべきだと思う。スーパーは屋上以外、安全は確保し辛いだろうから、もし居たとしても専門の救助隊員が空から助けた方がいい。だが、小学校は避難所にも指定されているし、誰かが残っている可能性がある」
「小学校まで行くってことですか?」
俺は嫌そうな声色を隠しきれずに言った。
「そうだ。せっかくだから助けに行こう」
皆山さんの返事に俺は言葉を失った。
何度も死にかけてるのに、人助けも糞もないと思うんだが?
「久実ちゃんはどう思う?」
助手席の久実ちゃんに尋ねる。
「私も行った方がいいと思う。これだけゾンビがいれば、動けなくて困っている人が絶対いるよ」
おい、てめぇ、ついさっきまで怖い、とか言って俺の腕にしがみついてたろうが!
俺は眉間に思いっきり皺を寄せた。
バックミラー越しにゾンビの影が見えたので、車を発車させる。
車の運転も久しぶりの割に大丈夫だ。
しかし、望んでいないのに小学校の方角へと車を走らせている。
「田守君、頼むよ。行こう」
俺は答える代わりに車を走らせた。
全く何だってこんな目に……
しばらく無言で車を走らせた後、俺は皆山さんの異変にやっと気付いた。
バックミラー越しに見える皆山さんは、真っ青な顔で後部座席にもたれかかっている。
皮膚に血の気が全くないのだ。まるで……
「皆山さん、大丈夫ですか? 何か顔色が……」
俺の代わりに久実ちゃんが振り向いて、皆山さんを確認した。
「服に血が付いてませんか? 大丈夫ですか? まさか、怪我されているとか……」
「あ、ああ、大丈夫。これは返り血だよ。さっき、君らを助けるために入った家の中に数匹ゾンビがいてね、体を動かしたからちょっと疲れた……」
何かすげぇ具合悪そうなんだけど……このまま小学校に行ってもいいのか……
「具合悪いなら無理しない方がいいですよ。戻りませんか?」
「いや、いいんだ……大丈夫」
大丈夫じゃねぇだろ。
俺は帰りたい。
これまでの経緯から、ろくでもない目に絶対遭うと相場は決まってる。
「皆山さん、後で何かあったら困りますよ。無理しないで帰りましょうよ」
「……小学校まですぐだろう? 車の中で待ってるから……」
えぇーー……俺はこれ以上危険な目に遭いたくねぇんだよ。
「そんなことより……」
──そんなことより?
皆山さんから俺は更なる不穏な空気を感じ始めた。何がそんなことより、だ。
「そんなことより、ゾンビに噛まれた場合、どれぐらい経ったらゾンビになるんだろう?」
「……!?」
皆山さんの質問に俺と久実ちゃんは凍りついた。
「テレビとか見てても、噛まれた人って出てるの見たことないだろう? 噛まれたらすぐゾンビになっちゃうのかな? そういうの余り話題にのぼらないよね?」
「……確か、私の聞いた話では……個人差が激しく、数分でなる人もいれば、最高で一週間ならなかった人もいるそうです……」
久実ちゃんが戸惑いながらも答えた。
「へぇー。そんなに個人差があるんだ」
「どういう人が早く、又は遅く発症するのか、詳しい因果関係はまだ解明されていないそうですが……」
「例えば噛まれてから、ゾンビにならず、助かった人っているのかな?」
「……聞いたことはありません……」
それを聞くと、バックミラーの皆山さんは静かに目を閉じた。
助手席の久実ちゃんをチラリと確認する。
固い表情で拳を握り締めていた。
まじかよ……皆山さん、噛まれたっぽい──
俺達を助けるため、囮役を買って出たが為に……
この時、俺は否が応でも拒否するべきだった。
五分後、小学校が見えてきた。
「皆山さん、皆山さん! 着きましたよ!」
声をかけるも無反応だ。
俺は久実ちゃんに皆山さんの様子を見るようお願いした。
周囲に今の所、ゾンビの気配はない。
学校の正門前に車を停めた。
ハンドブレーキのレバーを上げて、後ろを振り返ろうとした瞬間……
「グォアアアアア!」
皆山さんが大口開けて、俺のシートに掴みかかって来た。
「ぎゃあああああ!」
咄嗟のことにビビってブレーキレバーを再び下げてしまう俺……
車は緩やかに動き始めた。
「……もう、何やってんの? ブレーキ、ブレーキ」
突然、皆山さんが普通の声で言ったので俺は空いた口が塞がらなくなった。
「ギャグだよ、ギャグ……まさか、簡単に騙されるとはね。駄目だよ。動揺して車発進させたりしては」
おい! 糞ジジイ! この状況下でふざけるのはヤメロ!
俺はやっとのことでハンドブレーキをかけた。
隣を見ると、久実ちゃんが笑っている。
全く、不謹慎にもほどがある。
「冗談やめてくださいよ! 本当に死ぬかと思ったんですから!」
俺は振り返って皆山さんを睨み付けた。




