第二十二話 ポスティング⑤
廃墟公団にて。
建物内に逃げ込むも、地上はゾンビだらけで逃げるのは難しい。しかも大群が階段を上ってきて、外廊下まで占拠されてしまった。
ピンチに立たされた俺はベランダの避難梯子からの脱出を試みる。
二階まで無事降りれたが、最後の一階には禿げたゾンビがいたのだった。
……まてよ……邪魔してるのはゾンビ一匹だけだ。
俺は今、百匹以上のゾンビに囲まれている。たかだか一匹のゾンビにビビっていては、この戦いには勝てぬだろう。
俺は腹を決めて階下のゾンビを見据えた。
薄い頭頂部が見えたのは一瞬だ。すぐに怨念のこもった目で見上げてくる。
髪が薄いのは元々なのか、それとも腐ったからなのか……んなこと、どうでもいい。
「来やがれ」
俺はゴルフクラブを下へ突き出し、ゾンビを誘った。
髪薄ゾンビは俺の誘いに乗ってハシゴへ手をかける。
よっしゃぁあああ! 行け! そのまま上って来い!
ゾンビにハシゴを上らせる。こちらへ近付いた所、脳天をぶち抜くつもりだった。
だが……
来ねぇえええ!
ゾンビはハシゴに手をかけたものの、こちらを見上げて唸るだけで上って来ようとはしない。
よく見ると、膝を上げてはいる。
ハシゴの段へうまい具合に足を引っ掛けられないでいるのだ。
足の筋力が弱いという機能的な問題なのか、それとも知能が低いためにそういった複雑な動作が出来ないのか……
ゾンビのヨタヨタ歩きを見るに、両方かもしれない。
新発見。ゾンビは上れない。
階段は上れるけどハシゴは無理。
なんて感心してる場合じゃない。
何とか引き寄せてから退治したかったが、やっぱり音作戦しかないか……
落胆した俺の視線の先に錆びた物干し竿が映った。
これだ!
思わず声を出しそうになる。
これだけの長さがあれば、下のゾンビまでは余裕で届く。そして適度な重量感だ。
俺は竿を槍のように構えると、階下の薄毛ゾンビへ向かって突き出した。
「死っねぇええええ! ハゲェーーー!!」
「ブチュッ」
ゾンビの片目を竿が貫通する。
嫌な音とともに崩れるゾンビ。
やった!!
視力が悪いんだな、ゾンビって。
目は合うし、こちらを見ているようには見えるけど、全く避けようとしなかった。一撃で倒せたぜ。
ハシゴを降りる途中、数十メートル離れた所で固まっていたゾンビ達が見えた。薄毛ゾンビが倒れる音に反応してこちらへ向かって来る。音には敏感だ。
俺は一瞬躊躇したが、思い切って降りた。
端部屋へ移動して、音で引きつけることも考えるには考えた。しかし、精神的にも肉体的にも疲労していたのだ。
端部屋へ移動するには、隔て板を五枚も破らないといけない。
途中でまたゾンビが現れる可能性だってあるし……
大丈夫だ。
奴らの知能は低い。
そう自分に言い聞かせながらも、降りてから激しく後悔した。
ベランダの手摺り下が鉄格子ではなくて、薄っぺらいパーテーションだった。見た目は一見すると磨り硝子のようにも見える。材質は恐らく樹脂だろう。しかも低かった。低すぎる。頭一つ分、出るぐらい。
上階にいた時はそこまで注意が及ばなかったのである。
これでは簡単に飛び越えられるし、隔て板と同じくらい容易く破れるかもしれない。
しかし、またハシゴを上って戻る気力もなく、俺はパーテーションに背中を合わせて座りこんだ。
奴らは音に引き寄せられてはいるが、俺の存在にはまだ気付いていない。上る動作は出来ないから大丈夫だ。
ゾンビ達は俺が潜んでいる部屋のすぐ近くまで来た。
冷静になろうとしても、顔が火照り、全身から冷たい汗が噴出する。
薄いパーテーションを隔てたすぐ向こうに二十匹以上のゾンビがいるこの状況。
呼吸音が気になる。
すごく息苦しい。
俺は神に祈った。
神に祈るのは人生で二度目である。
前に祈ったのは某有名雑誌の漫画コンテストに応募した時……結果発表が掲載されている号を購入し、そのページを開く瞬間……
神様は俺の願いを聞き入れてはくれなかった。
神様、明日から真面目に働きます。ちゃんと就活もします。働いている親に代わって飯を作ります。美少女アニメももう見ません──
俺は目をつぶり、念仏のように祈りの言葉を繰り返した。
すぐ後ろでうなり声が聞こえる。
下の隙間から腐臭を漂わせながら、黒ずんだ足がヨロヨロと地面を踏むのが見える。
早く、早く去ってくれ!!
九死に一生を得るとは、まさにこのことだ。時間にして数分だったのかどうかは分からない。その時だけが止まったかのように、感覚がおかしくなっていた。
あとから思い出せば、ほんの短い時間だったかもしれない。だが、その時は無限地獄のごとく永遠と続く時間に思われた。
しばらくして静かになると、俺は恐る恐る手摺りから顔を出した。
いない──
同じ姿勢のまま硬直していたため、体中が痛い。力が入らない。
しかも、全身にかいた汗が冷えて冷水を浴びたようになっている。
俺は身震いしてから、勇気を振り絞った。
生きるんだ! ここで死んで溜まるか!
来月、神野君達とサバゲーをする予定があるし、女児向けアニメ、トゥインクルハニーも今シーズン始まったばかりなんだ。
それに新しく買った電動ライフルを改造してパワーアップしたいし、そのためにこのポスティングバイトをしていたんだ。
俺のアニメ実況とゲーム実況を楽しみにしている人もいる。漫画も……漫画は読者ほとんどいないが……
俺は腰に力を入れた。
パーテーションを飛び越える。
内側に立て掛けていたゴルフクラブがその拍子に倒れた。
「ゴン!」
その音に弾かれたかのように俺は猛ダッシュしていた。




