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悪霊
国民的議論に裏打ちされた世論が無い民主主義など空疎なものにしかならないのは当たり前ではないのか。そんな民主主義不在の日本の行く末はどうなるのだろう?
ドストエフスキーの『悪霊』には、フランス風のサロンをまねたものの見事な失敗形態である「ワルワーラ夫人のサロン」が描かれる。日本の社交の失敗形態はそれとはやや異なるが、19世紀ロシアと同じく、十分な近代化に失敗した社会における人間関係を活写している点で通底するものはあるだろう。
さて、そもそもなぜこの小説はオカルトめいた話が出てくるわけでもないのに『悪霊』というのか?ドストエフスキーは本書の冒頭で、ルカの福音書8:26以下のくだりを引いて、イエス・キリストが悪霊につかれている男から悪霊を引き離し、近くにいたブタたちに乗り移らせるところから命名されている。
そのブタたちはどうなるのか?
「悪霊どもはその人から出て、豚に入った。すると豚の群れは崖を下って湖へなだれ込み、おぼれて死んだ」(ルカの福音書8:33)。