第十九話 ポスティング②
エアガンを買うため、母ちゃんから金を借りた俺はポスティングの日雇いバイトをすることにした。
効率よくチラシをさばくため、フェンスに囲まれた公団へと入る。
そこは誰もいない廃墟だった。
クルリと回れ右をしたその時、だ。
ドタドタッと何か落ちる音が階段の方から聞こえてきた。
あれ?
最初はタヌキか野犬かな、と思った。
だが、次に聞こえた異音は人間を彷彿とさせた。
「グルグル……ガガガガガガ……」
体の奥から絞り出すような……喉を鳴らして笑っているかのような気持ち悪い音だ。
これ、どっかで聞いたことがある。
そうだ、某ホラー映画だ。
思い出すなり鳥肌が立った。
シリーズ物のホラー映画で滅茶苦茶怖いやつ……金曜ロードショーで三週連続シリーズ全公開!……と宣伝してたので、つい見てしまった。
見てから、とてつもなく後悔したやつだ。
神野君曰わく、
「幽霊の目とか作り物っぽくて、ちゃっちいよ。役者も台詞棒読みだし、全然怖くない。俺にとってはギャグだね、あれは」
と聞いていたから、軽い気持ちで見たのが……怖かったよ、すごく……
深夜にBlu-rayを借りて観てたら実際に出たとか、映画館の隣の席に幽霊が座ってたとか、映画のスタッフが事故で亡くなっているとか、画面に手とか居るはずのない人が映りこんでいるとか……数多くの都市伝説を生み出した作品だけあった。
その映画に出て来る女幽霊繭子が喉を鳴らす音にそっくりなのである。
しかもちょうど日が陰り、薄暗くなった。
おいおい、やめてくれよ。
誰もいない、広い廃墟に一人……
怖すぎる……
俺は集合ポストの脇にある階段を恐る恐る見上げた。
ドサッ……
上の踊り場に現れた者を見て、俺はチビりそうになった。
──繭子
白い服、顔を覆い隠す長い髪。
ヨロヨロと足を引きずって歩く。
ドサドサッ……一歩、足を踏み出すごとに何かが落ちる音。
それはホラー映画の女幽霊繭子、そのものだった。
「ひぎゃぁぁああああああ!!!」
訳の分からぬ悲鳴を上げて、俺は猛ダッシュで建物の外へ出た。
自転車は公団の外だ。
だが、更に俺を待っていたのは目を疑う光景だった。
えぇぇぇ……ゾンビ!?
前方からこちらへ向かってくるのは、ゾンビの大群である。
三十匹以上いる……
今の俺の悲鳴に反応して、雄叫びながらやってくる。いつもの緩やかな動きではなくて結構早い。
ゾンビって獲物を確認するや否や、それまでヨタヨタ動いていたのが嘘みたいに素早くなるのだ。
驚いている余裕などない。逃げなくては。
驚愕している俺の背後から再び、「ドタン、ドタドタッ、バサッ!」と音がした。
振り返ると、そこには階段を転げ落ちた繭子の姿が……
上身を起こし、這ってこちらへ向かって来る繭子の姿にまたチビりそうになる。
しかも、喉からあの「グルグル」音を鳴らしている。
まんま、動きが映画と一緒じゃねぇかぁぁ!!
心の中で叫びながら、ゾンビと繭子に挟み撃ちされた俺は建物側面に沿って走り出した。
遠回りだが、ぐるりと回って自転車が置いてある方へ戻るしかない。
だが、その希望も数秒後、簡単に打ち砕かれた。
進行方向からまたゾンビの群れがやって来たのである。
俺は繭子の居た棟と縦に並んだ隣の棟へ走った。もうそれしか選択肢はない。
外階段を勢いよく登って、一気に五階まで駆け上がる。
幸い、この棟にゾンビはいなかった。
息を切らしながら階下を見ると、俺を見失って右往左往しているゾンビ達が見える。
やっぱ、知能低いな、ゾンビは。
ひとまず、ホッとする。
しかし、武器も持たぬ状態でどうやってここを抜け出せばいいのか……
俺が今いる棟は、公団敷地内のど真ん中にある。この棟の最上階外廊下からは公団の半分が見渡せた。
三棟ずつ三列に並んでいる。
確か裏手も同じ数だから全体だと、自分の列も含めて七棟が三列。長四角の棟が全部で二一棟ある。俺の居るのは中心の列の四番目。自転車を置いた所からは二百メートル以上離れていた。
地上では最初に追ってきたゾンビの群れと逃げる途中に遭遇した群れが合流して五十匹くらいの大群になっていた。
階段を登って来られたら一溜まりもない。
さっき、俺をビビらせた繭子もその群れの中に混じっていた。
なんだぁ、繭子、ゾンビだったのかよ。
繭子がただのゾンビだったことに安堵する俺。
女幽霊だと思うとチビるほど怖かったのに、ゾンビだと分かった途端、ムカついてきて頭をかち割ってやりたい気分になる。ゾンビだと大して怖くない不思議。
繭子のことは置いといて、俺はゾンビの多さに目を見張った。
真下にいる五十匹だけではない。
奥の建物へ続く通路にも二十匹くらいの大群が見えた。
反対のベランダ側にも同じくらいいるかもしれない。
ここはゾンビの巣窟だ。
こんなに沢山のゾンビを見たのは初めてだ。二日前、同人イベントで遭遇したのもせいぜい二十匹くらいだったし……
とにかく、武器を手に入れねば……
それと、反対のベランダ側の状況も把握したい。




