第十八話 ポスティング①
青山君の同人イベントデビューは最悪な終わり方をした。
エレベーターに挟まったゾンビの体液が青山君のバッグにかかってしまったのだ。その中には購入したばかりの同人誌が入っていた。
バッグだけでなく同人誌数冊、ゾンビの腐った体液で駄目になってしまったのである。
エレベーターを出てから、俺達はビルの管理人にゾンビのことを伝えた。その時の管理人の緊張感ない態度ったら……
「へぇー。でも良かったね。何事もなくて。すぐ放送して消防も向かわせるからもう大丈夫ですよ」
俺の父親より高齢な管理人のおじさんはにこやかに言った。
何事もなくてって……あったよ! 青山君の本が何冊かダメになっちゃったし、死ぬ所だったんだぞ!
事故現場で車が大破しているのに、無傷だったら良かったですねって言うようなもんだぞ、これ。
「あの、エレベーターは危険なので止めておいた方がいいと思います」
内心激しく憤りながらも、人の良さそうなおじさんにはこれだけを言うのがやっとだった。
帰りの電車でも俺達はほとんど無言だった。
話したことといえば……
見たことのないぐらい沈んだ青山君が当分イベントには行かないと。
夏の○ミケも行きたいと言っていたが、今はもう考えることすら出来ないという。
こんなことは稀だよと俺は慰めた。
しかし二日後、再びゾンビと遭遇することになろうとは……
二日後、俺は日雇いのポスティングバイトをしていた。母ちゃんに借りた金を早く返すためである。コンビニバイトの給料はまだまだ先だった。
ポスティングの場所は最寄り駅から二駅ほど上った所にある住宅街だ。
駅にあったレンタサイクルに乗る。
真夏にやった時はきつかったのを思い出しつつ、そよ風に身を任す。まだ五月だから軽いサイクリングのような感じだ。
地図に印を付け、チラシを入れていった。
平日の昼間は人気がないし、ポストに延々とチラシを入れるだけである。そんなに大変じゃない。
終われば、そのまま帰っていいのが嬉しかった。
俺は口笛を吹きながら、自転車をこいだ。
小綺麗なマンションが前方に見える。マンションなら一気に捌ける。
俺は住宅街を飛ばしてそっちへと向かった。
しかし、その希望は虚しく打ち砕かれることとなる。
マンションのエントランスには鍵がかかっていたのだ。更に追い討ちをかけるように、管理人と思われる人から声をかけられた。
「ちゃんと、これ読んで。迷惑チラシ入れないでくださいって書いてあるでしょ? 日本語くらい読めるよね?」
嫌みったらしく、壁の張り紙を指す。俺は謝り、そのマンションから離れた。
地道に順番通り、ポスティングしていけば良かった……別にいいじゃん。チラシぐらい。入れられてそんなに迷惑か?
ブツブツ心の中で愚痴り、地図を見る。
ああ、このマンションのせいでどこまで入れたか分かんなくなっちまったよ──
途中で戸建てに入れるのを飛ばして、このマンションへ向かったので分からなくなってしまった。またさっきの所まで戻って確認するのはとてつもなく面倒くさい。
うんざりしていたところ、地図の端に公団を見つけた。ギリギリ担当ポスティング範囲内だ。
ここから一キロもないだろう。
俺は自転車のペダルを踏んだ。
それにしても、日本の地形って何でこんなに坂道だらけなんだろう?
平坦な道はほとんどなくて、坂ばかりの気がする。緩やかか急か、上りか下りかの違いだけだ。
普段、運動不足だから公団に着く頃には息を切らしていた。背中にもジットリ汗をかいている。やっぱり、ポスティングって楽でもない気がしてきた。
思いながらも、立ち並ぶ公団住宅を前に笑みがこぼれた。
全部で二十棟くらいある。
一棟あたり、大体五十世帯くらいか……
よっしゃあ、これで全部片づくかも!
広い敷地は真新しいフェンスに囲まれていた。パッと見、入り口は見当たらない。
俺は自転車を止めて、フェンスをよじ登ることにした。
フェンスを超えるなんて小学生以来だ。
フェンスの反対側へ移動し、昔やったようにジャンプしてみる。
意外にも軽々と着地……いや、アキレス腱がいてぇ……成人してから運動なんてしないもんな。仕方ない。
フェンスから建物までは五メートルほどの距離があった。最近はセキュリティーとか厳しくなってんだな。フェンスで囲ったりして。
足取りも軽く建物内へ。
よし! 管理人室という厄介なものもないぞ。
俺は気分良くチラシを入れていった。
気付いたのは二棟目だ。
人がいない……
建物の脇にある花壇には雑草が生い茂っているし、物音が全くしない。
中へ入る前にベランダを見上げる。
よく晴れているのに洗濯物を干している部屋は一つもなかった。
──もしや、廃墟では
そんな考えが脳裏を掠めたが、首を振って打ち消す。
──いやいや、俺、そんなこと聞いてないし……そこにポストがあるから入れてるだけで
戻ってまた一軒ずつ入れ直すのはきつい。
要は数を捌ければいいのだ。
ここが廃墟だと知らずに入れてしまったとしても、それは俺の責任ではない。
しかし、三棟目でがっくりと肩を落とすことになる。
集合ポストの口がガムテープで塞がれていたのである。
仕方ない。戻るか──
入れられるポストを他の棟で探すこともチラッと考えた。が、結局面倒臭さより罪悪感が勝ったのだった。
クルリと回れ右をしたその時、だ。
ドタドタッと何かの落ちる音が階段の方から聞こえてきた。




