第三十七話 ボランティア⑦
(これまでのあらすじ)
救助ボランティアにて。
公民館でゾンビに囲まれてしまった俺と久実ちゃん。
俺はゾンビが去るまでジッとしているつもりだったが、ボランティアおじさん皆山さんから電話がかかってきた。助けに来ると。
「田守君、皆山さんが助けに来てくれるって!」
嬉しさの余り、久実ちゃんは大きな声でもう一度繰り返した。
外のゾンビにも聞こえそうなくらいである。俺は人差し指を口に当てた。
もう……こんなんでよく救助のボランティア応募したな。自警団もやめちまえ!
内心毒づく俺に感づいたのか、久実ちゃんは声のトーンを落とした。
「皆山さんが音で引き付けるから、その隙に車で逃げるの。車は公民館の裏手に停めてくれる」
「皆山さんはどうすんの?」
「折を見て合流するって」
死ぬだろ。皆山さん……ことの深刻さを分かってんのか?
「それだと、皆山さんが逃げれないと思う」
俺はもう一度、久実ちゃんに電話させた。
直接、皆山さんからどういう計画か聞き出さねば。
「……あっ、もしもし、皆山さんですか?……」
公民館は三方を畑に囲まれており、正面にだけ小道を挟んで大きな家が建っていた。
皆山さんが提案した方法はこうだ。
まず俺達が逃げれるよう公民館の裏手に車を止める。皆山さんはぐるっと公民館を半周して向かいの家へ向かい、音を立てて引き付ける。
──皆山さん、危険過ぎるだろ。
車の音でも寄って来るんだから、俺達のために車置いてから移動しなくてもいいよ。
大きな家の裏手に車を停めるよう、皆山さんにはお願いした。ゾンビが音に引きつけられている間、俺達が自力で車へ向かえばいい。
件の家は高い塀で囲まれている。門扉がしっかり閉ざされていれば、ゾンビ達は中へ入れまい。
とは言え、家の中にゾンビが潜んでいる可能性はある。俺達は皆山さんが上手くやってくれることを祈るより他なかった。
電話があってから数分。
金属音が聞こえてきた。
屋内でも充分聞こえるほどの大音量である。
固い金属同士を打ち付けているような甲高い音だ。
カーテンの向こうをのぞくと、音に引きつけられ離れていくゾンビ達が見えた。
彼らが門から出て行くのを見届けた後、俺はドアの方を確認した。
音を立てないよう静かにドアノブを回す。
カチャ……
小さい音でも心臓が縮み上がる。
ゆっくりドアを開け、外の様子を窺った。
「大丈夫だ。いない」
久実ちゃんの大きな溜め息を背中に感じた。恐る恐る部屋の外へ出る。
公民館の中心部はホールになっており、それを挟んで子供用広場、図書室と視聴覚室がある。出入口はホールの北と南にあった。
子供用広場からホールへ出て左に行けば、裏手へ出る引き戸がある。
反対の正面玄関の方、閉めたはずのガラス扉が全開になっていた。鍵まで閉めないと駄目だったってことだ。まだまだ甘いな、俺も。
俺は辺りを見回しながら裏出口へ向かおうとした。
「待って!」
不意に久実ちゃんが腕を強く掴む。
怪訝な顔で振り返ると、
「トイレ……」
泣きそうな顔で囁いた。
そうだ……忘れていた。
トイレは真っ直ぐホールを突っ切って、階段を横切らねばならない。階段の向こう、図書室前の通路にあるからだ。
ホールの中心にいた俺達は出口へは向かわず、トイレに行った。
トイレの前までは何事もなく。
が、久実ちゃんが俺の腕を掴んだまま「イヤイヤ」する風に首を振った。
「??」
「田守君、ついてきてよ」
これは、仕方あるまい。
一応言っとくけど、入りたくて入るんじゃないからな!! 久実ちゃんがどうしてもついて来て欲しいというから、仕方なくだ!!
……てことで、俺は生まれて初めて女子トイレに入った。
変態でなければ入ることもないだろう。せっかくの機会だからよく見ておこう。
……女のトイレって個室が幾つも並んでるだけなんだな……当たり前だけど。そして普通に臭い。トイレ特有の臭いも男女変わらない。
女性らしい甘い香りとか、ハートの窓付きのドアとか、そういうのはない。
思ったより味気なかった。
一番手前の個室に久実ちゃんは入った。
しかし、ホッと一息ついた所で俺は慌てふためくことになる。
ザザザザーーーーー
ちょ……久実ちゃん、水流すんじゃねぇ!!
おしっこの音を聞かれたくなかったのか、水を流しやがった。
しかも終わってから、もう一回……
俺は不安になりトイレの外をうかがった。
すぐ近くの階段をゾンビがニ体、降りて来るのが見えた。顔はこちらを向いている。
間違いなく向かってくるだろう。
二階に残ってたのはニ匹だけか──
俺は鉄パイプを握り締めた。
身を低くして階段の側壁へ回り込む。
まだ俺のことは認識していない。
一匹目が階段を降りきった所で飛び出し、不意打ちを食らわせた。
すぐさま、次のゾンビが襲いかかって来るので鉄パイプを振り上げる。
グチャ……
何とか二匹同時に退治した。
後ろに気配を感じ、慌てて振り返る。
そこには呆然と立つ久実ちゃんの姿があった。
「田守君、ひどいよ。置いてかないでよ……」
この状況見て、分からねぇのか?
俺は苛立ちを隠せず、
「トイレ、流すんじゃねぇよ」
とだけ呟いた。
大股で図書室を通り過ぎ、奥の勝手口へと向かう。さっき、この勝手口の存在に気づいた。ホールに戻るよりこっちの方が近道だ。
「ま、待ってよ……どういうこと?」
久実ちゃんが小走りで付いてくる。
面倒くせぇな。全く……
俺、やっぱり結婚とか向いてないかも……
俺は無言で勝手口のドアを開けた。
よしよし、周囲にはいない。
皆山さんの金属音はまだ鳴り響いている。
壁に沿って正面の方へ向かう。
久実ちゃんは黙ってついてきた。
ヒタヒタヒタヒタ……
角まで来てピタリと止まる。
様子をうかがった
公民館の向かいにある大きな家、その家の二階バルコニーに皆山さんはいた。
バルコニーの手すりを金属バットで叩いているのが見える。高い塀の周りにはゾンビがうようよ集まっていた。
この家の裏手に車が停めてある。
ゾンビに気付かれぬよう裏手へ回るには……
公民館と家は大通りを曲がってすぐの所にある。俺達が出た勝手口は大通り側にあった。六十坪ほどの畑を横切れば大通りへ出られる。
大通りへ出て大回りで家の裏へ移動するしかあるまい。家の裏は同じく畑が広がっている。裏側も音につられたゾンビが集まる可能性はあるが……
「ねぇ、なんで黙ってるの? なんか怒ってるの?」
久実ちゃんが口を尖らせる。
非常時に緊張感の足りない奴め……俺は出来るだけ冷静に説明した。
「……ゾンビに見つからないよう静かに小走りする。怖いだろうけど、やるんだ」
ひとまず久実ちゃんが神妙な顔付きで頷いたので、俺は畑へ向かって走り出そうとした。
「ちょ、ちょっと待って!」
また腕を掴んでくる久実ちゃん……
おい、無理とか言われても困るからな。
せっかく囮になってくれている皆山さんを死なすことになる。
「あの、えと、あの……」
俺の訝しげな視線を受けて、久実ちゃんは言い淀んだ。
もう……早く言えよ。ここでもたついてる訳にいかねぇんだよ?
「あの、さっき俺が守るって言ってくれたけど、ほんと? 私、信じていいの?」
俺は微妙な表情を感づかれないために正面を向いた。
余計なこと、言っちまったな……
でも、今は安心させないと付いて来なさそうだし……
「うん、信じていい」
俺は振り返り、久実ちゃんの目を見て頷いた。久実ちゃんは潤んだ目で俺を見ている。なんか、俺が命懸けで守らないといけないみたいになってないか?
なんだ、この展開……
身の安全が保証されているならともかく、全然嬉しくないんだが……
何はともあれ、俺は久実ちゃんの手をギュッと握り締めた。
「さあ、行こう!」




