学者と責任
最近twitterを見ていて、ただひたすら他人のツイートをリツイートしている人がいて、「この人は一体何がやりたいのだろう」といぶかしく思った。稚拙であろうと高尚であろうと、とにかく自分の言いたいこと、思うことを思うがままに言えばいいのであって、それは国家の安全保障のことでも、飼っているイグアナのことでも何でもよいのだ。
最近、とあるお笑い芸人が安倍晋三首相の批判をネタにしてテレビで笑いを取った。多くの人が追随してそのお笑い芸人を称賛した。その後、その芸人がテレビの討論番組に出て、「そもそもなぜ自衛隊が違憲なのか?」という稚拙な疑問を発した。番組中で強く批判されたようだが、これは仕方のないことだと思う。発言があまりに稚拙すぎた。
すると社会学者の宮台真司氏がネットのニュースで、こんな発言をした。「誰にそのお笑い芸人を批判する資格があるのか。国民は一般的に国家の安全保障や憲法、自衛隊の在り方について何も知らないでいるではないか」というのである。
おおむね、この問題について私は逐一論じることはしない。お笑い芸人の質問は「なんで自衛隊がいけないんですか」で、「憲法第9条で国の武力行使も交戦権も戦力の保持も禁じているからだ」で一応答えにはなる。単純すぎることだ。だが、それでは、毎年防衛費としてGDPの1%程度にもなるカネを使っているあの「自衛隊」というのは何だ?となると、これは恐ろしく難しい。「砂川判決」「長沼ナイキ訴訟」とか言った時点で、その分野に関連する学問を常職としない人には、説明をしきるのは無理だろう。立て板に水、といった感じで説明して見せる御仁もいるだろうが、それを脳に吸い込まれるようにやすやすと理解する人はごくわずかだと思うし、私にも無理だ。そして、もっと無理なのはそれを納得して受け入れるということだ。
さて、わたしは、当該の問題に関して、口のうまい宮台氏はなにがしかの説明をしてくれはすると思う。その説明に納得するのかしないのかは別にして。さらに、その説明を受け入れて、行動を起こすべきかどうかは、これもまた別にして。だが、断言するのは、宮台氏は、自分の所見が間違っていた場合に国家、あるいは国民に損害が生じても決して、決して、責任は取らない、取り切れもしないということだ。なぜ、自分の言っていることに責任をとれない、取ろうとしない学者の言うことなど真に受けねばならないのか?