第二十九話 落ちてくる②
嫌な音の後、テレビ裏は目も当てられぬ状態になった。
倒れた女ゾンビの頭は四分の一クラッシュされ、脳みそが床へ飛び散っている。
それ以外にも体液というか、腐液というか、体中から浸みだしているし、ケーブル類は八割方汚染されてしまった。
俺はしばらく茫然としていたが、猛烈な腐臭で我に返った。
こいつがどこから入ったか、調べなければ……
まだ出てくる可能性がある。
俺は自分の部屋へ金槌を取りに行った。
それから全身の神経を尖らせ、ゾンビが出て来た両親の寝室へと向かう。
廃墟公団での死闘が確実に俺をレベルアップさせていた。
今の俺はゾンビの侵入経路を調べようとしている。あの経験が無ければ、今頃動揺して冷静に動けなかったに違いない。
まず、深呼吸。
慣れたのか、腐った空気を吸い込んでも全然平気だ。俺は寝室のドアを一気に開けた。
「開いてる……」
目に飛び込んできたのは、開け放たれたベランダのサッシ窓だ。
ゾンビが体をぶつけ続けていたのだろう。網戸が外れていた。
母ちゃん、窓開けっ放しで出て行ったんだな。
密閉性が高い構造上、マンションは窓に結露が付きやすい。頻繁に拭くのが面倒なので、換気することにより結露を乾かそうとしていたと思われる。
ここは六階だし、静かな郊外ということもあり、マンション内で泥棒が出た話は今まで聞かない。
べランダの窓を開けたまま出かけることは珍しくなかった。
音がしないことを確認してから、俺はベランダへ出た。
頭上の避難ハシゴが下りている。
なるほど……ここから入って来たのだな……
子供ゾンビが潜んでいないか、ビクつきながら植木鉢の裏やエアコン室外機の後ろを確認する。
よかった。子供ゾンビはいないみたいだ。
昨日の昼、苦情を言いに行った時、旦那は普通の様子だった。
警報が出ている間に襲われたのだろうか。深夜、俺がコンビニバイトで格闘している間、ゾンビ化したのかもしれない。
家に居て襲われる可能性は低い。警報が出ている危険な時間に出歩いたため、噛まれたと思われる。個人差もあるが、噛まれて数分から数日でゾンビ化する。
旦那と子供もなっている可能性は高いだろう。
避難ハシゴをこのままにはしたくなかった。
上階からまたゾンビが落ちてくる可能性があるし……このハシゴを登って閉じるか……いや、それは絶対に嫌だ。上から急に襲われたりしたら危険過ぎる。
上蓋と下蓋の間にハシゴが収納されている。つまり、ハシゴを下へ下ろすと、下蓋がぶらりと下階へ下がった状態になる。
俺が思い付いた苦肉の策は物干竿で下から下蓋を押し上げることだった。
ハシゴが収納出来ないので、勿論完全には閉まらない。エアコンの室外機で棒が倒れないように支えた。
あまり意味のない気もするが仕方ない。
落ちてきたとしてもその時はその時だ。
そういや、ゾンビの知能では蓋を開けることはできないはず……さっきのゾンビはどうやってハシゴを下ろしたんだ?
考えられるのはゾンビになる前、逃げようとしてハシゴを出したところを襲われた……
うん、多分それだ。
ゾンビに高い知能があるとは余り考えたくなかった。
室内へ戻ると俺は丁寧に手を洗い通報した。
ゾンビ専用窓口は大変込み合っており、ゾンビ専門隊員が来るまでに二時間かかるとのこと。
俺を支配したのは強い怒りの感情だった。
前、電話した時も思ったけど、ちょっとぬるすぎやしないか?
こちらは命の危機に瀕した状態で電話してるのに待たせすぎたろ? 二時間も待っていたら、その間ゾンビに食われてまうわ!
人手が足りないのは分かる。
行政はもっと人員を増やすなど、迅速に対応すべきではないのか。
ゾンビ評論家シタのように俺は批判したくなった。
電話を切れば、テレビ裏の惨状が否が応でも目に入る。
汚物で汚れたケーブル類……脳味噌は床だけでなく、壁にまで飛び散っている。
拭くだけでは到底綺麗になりそうもない。
リフォームが必要なレベルだ。
そして、ケーブル類は全部廃棄したい。
……そうだ、ハードディスクの中身が無事が確認せねば……
断崖の底のような深い溜め息を吐く。
「片付けるか……」




