表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/6

悪霊

 国民的議論に裏打ちされた世論が無い民主主義など空疎なものにしかならないのは当たり前ではないのか。そんな民主主義不在の日本の行く末はどうなるのだろう?

ドストエフスキーの『悪霊』には、フランス風のサロンをまねたものの見事な失敗形態である「ワルワーラ夫人のサロン」が描かれる。日本の社交の失敗形態はそれとはやや異なるが、19世紀ロシアと同じく、十分な近代化に失敗した社会における人間関係を活写している点で通底するものはあるだろう。




 さて、そもそもなぜこの小説はオカルトめいた話が出てくるわけでもないのに『悪霊』というのか?ドストエフスキーは本書の冒頭で、ルカの福音書8:26以下のくだりを引いて、イエス・キリストが悪霊につかれている男から悪霊を引き離し、近くにいたブタたちに乗り移らせるところから命名されている。




 そのブタたちはどうなるのか?

 「悪霊どもはその人から出て、豚に入った。すると豚の群れは崖を下って湖へなだれ込み、おぼれて死んだ」(ルカの福音書8:33)。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ