第二十三話 ポスティング⑥
九死に一生を得た翌日、俺は久し振りに家でゴロゴロしていた。
今日が休みで本当に良かった……
建物から出た俺は猛ダッシュで一番近いフェンスへ走った。
ゴルフクラブが落ちた音にゾンビが引き付けられるのは必至である。
周りなど見ず、ただひたすらフェンスめがけて走った。
こんなに全力疾走したのは十五年振りくらいかもしれない。小学校の運動会以来と言っても過言ではない。中高と文化部だったからな。
必死の思いでフェンスをよじ登る。
そこでやっと振り返った。
ゾンビ達はさっき俺がいた部屋辺りをウロウロしている。フェンスの方へ向かって来る気配は全くなかった。
俺はフェンスから飛び降り、ようやく外へ出た。
呼吸を整えながら、フェンスに沿って自転車を置いた所へと向かう。
途中で足がガクガクと震えているのに気付いた。
恐怖で震えることって本当にあるんだな。
一歩踏み出すごとに膝が揺れる。崩れそうになる。地面を踏む感覚はフワフワしていて、スポンジを踏んでるみたいに安定感がなかった。これではゾンビに追われた時、走れるか分からない。
俺は何度も後ろを振り返りつつ、自転車の所まで小走りした。
ようやく自転車に乗れた時は目に涙が滲むくらい感動した。
生きてる……俺は今、生きてる──
命の有り難さを痛感すると同時に自然と笑みがこぼれる。
ペダルを押す足は感覚がほとんどなく、おかしいくらいに軽く感じた。もし魂が半分、体から抜けたらこんな感じなのかもしれない。
ペダルを踏む動作は肉体が覚えていて、体が勝手に動く感じ。意識は別の所へ行ってしまっている。脳が指示しているのではなくて、体が勝手に自走している状態か。
帰り道、道行く女子高生と目があった。
なんとなーくな。別に物色してた訳じゃない。でも、友達と楽しそうだった女子高生の笑顔は凍り付いた。慌てて目を逸らす、といった感じ。
そりゃ、そうだ。
黒ずくめ、汗だくの小太りが自転車漕ぎながら満面の笑みで見てきたら怖いわな。
下手すりゃ通報される。
でも、そんなこと気にもしないほど俺は幸福感に満ち満ちていた。
神様、ありがとうごさいます。これからは心を入れ替えます。
夕陽が俺を暖かく包み込む。忍び寄る冷気さえ心地いい。道など意識してなかったのに、あっという間に駅へ着いた。
だが、自転車を置き場へ返した直後、俺は我に返った。
スマホがない!!
そう、スマホを置いてきてしまったのである。あの廃墟に……
俺は鬱々とした気持ちでテレビをつけた。
遅い朝食を食べながら、置いてきてしまったスマホのことを思い出す。
あの廃墟へ取りに戻るのは絶対に嫌である。この間の青山君じゃないが、トラウマになった。
誰もいない公団で、たった一人で百匹以上のゾンビから逃れたのだ。
自分を誉めてあげたい。心から……
テレビのワイドショーでは相変わらず、ゾンビ評論家下飯木が唾を飛ばして話していた。
「最近のゾンビ事情ですが、これまで安全と思われていた場所や思いがけない場所に出現するようになってきました……」
そういや、まだ通報してなかったな。あんな危険な場所、放置しとく訳にはいかねーだろ。
受話器を手にとってプッシュする。
家電話の近くに110番、119番と並んでゾンビ専用ダイヤルの番号シールが貼られていた。
さすが、母ちゃん。
俺は昨日までゾンビ専用ダイヤルを知らなかったよ。
呼び出し音を聞きながら、ぼんやりテレビを眺める。シタのムカつく顔が、どアップで映し出されていた。
「空き家や使われなくなった施設などですね、俗に廃墟と呼ばれる場所にゾンビが住み着く傾向があります」
シタの言葉に俺は苦笑いする。
その情報、もっと前に知りたかったよ
「自治体がフェンスで囲うなどの対策はしているようですが……」
「フェンスだけで対策は十分なのでしょうか?」
アナウンサーがシタの言葉を遮る。
シタはちょっとムッとした様子で答えた。
「万全とは言えませんね。ゾンビはフェンスをよじ上ったり出来ませんが、若者や少年少女が興味本位で足を踏み入れることがあります」
「へぇぇ。ゾンビはフェンスを越えることは出来ないんですね」
「当然ですよ。階段くらいは上れますけど」
おい、その情報も昨日知ったぞ。実体験で。
「先ほどの話ですが、こういった廃墟に面白半分で入り込む輩がいて本当に迷惑なんですよ。現に何人か死んでますしね……」
「小学生でも簡単に超えられるフェンスっていうのは問題だと思いますね。子供って冒険心からこういった所、入りたがるじゃないですか?」
「まあ、でも最近の小学生は賢いですよ。実際廃墟に入り込むのは非行中高生五割でそれ以外は大人です。ホームレスや撮影目的とか……」
「撮影ですか……」
アナウンサーが絶句した所で、電話が繋がった。
「こちらゾンビ専用窓口です。どうなさいましたか?」
「……スミマセン。間違えました」
電話を切った俺はテレビの中で憎たらしく笑うシタを睨み付けた。
「ほんと、入ってはいけない場所へ入り込むのは不法侵入で犯罪ですからね。消防やゾンビ専用ダイヤルに結構かかってくるんですよ。ゾンビに囲まれた、助けてくださいって。なら、危険な所に入るなって話で……」
シタの話に神妙な顔で頷くアナウンサー。
俺はテレビを消した。
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